先日同級生の女性と飲んでいると、突然
「アタシ、セクシーになりたい」
という謎宣言をカマされ、僕は思わず 『ああ、春の名残がこんなところに……』 的な感傷を抱かされたのだけれど、実際のところ "セクシーさ" とは一体何なのだろう。
セクシーという言葉を目にして直感的に思いつく映像はシンプルだ。豊満なバスト、胸騒ぎの腰つき、溢れんばかりのヒップ――この三つであり、全世界的に見てもそこに例外はないだろう。具体的人物で例を挙げると、日本でいえば杉本彩、欧米でいえばモンロー、アニメでいえば峰不二子、エロ漫画的にいえばLINDA作品に出てくるような女性たち……等が妥当なラインとなる。
セクシー。それは言葉にするのは簡単であっても、実際に到達するのは相当に難しい頂である。うかつにその道を目指そうものなら即座に足を踏み外して奈落へダイブ、憐れ彼女は俗世間から "肉便器" という誉高い二つ名を賜るハメになるだろう。辛いが、それが弱肉強食の世におけるルールなのだ。
正しいセクシーさとは何なのか。セクシーという言葉を聞くと、どうしてもその先に肉感的なエトセトラを想像してしまうのが我々である。弾けんばかりのバスト、零れ落ちそうなツーケ、魅惑の唇。分かりやすいが、分かりやすいが故にそこには強烈なまでの "性的な何か" を感じ取ってしまうのだ。よりシンプルに言えば、僕たちはそんなけしからんバディを見るや否や、高確率でこう考える。
「四の五の言わず、させれ」
下品な表現になってしまったが、これが僕たち男の抱える真実なのだ。ビッグ・パイやナイス・ヒップというものは、ただ存在するだけで強烈なまでの訴求力を周囲に撒き散らすのである。
しかしこの時、僕たちの目の前にいる女性が "正しいセクシーさ" を持ち合わせていたとすれば、どうか。それはつまり、いま僕らの目の前にモンロー的な女性が、あるいは峰不二子ライクな女性が、堂々と立っていたとすれば……という仮定のお話である。
「し、四の五の、の、の」
「……なぁに、坊や?」
「言わ、言わず、言わわ」
「フフ、よく聞こえなくってよ……」
「さっ、させ、させニャン!ニャーーン!!」
僕は猫になるだろう。真実真正な意味でセクシーである女性は、立ち居振る舞いにも隙がない。言葉遣いに乱れはなく、動きからは凛としたものを感じさせられ、マンコからはペパーミントの香りが漂うのだ。正しいセクシーさを兼ね備えた女性というものは、それら全ての部位が有機的に組み合わさった結果、全体が黄金比で構成された芸術作品の如き存在なのである。あだやおろそかに扱うわけにはいかないし、かかる女性を前にして 『四の五の言わず、させれ』 などと言えるハズがない。
言うまでもないが、そのレベルに至ることのできる女性はそれほど多くない。我々が安穏と日々を暮らしていても、まず出会う機会はないと言える。また、こんなブログを書いていたり、あるいは読んでいたりする場合、出会う確率は天文学的に低くなる。故に僕も皆さんも生きているうちにかかるセクシー・ガールと出会う機会はまずない、と断言しなくてはならない。そのことを裏付ける明確な根拠はない。だが自信は、ある。賭けてもいい。
尤も、僕の考える "セクシー" という概念が世間的なそれからブレている可能性も否定できない。しかしながら、ごく個人的な見解になるが、セクシーという言葉の裏には、常に "緊張感" が潜んでいるべきだ。ただ肉感的であるとか、ただ煽情的であるとか、そのような状況を指して 『うん、全部セクシーだよ』 と論ずることに、強いためらいを覚えてしまうのである。
"セクシーさ" 、そして "いやらしさ" 。二つはかなり親和性を有する概念に思えるが、僕は両者を明確に分けて考えたい。
セクシーさ。それは天恵のように与えられるか、類稀なる努力の果てにようやく至る境地である。そして、セクシーさの中にはワン・アクセント程の "いやらしさ" も内包されている。ただそれは、光り輝く "セクシーさ" から必然的に産み出される "いやらしさ" であり、両者はあくまで主従の関係にあるものと解すべきである。
だが、翻って。漫然とした "いやらしさ" の先にセクシーは、ない。いやらしさだけをどれだけ突き詰めても、セクシーに至ることはない。なぜなら、僕たちは一人の女性の人格において強烈な主語となってしまった "いやらしさ" に対し "いやらしさ" 以上のものを感じ取ることができないからだ。『こういうのがセクシーなんだよ!いやらしさとかじゃなくって!』 とシャウトされても、その声が僕らのチンポに届くことは、ない。
別の側面からも論じよう。セクシーさを具備することが難しいのに対し、いやらしさは比較的簡単に演出できる。例えばスカートの丈を短くする、胸のあたりを大胆に露出する、頻繁にボディタッチをカマす、等々を考えてみればよい。もちろんセクシーな人がこれらの行為をカマしていない……という話ではない。ただ、再三になるが、僕の中でのセクシーな人というのはある種のオーラ、ドラゴンボールでいうところの気、を有しているため、大胆な仕草や服装ですら些事と感じさせられるのだ。曰く 『眩しすぎる太陽を僕たちは直視できない』 、あるいは 『真昼に星は輝かない』 。
だが、前提となるセクシーさが存在しない状態で各種行為をカマした場合。僕たちは確実に表面的な部分ばかりに目を遣ってしまう。文学的に表現すれば、暗闇に浮かんだ星は明るく少し暖かく、手を伸ばせばなんだか簡単に掴めそうな気分になってくるのだ。結果、僕たちは先に論じた通り
「四の五の言わず、させれ」
心の魔境に至ってしまう。仕方のない事故、起こるべくして起こった災厄、みたいなものなのである。かかる僕の言説は、もしかすると皆さんにとって言い訳がましく聞こえてしまったかもしれないが、もちろん全部言い訳である。うちの倅は聞き分けのないチンポでな。反抗期が終わらんのんよ。
混ぜっ返してしまったが、それでも僕は 『セクシーさといやらしさとは異なる』 という主張を貫き通したい。なぜか。そのことを履き違えたままだと、日本が古来より大切にしてきた "趣" みたいなものが失われかねないからである。あるいは、セクシーさなんて目指さずとも、皆さんは既に大切なものをその手に掴んでいるんだ――と思っているからだ。
艶やかさ、である。『セクシー』 とか 『艶やか』 とか漠然と論じていても言葉遊びで終わりそうなので、早々に踏み込んで申し上げる。
世に生きる女性たちにおかれましては、"隠すことの美しさ" というものにもっと目を向けては如何だろうか。
この理論それ自体に、新規性は全くない。見せパンや見せブラという概念に対して僕たち保守層が 「FUZAKERUNAYO!!」 式の強い怒りをブチ撒けた事件は記憶に新しいが、結局はそれと同じような話である。
見せるのではなく、隠すこと。
奥にあるエロスを、描くことなく描くこと。
そのあたりのことを、夏が近づくこの季節に、もう一度だけ確認しておこうと思う。
高校時代のことである。今では信じ難いことだが、僕が15歳だった当時、若い女性は揃って頭に花を付け、競うようにして底の厚いサンダルを履いていた。マスカラの塗り具合は次第に激しさを増し、目の上はパンダのようになっていた。ガングロ、という新しい言葉も生まれた。今は遠い、10年前のお話である。
僕の周りにもいわゆる "ギャル" が増えた。最初の頃は進んで肌を黒くする彼女たちの精神性を理解することができなかったが、革新的に短くなっていくスカートを見るにつけ、『まあ、それもいいかな』 という思いを抱くようになり、また街にパンチラが跋扈するようになり始めた頃には 『けしからん、もっとやれ』 と思うに至ったし、同級生がサイズの合わないキャミソールを着て、胸のあたりがチラチラするのを目撃した段階には 『国を挙げて推奨するべきだ!』 とまで思った、あの頃。
夏の一日、僕は祭囃子の中に立っていた。暮れなずむ景色、空と背景とか次第に溶け合っていく。露店やテキ屋から発せられる威勢良いかけ声が、身の内で静かな静かな興奮を誘った。見渡すと、知人や友人の姿がちらほらと在る。みんなどこか上気したような顔をしていた。そしてその中で、いつもよりもっと気合を入れたスカートを履く女の子たちを見て、静かな興奮は温度と形のある興奮へと姿を変えていった――
その時。
ふと顔を上げた先に、別々の高校に行ってしまった同級生の姿を見た。特別深い係わり合いがあったわけではないはずなのに、僕はその瞬間、激しい衝撃と共に彼女の挙動を見つめ出した。
髪を結い、巾着を小脇に掲げ、小ぶりな下駄でしゃなりと歩く。
濃紺の浴衣が、沈み行く夕日と絶妙なコントラストを織り成す。
金魚すくいの出店の前で、きゃあきゃあと小気味良い笑い声を立てる。
全てが完璧だった。
僕は、そこに。
天使を見たのである。
そしてその時、僕は思ったものである。
分かりやすいいやらしさ、はしたない格好なんて、あの浴衣姿に比べればクソだ――!とね。
「え?長々と語っておきながら、もしかして個人的な趣味の話ですか……^^;」
そうだよそれがどうかしたのかよ。アァ!?ついでに言うと当時の俺はその浴衣の女の子のことが好きだったからな!!別にもんぺ着てようがフンドシ姿であろうが、あの時の俺なら確実に 『あ、天使がおる』 という気持ちになっていただろうよ?!そんなのって当たり前のことだし、あの時の俺の尺度によれば
何かがまかり間違ってギャル姿のあの子>>>>>>>>>>>>(人類の壁)>>>>>>>>>(ホモサピエンスの壁)>>>>>>>>そこらのギャル
は完全に確定していた、と断定することに少しの躊躇いもないと言わなくてはならない。それが少年の純情ってことだし青春という言葉の本来の意味なわけであって、それを笑う資格は誰にもありゃしないのにも関わらず 「趣味の話ですか^^;」 ってDAMAREYO!!いちいちアナルの小さいこと仰らないで下さい、本当に。頼みますから。壁殴っちまったよ。
しかしながらあの当時、純愛バイアスを抜きにしても 『あ、浴衣ってなんかとっても非常にナイスだ』 と思ったことはウソではなく、その子以外にも様々な女性の浴衣姿を見た結果、変に露出するよりも控えめな格好の方が余程良い……という結論に至ったのも事実である。ただ正直に申し上げますれば、あの夜僕は浴衣姿と同時に 『いや、パツンパツンのタンクトップ姿も捨てがたい』 『ホットパンツもグッド・イナフ』 という様々な真理に至ったことも確かなのですが、まあ細けえことはいいんだよ。
一見して大胆な露出の少ない浴衣姿、しかし僕たちは知っている。どういうわけか浴衣の先に、類稀なる艶やかさが潜んでいることを。それは匂い立つようなセクシーさとは違う風情なのだけれど、どうしてか僕たちの心を惑わせて已まない。物言う魅了がセクシーさだとすれば、寡黙な魅力が艶やかさの妙。そしてそんな艶やかさを、日本古来の衣装である浴衣や和服が演出してくれるのだとすれば――僕はやはり、そちらの方を強くオススメしたい気分なのである。防御することで高まる攻撃力も、あるのだ。
なおあの日、好きな子の浴衣姿を見れてテンションが上がった僕はちょっとした付きまとい行為 (キャッチーな言い方をすればストーカー的サムシングな行動) に打って出たのであるが、その先で目撃したのは意中の人が見知らぬ男、チンポの黒そうなサッカー部員と仲睦まじく歩く姿そのものであり、その光景に少々ではない衝撃を覚えた僕は、結果として親友であるケンジ君と連れ立って軽やかにオッパイパブへと足を踏み入れたのであった。祭りの日とあってかオッパブはひどく盛況で、僕はプレイタイム40分のうち僅か5分しかオッパイとトークできない、という快挙を成し遂げ、空っぽになった財布と共に世界を呪いつつ、帰途に着いた。
古い、古い話である。
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浴衣の良さはいまだにわかんねーけど!!?
【肉欲より】
アァ?!菊座破壊すんぞ!!
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帰宅部だっていいじゃない!
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っていうのは間違ってたってことですね!
【肉欲より】
返答になるかは分かりませんが、股のゆるい女性は容姿の云々に関わらずそれなりの需要がある、というのは確かで、『需要』の部分をかなり好意的に捉えれば「男から好かれる」と言い得るやもしれません。
僕はあの時浴衣の素晴らしさに気付いたのだと思います。
そんなあの子も先日久しぶりに再会したら、見事なおビッチになっとりました。
時間の流れは残酷ですね。
またサッカー部か!!
別に、見るからにチンコが肌色っぽいのにモテてるヤツがいても良いハズなのに…。
【肉欲より】
妹!生き別れた妹たちじゃないか!
今月、あと2回の更新が楽しみっす!!
か--わいぃ!
でもモンペだけは駄目だ。モンペだけは。
やたら細身なのに臭い立つ色気をお持ちの人がうらやましくて仕方ない今日この頃です。