全くお前さんたちときたら、ちょっと時間を置くとすぐに 『パンチラとかに興奮しちゃう男の人って……あんなのただの布じゃんw』 といった誤った結論に至りがちなのだけれども、ホントお前さんたちときたらマジで困ったちゃん揃いだわ。まあ、どうしてパンツはただの布と違うのか?というテーマについては以前論じたことがあるので、本日はまた別の角度からパンチラ界隈のテーマに取り組んでいこうかと思う次第よ。
どうして僕たちがパンチラに対して類稀なる情念を燃やすのか?という疑問について、実のところそれに対する明確な答は未だ導き出されていない。
仮にここで
『僕たちは可愛い女の子のパンチラが大好き、反応しちゃう』
という風に結論づけることができるのであれば、議論はシンプルだ。僕たちは可愛い女の子が好きで、だからこそ彼女らの着用する肌着も丸ごと愛している!と、理解することができるからである。
しかし、現実には違う。いや、確かに僕たちは可愛い女の子 (それは客観的にせよ主観的にせよ) が好きなのであるが、では可愛い女の子が放つパンチラにだけ興味があるのか?といえば、僕は首肯しかねる。というのも、これは多分に推測を含んだ見解になるが、おそらく僕たちメンズという生き物の多くは
『可愛い女の子だけのパンチラを求めているのではない』
という主義・主張を心に抱いていると考えられるのである。
ここでもっと分かりやすく、かつ、大胆な言い方を許して頂けるのであれば、僕はこう宣言したい。
『僕たちの多くは、質を問わず "全てのパンチラ" に反応してしまう』
マスコミがひた隠しにしていた真実がこれだ。この提言に、もしかすると多くの女性が 『え……』 と言葉を失ってしまったかもしれない。しかし僕たちは、いや、便宜上僕は、ソウルの本音部分において、『可愛い女性のパンチラだけを愛でたい!切ない!鳴り!止ま!ない!』 と願っているにも関わらず、どういうわけであろうか、ひとたび目の前にパンチラが顕現すれば、即座に ――たとえそれが人外魔境の淵に片足を突っ込んでいると思しきレベルの顔面を披露されておられる女性であったとしても―― 視線をパンチラ方面へと投げかけてしまうのだ。そこに例外は絶無なのである。
つまりそれだけ我々はパンチラ・シーンを愛でているのであり、それは取りも直さずDNAレベルでパンチラを追い求めている証左でもある。この辺りの現象に対して論理的な考察を与えようと思うのだけれども、敢えて結論を先取りすれば、要するに僕たちは 『後悔することを恐れている』 といえる。
虹を見るのに、理由が必要だろうか。
空に虹が浮かんでいた場合、我々の多くはほとんど条件反射の勢いで虹を瞳に映すだろう。そしてその際、ほぼ確実にこう呟く。
「綺麗だ……」
綺麗なもの、美しいものを愛でることに、理由は要らない。なぜならそれは "綺麗" でかつ "美しい" からだ。まるでトートロジーのようであるが、『虹はとにかく美しい』 というのが現代における民主主義的帰結であり、そのような絶対的プラス評価が得られている以上、虹が浮かんでいる現実に出くわした際、我々は以下のように考える。
「見なければ、損だ」
最大公約数的に 『美しい』 とされているものが空に浮かんでおり、しかもそれがダータ(≒タダ)で拝める!このように思い至った結果、我々は空に浮かぶ虹を脊髄の反射で眺めてしまうのだ。
もちろん、その時々に 『やった、虹をタダで見られる』 などと考えている御仁はおられないであろうが、突き詰めていえば我々が虹に見とれている瞬間、そのような利己的マインドが一切存在しない……とは言えないとは言えないとは言えないこともない。故に言えるのである。
さらにこの "見なければ、損" 的マインドは別の側面からも論ずることができる。
例えばあなたが友達とスターバックス・コーヒー・システムなどにおいてお茶をしばいている最中、唐突に対面の物体から
「あ、そういえば昨日の虹は綺麗だったね!」
といった趣旨のことを投げかけられるも、昨日?別に虹を見た記憶なんてないよ……という場合において、そのことを察知した対面の物体が
「えっ、もしかして見てないの?マジー?めっちゃ綺麗だったのに!(プゲラ」
などと抜かしたとすれば、あなたは非常に高い確率でこう思うだろう。
「おっぱいを舐めたい」
ノー、これはノイズである。忘れて欲しい。
「何か……悔しい」
ブラジルと北京ほど距離が離れていれば話は別だが、同じ機会を提供されている状況にあって、自分だけが一方的に美しいものを見る機会を奪われた!というシチュエーション。僕たちはこれに対して明確に 『損だ!』 と感じてしまう。言うなれば、ここにおいて我々は
「折角綺麗なモノがタダで見れたのに……損だ」
という思い、そして
「アイツは見れて俺は見れてない……損だ」
という思い、合計して二重の損を被ることになるのである。そして、そこから導き出される 『もうこれ以上損しながら生きていくのはイヤです』 という切ない思いの果て、我々は空に浮かぶ虹を認知した瞬間に 「これは是が非でも見なければならない」 という思いに至るのだ。
パンチラとは即ち虹である。
その訪れる機会は極めて偶発的で、しかして凛とした風情で我々の目の前に現出する。また、その存在は ――公には語られていないものの―― かなり、とっても、極めて!ワーオ!マーベラスなほどに!美しい……とされているのであり、かつ、パンチラ、即ち虹、に対して抱く 『もうこれ以上損したくはない!』 という我々のセンチメンタリズムについては、既に論じ上げた通りである。だからこそ目の前に現れたパンチラに対し、苛烈なまでの反応を示してしまうのではないだろうか。
だが、当たり前の話ではあるが――虹とパンチラ、それは全く別個の存在だ。掴もうとしても掴みきれないのが虹であるが、掴もうとすれば捕まってしまうのがパンチラである。あるいは、パンチラは空に浮かばない。もし 『浮かんでいる!』 と主張する御仁がおわしますれば、その人の好物はきっとシャブなのだろう。人種が違うのである。
さておき、虹とパンチラには看過できない大きな相違がある。それはつまり 『パンチラは必ずしも美しいものではない』 という事実だ。仮に可愛い人のパンチラ=良いパンチラ、と観念すれば、そこには自ずと逆の概念 ――つまり、悪いパンチラ―― が生じることとなるのである。悲しいが、パンチラは平等ではない。
僕についていえば、好きなパンチラというものがおよそ38パターンほど存在するが、それ以外は概ね "あまり好ましくないパンチラ" となっている。この文脈での "あまり好ましくない" という表現は、率直に言って "思わず自害を検討するレベルの" ということなのであるが、こんなことを言うと 『だったら見るな!このクソボケが!』 というお叱りが飛んできそうなので、言わない。オブラートに包んだ格好である。
ただ、ここが最も大切な部分なのであるが、実際のところ現世に発生するほとんどのパンチラというものは、それが "良い" ものであるのか "悪い" ものであるか、瞬時に判別することが不可能だ。分かりやすくいえば、我々がパンチラを知覚する場合、おおよそ以下のプロセスを辿ることになる。
【一例】
@ 風が吹く
A スカートが捲れ上がる
B 我々の視界の端に捲れ上がったスカートが映る
C 音の速さでパンチラを確認 ←check!!
D ご本尊を確認 ←now up date!!
E 嬉しい! or 悲しい……
F 桶屋が儲かる
ご覧の通り、上述したプロセスのうちDとCを入れ替えれば、E段階において我々が悲しみを覚えることはほぼ無くなることになるであろう。
で、あるにも関わらず。
なぜ僕は、いや男は、万全を期ぬまま安易にパンチラの海へと飛び込むのであろうか?
――それは勿論 『もう損をしたくない』 という強い想いが胸にあるからである。
虹と異なり、パンチラが訪れるスペクタクルは実に短い。あれこれと確認していては、全てが遅きに失する可能性も否定できないのである。
結果、パンチラが見えなかったとすれば。
同時に、隣にいる物体から
「お前さっきのパンチラ見なかったの?!マジで!?超バカww」
などと抜かされた日には!どうだろうか。あまつさえそのパンチラをカマした御仁が宮崎あおいにそっくりな女性 (AV風に言うと、激似) であった場合、その損害度合いは計り知れないものである。
だからこそ、我々は。これ以上悲劇的な損害を被ることなきよう、パンチラと聞くや否や!!全ての状況を余さず拾い上げるのである。よろしいだろうか。
「……ってか、結局パンチラだったら何でもいいってこと?良い悪いがあるってのは分かったけど、とりあえず全部に反応しちゃうんでしょ?バカ、男ってほんっっとにバカ」
気持ちは分かる。しかしそう結論付けるのは少々性急と言わざるを得ない。
確かに、我々はおよそ全てのパンチラに反応してしまう。女児のものであれ、熟年のシニアの放つものであれ、女装したオッサンのカマすパンチラであれ、僕たちは "等しく" 視線を向ける。そしてそんな僕たちの姿を見て、皆さんは 『愚かだね』 と笑われるのであろう。
けれど、違うのである。ちょっと考えてみて欲しいのであるが、我々の眼前に突如パンチラが現れた際、それはただただ "パンチラ" 、圧倒的なまでに "一個のパンチラ" として存在しているのだ。換言すればある意味でそれは恐ろしいまでに没個性的なパンチラなのである。
何の冠詞も、何の形容詞も、何の枕詞も付かない、ひとつのパンチラ。
それが突然、ぽつねんとした風情で、目の前に現れるのだ。
『僕たちがパンチラを目撃したのは確かなものの、それが誰の、どのような種類のパンチラであるのかは、未だ分かっていない』
ここが肝なのである。
まっさらで無垢な、ひとつのパンチラ (それは別段、パンツが純白であるとかそういう意味ではない)。
それを目の当たりにし、その後に着用者を確認する。
そしてその瞬間、その時に至って、ようやく――目撃したパンチラに固有の意味、あるいは客観的な評価、等等が付与されるのだ。
要するに、僕はこう論じたい。
【顕現したてのパンチラには、あらゆる可能性が混在している】
お分かりの通り 『シュレディンガーの猫』 を応用した格好だ。全然応用していないよ!という声も聞こえてきそうであるが、応用したんだ!と強引に納得して頂いて、先を急ぎたい。
背景を具備するに至ったパンチラは平等ではないが、何らの背景もないパンチラは、全て平等だ。背景とはつまり、パンツ所有者の年齢、容姿、性癖ないし性別のことであるが、それらが未だ付与されていない ――つまり全ての条件が未確定のままであるパンチラ―― は、まさしく "虹" だ。ひどく美しく、何だか神秘的で、かつ蠱惑的なのである。そんなパンチラだからこそ僕たちは心惑わされ、憧憬を抱くのだ。また、視線の先に立っているのが自分にとって好ましい女性であった場合、その幸福度は計り知れないものとなるだろう。
「そ、そんなにいいんだ?だったら、今夜は彼のためにステキなパンチラを演出しちゃおっかな……(///)」
バカか、と言いたい。いいか!?テメェーの少ない脳味噌でも分かるように説明してやるが、いいか!!たとえばあんたがいま虹を見たくて見たくて仕方ない状態、今すぐに虹を見ないと身体中の穴という穴から体液が噴出して死んでしまいそうだ!という状況にあったとしよう。そしてそれを推知した彼が、日曜日の昼下がり、あなたを近所の公園へと誘ったとしよう。満面の笑みを浮かべる彼。不思議そうな顔をして立ち尽くすあなた。すると彼は、前もって用意していたホースを取り出し、公園の蛇口に繋いで水を撒き散らす。飛散する水しぶき、キラキラと太陽の光を浴びながら。そして彼は得意げな顔で、一言。
「ホーラ、虹だにょ〜^^」
その時、あなたは彼を殺していい。要するにまがい物はいらないのである。確かにその瞬間、光の屈折の加減であなたの目には "虹らしきもの" が写るかもしれない。しかしそれは、確実に虹ではない。定義上の問題はさておき、その代物は絶対に "あなたの求める虹" ではないのである。ご理解頂けただろうか。
パンチラも然りだ。作られた、演出されたパンチラに、心は揺れない。それは只管に "不用意にパンツが見えている" という状況でしかないのであって、それを以て 「ホラ、パンチラだよ。好きなんでしょ?」 などという妄言を吐くこと、畢竟万死に値する。どうかご注意されたい。
「いや、マジきもいけど、まあちょっとはパッションとか分かったけど……それでも、そんな当たりハズレとか言うくらいだったら、やっぱ最初から見るなよ!?って感じだよ。男にしたって、せっかく期待したパンチラが、その、悪い?パンチラだったら、イヤなんでしょ」
心配は有難いが、無用だ。仰る通り、確かに蓋を開けたパンチラが期待と違うものであった場合――僕たちは絶望に打ちひしがれる。それは、パンチラに対する希望・期待が大きければ大きいほど、そうだ。
しかしそういう時に備え、僕たちは便利な言葉を知っている。
「なかったことにしよう」
止まない雨はなく、また、明けない夜もない。悲しみを抱くことは痛苦であるが、それが永続することもまた、ないのである。全てを、なかったことに――それはパンチラ・シーンに限らず、あらゆる悲しみの場面に適用することのできるマジカル・ワード。僕たちは誰もが心にマイ・マインドアサシンを飼っているのである。
もちろん、心が挫ける方もいることだろう。もうパンチラなんて見たくない!――そんな心境に達することもあるかもしれない。だが、そのことを思い悩む必要はない。なぜならそのような想いに至った瞬間、あなたは "パンチラ" という世俗の鎖から、完全に脱却できたことになるのだから。またひとつ、仏の教えに近づいたことの証左なのだから。それはそれで宜しいことなので御座います。
長くなったけれど、今のところ僕がパンチラというものに対して言えることはそのくらいである。これが何かの参考になるとはとても思えないが、もし皆さんが何かを考える際のヒントにでもなれば、それに勝る幸せはない。
最後になったが、いくら僕たちが (あるいは僕が) 虹を愛でているといっても、あくまでそれは程度問題だ。あれば嬉しいものの、なければ悲しい、というものでもない。
ただ、世の中には…… "大切な匙加減" というものを誤る人が一定数存在する。見えない虹を追い求め、自分を見失い、いつしかポイントオブノーリターン (帰還不能地点) にまで至ってしまう人。
それは確実に存在するのだ。
かかる人の未来は暗く、そして侘しい。
虹は偶々見えるからこそ美しく、掴めないからこそ有難い――
僕たちはそのことを、努々忘れてはならない。
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そこに思考が入る余地はない・・・
いや〜、眼福とはあのことですな。
しかも偶発的であることがコレクター魂を刺激しているのではないかと思います
じゃなきゃ下着売り場に行くたびにフルボッキになってしまうやないですか
それはなぜなら、すでに自分の中に一番のパンチラの記憶があるから...。
浮いてるんじゃないんですね!
勉強になります。
その背徳感が良いと言う風に思います。
「見た?」「何を?(焼き付けました)」
なんか人生レベルで損してる気がする。
予断ですがこの前、母(今年で52)がフリフリのネグリジェらしき物を着て屈んでいました。無意識に谷間に目が行った事に気づいた夜は本気で自害を考えました>< そんな僕に何か一言ください
懐かしい⊂(^ω^)⊃
に普通に萌えましたww
過去にワキ毛チラが好きだと言う特殊な知り合いがいましたが…
一緒ですかね('A`)?
でも演出されたパンチラを『挑発』という視点でみるとなぜかマイサンがご機嫌になるふしぎ
健康に影響します。
エスカレーターで偶然見た女子高生のパンチラには甚く感動しました
わかります
素直だね♪
パンツと思ってるのはスパッツであるかもしれない
それがわからないから見えないほうがいい
脳の中ではもの凄く大きな映像になっているのが不思議です
トランジスタのようだ・・・
自分好みのデザイン、ご本尊だったと脳内変換して
思い出を美化するのは邪道ですか><
そんな1瞬の出来事