ハミパンって知っとるか。
お前ら、ハミパンって知っとるんか。
■ハミパン ――wikipedia
ハミパンとは、着用しているボトムスから下着がはみ出ることを指す隠語(スラング)。
* ブルマーから女性用ショーツ(パンティー)がはみ出ることに限って「ハミパン」と呼ぶ場合(最狭義のハミパン)
* ブルマーや体操服のズボンなどのボトムスから女性用ショーツがはみ出ることを「ハミパン」と呼ぶ場合(狭義のハミパン)、
* ボトムスから女性用や男性用下着がはみ出ることを「ハミパン」と呼ぶ場合(広義のハミパン)
がある。
ワイがハミパンを見んようになって、もうどれくらいが経つんかなあ……分からん、詳しい年月は分からんけど、もう10年くらいは見とらん気がする。ハミパン、永いこと見ちょらんわ。ハミパンレスや。
もちろん、ワイが提唱しとるハミパンは最狭義のハミパン、つまり 『ブルマー・スタイル・システムからはみ出している女性のパンティー』、こいつのことやよ。それ以外はハミパンやないし、あるいはこの方式を遵守しとらんものを、ワイはハミパンと認めることはできん。
さて、今日僕が論じたいのは 『我々男性がどれだけハミパン・シーンを愛でているか?』 、そこのところである。青春時代のあの頃、ハミパンは僕たちにとって真理の光だった、ハミパンこそが神だった。僕ら'83世代にとって、ハミパンは確かにそのような存在だったのである。
ハミパンとは、一体?
もう一度ハミパンを定義すると、それは即ち、ブルマー・スタイル・システムを着用した女児が、うっかりして己がショーツを外界にアウトする……その行為の総称だ。
「つまり、パンチラ?」
ノー。
"チラ" ではなく "ハミ" 。
この違いを強調したい。
僕はパンチラの価値を否定したいわけではない。
パンチラ、あれはあれで慈しむべき存在である。
けれども、今回強調したいのは、あくまでもハミパンなのだ。カレーの話をしている時に、ジャンバラヤの話をするべきではない。仮にその両方が等しく美味であったとしても、それはそれ、これはこれ、である。ご理解いただきたい。
さて、ハミパン。
これの語源については、大きく分けて二つの学説が対立している。
まず、語感そのままに 『はみ出たパンツ』、それを短縮してハミパン。今のところこれが学会における通説・判例である。
確かに魅惑的な論ではあろう。
しかし、我々がハミパンに心惹かれている時、単純に 『パンツがはみ出ている』 という状況に興奮しているのであろうか?
パンツがはみ出ている、いうなればそれはただの現象に過ぎない。その現象を、見たままにハミパンなどと名づけて、果たしてそれが我々の抱く劣情に対する "Answer" となり得るのか。どうにも、私は首肯しかねる。
ホーミー・パンツ。
私はこの説をパワープッシュしたい気持ちだ。
ホーミー、それは沖縄方言で女性器を示す隠語である。一般常識に照らし合わせれば、女性たちのホーミーを隠すパーツは間違いなくパンティだ。パンティはいつだって女性たちのホーミーと共にあったし、またそれは、時代がどれだけ移ろうとも変わることのない真実でもある。
ホーミーは、常にパンティの傍に。
つまり、ここに至ってホーミーとパンティとは ――概念的なレベルで―― 同化するのである。ホーミー≒パンティ、という方程式の出来上がりだ。
よってハミパン、これについての語源は 『ホーミーパンティ』、そうも考えられないだろうか。そしてこの言葉が時代を変え土地を変え、人々の間で転々と口伝されていくなか、ハーミーパンティ、ヒハミーパンテ、ハミーパン、ハミパン……と変化していった。この見解、私は非常に有力な学説であると認識している。
なぜか。パンティはただの "モノ" ではないからである。確かに、素材レベルでいえば 『布』に過ぎないかもしれない。しかし、我々 "生きている人間" を元素レベルで論じるのが(多くの場合)無価値であるように、 "生きているパンティ" を素材レベルで論じること、これもまた無価値だ。商品として陳列されているパンティに興味を示す人間は稀有であるが、ひとたび女性に着用されたパンティには呼気が芽生え、そのパンティには固有の意味が付与される。故に、女性たちがパンティを愛でる男性に対して 『ハァ?!あんなのただの布じゃん!!』 と激昂する状況、そいつは少々無知に過ぎるね。パンティ、それは布じゃ、ない。
もしも 『はみ出たパンツ』 説が正しいのであるとすれば、我々は 『マネキンからはみ出たパンツ』、これについても興奮を覚える必要が出てくるわけであるが、現実にそんな男性は皆無である。我々は ライブ(生) のハミパンにこそ興奮を覚えるのであり、やはりハミパンにはその背後にホーミーが存在してなくてはならない。ホーミーがあって、パンツが活きてくるのだ。その意味で、私は、ホーミーパンツこそ我々が情念を燃やすべき対象であると宣言したい。よろしいかな。
定義についての議論が長くなってしまったが、ようやく本題。僕たちメンズは基本的にハミパンを好む生き物、それは確かなのであるが、果たしてハミパンを頻繁に目撃することができるのか――これは、非常に難しい問題である。結論からいえば 『できない』 と断ずるほかない。
なぜか?ハミパンを導くための条件、それがあまりにもシビアだからだ。ざっくばらんにいえば、ハミパンを見るためには以下の要素が揃わなければならない。
1 体育の授業
2 男女合同
3 ブルマー・スタイル・システム
4 油断
4つ。この "4枚の壁" を乗り越えた時、初めて我々はホーミーパンティをこの手に、いや、この目にすることができる。
もちろん、既に成人してしまった僕にとって、これらの条件をクリアすることは不可能に等しい。ただ、僕は今回、皆さんに "かつて見たホーミーパンティたちがどれほど素晴らしかったのか?" ――この辺りのことをお伝えしたいだけなのだ。頼むから聞いてやって下さい。
現代において絶滅の危機に瀕しているブルマー・スタイル・システム。僕が中学生の頃は、ギリギリのところで生存しておられた。僕らの周りの中学生は皆、揃ってブルマー・スタイル・システムに従っていた。この点、当時の教育委員会のお歴々に対して 『分かっておられますね』 と深い賛辞を向けるべきであろう。未だサムライたちが生きていた時代だ。
いまのようにインターネットが発達していなかった頃である。ソー・ヤングであった我々にとって、"オカズ" の調達は本当に困難であった。どこかからエロ本やAVを獲得してくる剛の者も存在したが、それだって数に限りがある。スクールカーストの影響力は相当に強く、より良いオカズ(当時でいえば瞳リョウのAV)は、強者たちが真っ先に攫っていった。だから我々はいつも、搾りカスのようなオカズに甘んじるしかなかった。
そこでハミパンの登場だ。童貞の想像力、それは無限。遥か欲望の宇宙に思考を委ねることにより、束の間に見えた1cmのハミパン、これが比類なき存在へと昇華されていく。
「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
カエサルの残した言葉である。
当時の我々は、ひたすらにハミパンを欲し、かつ与えられたハミパンから 『見たい現実』 を飽くまで構築していった。僕たちの脳内でクラスメイトがプレイメイトへと変化していった。
ご存知だろうか。一見して偶発的な存在とも思えるハミパンであるが、実のところハミパンの発生にはかなりの "必然性" があったという、その事実を。
ハミパンが発生するには上述した1〜4の条件を満たす必要がある、それは確かだ。しかし何事にも例外というものがある。ハミパンにおける例外、それは第5の素因 『いつ、いかなる時でもハミパンをしている女生徒』 のことである。
信じられないかもしれない。
しかし、確かにいたのだ。
あの頃、僕の中学校には――毎度毎度確実にハミパンを披露してくれる、そんな女生徒たちが、少ないながらも、確かにそこに。
「4組の川崎、"ハミってる" ぜ……」
チンポで結ばれた熱い絆。
僕らは "ホーミー・インフォメーション" を皆で共有した。
様々な諍い、あるいは軋轢、ないし衝突。
そういうものは確かにあった。
けれど、ハミパンを求めているその一瞬だけは、我々に争いを忘れさせてくれたのである。
西にハミパンをする者があれば駆け。
東にパンをハミしている先輩がいると聞けば走る。
僕たちはパンツで結ばれた兄弟、パンツ・オブ・ブラザーズ。
実際、一部の女生徒たちはなぜか毎回ハミパンをしていた。ブルマのサイズが合わないとか、パンツが大きすぎるだとか、様々な理由はあったのかもしれない。しかし、普通ならすぐに改善されて然るべきではないだろうか。誰だって、好き好んで己のパンツを自己主張させたい……なんて願うことはないだろう。
「リルルは天使やったんや!」
往年の名作 『ドラえもん のび太と鉄人兵団』 における著名なセリフである。あの時の僕たちにとって、1年365日ホーミー・パンティを提供して下さる彼女らの姿、それは紛れもなく天使のそれであった。ありがとう――僕は十年越しに謝辞を述べたい。
人間とは業の深い生き物である。
ひとたび何か快楽を経験してしまうと、今度はより大きな快楽を求めてしまう。
足ることを知らない存在、それが僕たちだ。
悲しいが、それが真実である。
いつしか僕たちはハミパンだけでは満足できなくなっていた。ハミパンの素晴らしさを忘れたわけではない、そうではないのであるが――僕たちは求めてしまったのである。"パンモロ"、その地平を。
ハミパンと、パンモロと。
よく似た二つの言葉であるが、実際のところ両者の態様は驚くほど異なる。
後者は、すなわち、パンティをモロに見たい!という大胆な欲望だ。しかし残念なことに、このファックな世の中において 『パンティをモロに見せたい!』 という女性の存在、僕はそれを寡聞にして知らない。腐ったシーンである。
それでも。
繰り返しになるが、チンポの繋がりは強い。それが童貞の時代となれば尚のことである。我々は飢えた狼の目つきになると、一様にパンモロ・スポットを求めて彷徨い始めた。僕らが中学3年生の頃の話だ。高校受験なんてものはポキール検査の結果よりも些事であった。
尤も、パンモロ・スポットというサンクチュアリは生半に見つからない。そのスポットはいうなれば楽園、そこに至る道は恐ろしく見つけにくいものである。
町田康という作家は、綴る。
『滅びにいたる道は広く、光にいたる道は狭い。』
当時の生徒会副会長であった矢野くん、上履きに手鏡を仕込んだ挙句に社会から滅殺された。残念なことに実話である。矢野くんは、自ら滅びにいたる道へと歩みを進めてしまったのだ。楽園へと至る道は、狭い――私たちはそのことを忘れてはならない。
雌伏の時を経て。
我々は遂に "光にいたる道" を見つけることとなる。
楽園は我々の心理的盲点に存在した。
水泳の授業が終わった後、我が朋友であるケンジくんがだらしない笑みと共に僕を導く。
「こ、ここが……!」
「そうや!ここが俺らのユートピアやったんや!」
一見するとそこは何の変哲もない廊下であった。
しかしその地において、ひとたび我々が腰を下ろせば――その視線の先に小さな窓があったのだ。
当時、我々の教室の壁には、上窓と下窓、合計二つの窓があった。そしてその下窓からは、確かに女生徒たちの "足だけ" を窺うことができたのである。つまり、彼女たちに僕らの視線が悟られることは……ない。
「あんちゃんパンティや!パンティが見える」
「麦じゃ、麦になるんじゃ」
きびしい冬に青い春の芽を出した僕たち。
それでも世間は厳しく、僕たちは踏まれて、踏まれて。
でも踏まれることにより、一層つよく、大地に根をはった。
まっすぐにのびて、実をつけ、僕たちは "麦" を得た。
それは観念的レベルでの麦、パンモロ――
「ありがてえ ありがてえ」
「仏さんが 仏さんがおるでよ」
僕たちのフェイバリットは3年1組の柴田さん。彼女は水泳の授業が終わるたびに、その真っ白のパンティ・スタイル・システムを僕たちに披露あそばした。僕とケンちゃんは、まるでそれが義務であるかのように、僅か10分の休み時間をフル活用して、柴田さん(現在は看護士)のホワイト・パンティ・スタイル・システムのご本尊を己が網膜に焼き付けたものである。僕は 『眼福』 という言葉の意味を、その時知った。ただ、僕らがそれ以上何かを求めるような真似はしなかった。
『イエス・パンティ、ノー・タッチ』
それは紳士として、当然抱くべき矜持である。
その禁を破ってパンティに触るような輩、有り得ない。
僕らは変態であっても、クズではないのだ。
どうか察していただきたい。
その後、我々の学校からブルマー・スタイル・システムは排斥された。また、校舎の建替えに伴い、教室の下窓も排除されたと聞く。切ないが、それも時代の流れだ。それでも、そんなシビアな状況の中でも、中学生のメンズたちはきっと "光に至る道" を見つける。なぜだか、僕はそのように感じられてならない。
青春の砌、僕たちが "性" に対して抱く情念の度合いは異常だ。三権分立のことは何一つ理解していなくとも、ハミパンについてのデータを、あるいはパンモロスポットのひとつひとつを、僕らはつぶさに記憶していた。それが僕らにとっての全てであり、僕らにとっての光だったのである。
意味よりも感情が先走る瞬間。
僕はそんな無分別な時分を、何よりも愛おしく思うのだ。
余談になるが、8年後の同窓会に出席した際に当の柴田さんから 『つーかアンタら、廊下からウチのパンツ見てたよね?隠してたつもりかもしれんけど、みんな知っとったよ』 と、非常にありがたくない告白を受け僕らは狼狽、最後の気力を振り絞りながら 『じゃあ……隠せや……』 と正論そのものの意見をぶつけてみるも、そこには何らの説得力もなかったことをお伝えしておく。滅びに至る道は、やはり広い。
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中学に思い出と教科書とともに置いてくれば良かったなぁ
今日からお母さんのようなぬくもりを感じながら寝れるわ。
はみパンなんてないなぁ・・・
ブラチラはダメでしょうか
【肉欲より】
修正しました!ブラチラはなぁ……好きなんだけど、なんというか訴求力がなぁ……いや、好きなんですよ!?
えぇ、えぇ、聞くまでもありませんよ。
そこら辺に肉さんの魅力を感じるなと思ったよ(・∀・)
大きな違いがありますよね
行為そのものや根本の欲求は同じでも
ハミパンに失礼です!
なんつーか、まじ羞恥プレイ。
変質者との遭遇率が半端じゃない
地獄の釜の様な暑さではあったがソコは唯一エルドラドへ通じる聖域でありました
でもアメリカナイズ過ぎてオカズにはなりませんでした。
いや、それどころか最近はガードが堅く
リアル・ハミパン若しくはパンチラ、すら見たことがありません。
学校では下にハーフパンツを履く生徒が増えさらに機会は減り、まさに失楽園となってきています
しかし小生は諦めません。まだみぬparadiseのために
てゆか肉さん、よく社会的に滅殺されませんでしたね
流石肉さんだ
雑木林の
「得ろ本」
最近では見なくなったなぁ〜・・・
ブルセラの影響であっという間に見なく
なったブルマ。漫画だとよく見かけるが。
「サンキュっ(´・ω・`)b」
運動部のお決まりのやりとり。
ホーミーの方も・・・
今日という今日はずっと鬱で過ごすものと思ってたんですけど、こりゃあ早朝から縁起がいいや
彼女は元気だろうか……。
肉さんの文章は、忘れているような小さな記憶をピンポイントで突いてきますね。
俺?山下達郎死ねっ、サンタプレイうらやましい、とか言ってたら日が変わってましたよ
俺もクリック久しぶりにしたよ。
あの頃に戻りたいなぁ