前回の話はコチラから。
それ以前の話はコチラから。
「かつての俺の同僚に、与那嶺という男がいた。腕のいい手マン師でな。俺と相武とは同期だったんだが、会社に入ってすぐに頭角を現した」
新たに注文したブレンドコーヒーを飲みながら、御堂さんは静かに語り出した。外では相変わらず豪雨が降り続いている。しかし、その雨音が僕の鼓膜に届くことはない。
「与那嶺甞朗(よなみねなめろう)――本当に良い手マン師だったんだ。あいつは、本当に……」
周囲の雑音すらも最早耳には届かない。
聞こえてくるのは御堂さんの語る言葉だけであり、そしてそれは――
「あの日がくるまで、与那嶺は、俺たちと」
テーマンと極ク連を取り巻く、因縁の系譜。
・・・
――1988年3月 東京 新宿
「与那嶺さん。あなたとの契約、もう終わりにしたいの」
この言葉を向けられるのは、もう何度目のことだろうか。
与那嶺甞朗(よなみねなめろう)、27歳。
株式会社テーマンに勤める気鋭の手マン師だ。
その彼の下から、依頼者が続々と離れていっていた。
原因はハッキリしていた。与那嶺の抱える身体的な問題だ。与那嶺は、生来中指の第二関節が脆かった。この仕事を始めた当初は問題なかったのだが、無理を押して激務を続けているうち、彼の中指が遂に耐え難い悲鳴を上げた。
「……失礼します」
依頼主の家を後にする時、自然と暗いため息が漏れる。それも仕方のないことだろう。与那嶺が依頼主を失いだしてからというもの、これで23件目になる。気落ちをするな、という方が無理だ。
「また、か?」
事務所に帰ると同期の社員、相武が出迎えた。与那嶺は吐き出すような声で「ああ」とだけ返すと、乱暴に上着を脱ぎ捨てる。
「俺だって!俺だって頑張ってんだよ!!なのに顧客のヤツらときたら、そんな俺の頑張りを無視して……」
「与那嶺、その怒りは見当違いだ。お前が頑張っているのは認めるが、お客様が求めているのは"お前の頑張り"じゃない。"自分自身の快楽"だ。お前が頑張ったとしても、結果として顧客が離れるというのなら、やはりそれはお前の努力不足に過ぎない」
帳簿から目を離そうともせず、冷静な声で相武は言った。その言葉は間違っていない、決して間違ってはいないのであるが……正しさが分かる分だけ、与那嶺の中の苛立ちが膨れ上がる。
「だったら、このままでもいいってのか?漫然と他の連中に客を取られて、仕事を無くして。そのままでいろってのかよ!」
「俺はあくまで文官だ。現場でどう頑張るか、それは武官たるお前ら手マン師たちの仕事だろう。ここでガタガタ喚いてる暇があるなら、少しでも技術を上げる努力をするべきだと思うが?」
相武の放つ言葉はいつだって筋が通っている。だが、その道理が必ずしも現場に立つ者たちに通じるとは限らない。現に、与那嶺の抱えるストレスは耐えがたいレベルに達していた。
「もう手マンひとつじゃやっていけないんだ。俺たちは、もっと他のやり方……そうだ!クンニを取り入れるべきだ。なあ相武、お前だって本当はそう思ってるんだろ?」
「思わない。テーマンの理念は"手マンを通じて人々を幸せにすること"だ。仮に、快楽だけを重視したとして。快楽のためなら何をしてもいいんだ!という論調になったとして。その先に何が待っている?与那嶺、お前の矜持はどこにある?」
今度は帳簿から目を上げ、射るような視線で与那嶺を見つめる相武。普段は冷静沈着な相武であるが、その瞳には獰猛な獣のような光が宿っている。それでも、与那嶺が自身の主張を折ることはない。
「ご高説はこりごりだ。時代は変わった、それでいいじゃねえか!手マンがダメならクンニ、クンニがダメならもっと気持ちいいこと、そうやって変わっていかないと、俺たちは恐竜のままなんだよ!恐竜は絶滅するしかねーんだ!どうしてそれが分からない、相武!」
「俺たちは恐竜ではない。それぞれが独立した意思を持つ、手マン師だ。一時的に低迷することはあっても、滅びない。何度でも蘇る。なぜなら、俺たちには……誇りがあるからだ」
あるいは、その言葉を。相武は自分自身に言い聞かせていたのだろうか。確かに当時、テーマンの業績は傾きつつあった。社内の急進派の連中からも『クンニ導入案』がしきりと主張されていた。しかし、それを水際で押しとどめたのは、相武ら保守派の面々だった。だからあの時の相武の言葉、あれは丸ごと、保守派の叫びだったのかもしれない。
「……もう一度聞こう。与那嶺、お前の理想は、お前の手マンは、一体どこにあるんだ?」
事務所内を静寂が包み込んだ。与那嶺と相武、両者の眼差しが互いを射すくめる。理念を取るか、利益をとるか。二人の若い社員の対立、それはそのままテーマンの現状でもあった。
「お疲れ様でーす。いやあ、やっぱりまだ寒いっすね!でも今日のお客さんもいい感じで満足して下さって良かったスよお。ってアレ?どうしたの、二人とも?」
「何でもない。御堂、報告書は?」
「あ、悪い!いま書くとこだから、もうちょっと待って……与那嶺?どうしたんだよ、そんなに怖い顔をして――って、おい!与那嶺?与那嶺ぇー!!」
御堂は叫んだが、与那嶺は振り返ろうともせず事務所を後にした。それでも相武はデスクから微動だにしない。昔も今も、彼はおよそ感情の動静を表に出そうとはしないのである。
「ん、相武。お前、なんで芯の潰れた鉛筆持ってんのよ。つか、鉛の部分がすげー飛び散ってんじゃん」
「……別に。何でもない」
外形からのみでは分からないことは、どこにでもある。健康状態とか、環境汚染とか。誰かが怒っているとか、悲しんでいるとか、嘆いているとか。単純に外から見ているだけでは分からないことなんてものは、沢山ある。
「相武さん、大変です!」
だから、あの時。
「与那嶺がウチの社員の30%を引き連れて、極ク連――極東クンニ連合を、立ち上げたんです!」
与那嶺の抱えた憤りや諦念。あるいは、絶望。
それを、外から察することが――
・・・
「俺には、できなかったんだよ」
二杯目のコーヒーがなくなる頃、御堂さんは長い述懐を終えた。その表情は決して晴れがましいものではなく、痛くて苦い過去の傷を改めて思い返したような、とても複雑なものであった。
「その後、極ク連は、与那嶺という人はどうなったんですか?」
「破竹の勢いだった、というべきだろう。手マンという制約から脱した極ク連の連中は、派手に需要を開拓していった。奴らの掲げた理念は『イエス、ペロペロ。ノー、クチュクチュ』、『手マンを捨てようクンニを拾え』……これが、ウケた。手マン一辺倒だった市場にカンフル剤が投入されたようなもんさ。テーマンの顧客は一気に極ク連へと傾き、それから俺たちと極ク連との熾烈な争いが始まったんだ」
初めて知る事実だった。聞けば『なるほど、そういうのも有り得ることか』とは思った。しかし、僕自身"極ク連"なる団体の存在は知らない。もしもそんな組織が存在するのなら、立場上知っていてもおかしくないはずなのに……である。
「お前が何を考えているか、よく分かる。確かに極ク連は目覚しい勢いでその勢力を拡大していった。しかし奴らが会社を割ってから1年後……1989年8月に事件は起こる。極ク連の顧客たちが、自分たちの近所で飼われている飼い犬を次々と持ち去ったんだ。自分だけの"バター犬"を飼育するために、だ」
「そんな……バカなことが」
「事実だ。原因のひとつに、極ク連の設定したクンニ料の高さが挙げられるだろう。当時のレートで1クンニ3万円……これは、現在の日本円に換算して30万円に相当する値段だ。まあ、それだけ払ってもクンニをして欲しかったんだろうな。しかし、主婦たちの財布の中身だって無尽蔵なわけじゃないし、いつかは財政が悪化する。そしてその時、彼女らがとった行動が――クンニ犬の養成だったんだ」
「もちろんこれは大問題になった。トップブリーダー達は激怒し、騒動はアメリカの有力大富豪であるジョン=ペディグリーチャム氏の耳に入ることとなる。氏の怒りを真っ向から受けることを恐れた政府は、一つの法案を可決させた。それが独クン法、すなわち独占クンニ禁止法だ」
「法の施行を受け、官憲たちは極ク連の連中を次々に摘発した。また、当時のメディアがしきりと『クンニやめますか、人間やめますか』と煽ったのも大きかった。極ク連の勢力はあれよという間に削ぎとられ、いつしか泡沫に消えていった」
極ク連の台頭と、その没落と。いずれも初めて知る情報ばかりだった。確かにそのような過去があるのなら、極ク連の存在が歴史の中に消えていたとしても不思議ではない。しかし……。
「与那嶺は一体、どうなったんです?」
「そこなんだ。極ク連はどんどんとその力を失っていったが、首領たる与那嶺は最後まで抵抗を続けた。奴を支えていたのが恨みなのか、はたまた憎しみなのか。それは今でも分からない。ただ、1990年の5月――」
・・・
ばかに暑い日だった。
御堂と与那嶺は、玉川上水のほとりに立っていた。
「……今更、何だ」
「与那嶺、今ならまだ間に合う。頼むからテーマンに帰ってきて欲しい。お前なら事務屋だって立派に――」
「黙れ!」
激しい叫び声が川辺に響く。長く続く逃亡生活のせいなのだろうか、与那嶺の目元には深いくまがくっきりと浮かんでいた。
「お前らはさぞ満足だろうな。俺を追い出し、俺を追い詰め。手マン師にあらずば人にあらず……そんな風潮を作り上げて。心の中では大層愉快に思っているんだろう?」
「違う!」
「違わない。お前らは俺に何をした?ちょっと指が動かなくなっただけなのに、俺は頑張っていたというのに!何ら救いの手を差し出さず、努力が足りない、もっと頑張れ、なんて馬鹿の一つ覚えのように。だから俺は、極ク連を作った。手がダメなら、舌がある。舌を通じて世界を幸せに導ける――そう信じて、ただそれだけを、願って。なのに……」
どうしてこんなことになるんだよ――与那嶺の最後の言葉は、ほとんど搾り出すようにして発せられた。言いたいことは、言うべきことは、山ほどある。だが御堂の想いは、どうしても言葉になろうとしない。
それでも、言わなくてはならない。
手マン師として、かつて同じ釜の飯を食った、戦友(ともだち)として。
「お前は、間違ってるよ……」
「だったら証明してみろよ!言葉じゃなく現実で!俺の間違いを、ここで、全部!!」
「それはっ……!」
その時、二人のところに突然女性が現れた。与那嶺の前にひとり、御堂の前にひとり。いずれも30代前半と思しき容貌をしている。
「お前らの理念と、俺の野望と。そのどちらが正しいのか、今ここで。ハッキリさせようじゃないか」
言うが早いか、与那嶺は目の前の女性を押し倒す。まさか――御堂がそう思うよりも前に、与那嶺は恐ろしい速さで己が舌を動かし始めた。
「あ、あれは……!」
「ああ、ジェットクンニだ」
「相武?!」
いつの間にか御堂の傍らに相武が立っていた。相変わらず冷静な様子ではいるものの、その顔にはうっすらと脂汗が浮かんでいる。与那嶺が披露しているもの、あれこそが業界の中で『東十条の奇跡』と囁かれている魔技、ジェットクンニだった。
「何をボサッとしている。御堂、俺達の誇りを見せてやれ」
「しかし、相武!あの勢いを見ろ、あれに比べれば俺の手マンなんて……」
与那嶺の口元から、およそ人が発したとは思えない轟音が生成されていく。それに呼応するように、狂おしい絶叫を上げる女。与那嶺の唾液、そして女の生み出す愛液が相まってその日、玉川上水の水かさが1cm上昇した。
「技術なんかどうでもいい、御堂。お前は目の前にいる女性を、そのままにしていていいのか?彼女の寂しそうな瞳を見て、それでも臆したままだというのか?御堂――」
(お前の矜持は、どこにある?)
「……ッ!」
御堂が顔を上げると、そこには頬を紅潮させたまま立ち尽くす女性の姿があった。彼女は、欲している。それくらいは分かる、手マン師として。そしてそんな女性を目の前に、手マン師が何をすべきか。それは――
「……ショウタイムだ!」
一つだけだった。
「奥さん、奥さん?んー?あー、すっごい。これすっごいわ。もう水不足なんてウソ!ぜーんぶウソや!!」
「い、いやぁ!そんなこと、そんなことって……!!」
「ジュプププ、ジュプ!バババババ!!(奥さんここか、ここ舐められたらええのんか)」
「ダメぇ!言わないで頂戴!!」
夕日を背に、二人の男の激闘が繰り広げられる。
相武はその光景を見守りながら、ゆっくりとタバコに火を点けた。
「お前ら、バカだよ。本当に……バカだ」
別々に生じた線と線。
それらは、かつて、『テーマン』という点となって交わった。
でも線は、虚しく広がっていく。
その線が再び交わることは、もうない。
「……!」
戦いの刹那、御堂は指先に。
気が遠くなるくらいに遠くから、確かに"その音"を感じとった。
「?ど、どうしたの?もっと激しく……」
「――サツが来る!」
「え、でもそんな音、どこからも」
「感じるんだ!この手が、この指が!いま、サイレンの波動を感じている!逃げなきゃ!」
それは単なる予感ではなく、確信だった。指先を通じて、遥か遠くから近づいてくるパトカーの音を御堂はしっかりと感じ取った。究極の技法・手マンテナ。それが初めて発現した瞬間である。
「御堂ぉ!臆したか!」
「与那嶺ぇ!今すぐ逃げろ!このままでは警察が来る!!」
「黙れ!俺は逃げん!俺は俺の正しさを証明するために、ここから離れん!行かば行け!その時は俺の――!!」
「御堂、車に乗れ!」
相武の手に引かれ、半ば強引に車へと押し込まれる御堂。その視線の先には、高らかに笑いながら未だジェットクンニを続ける与那嶺の姿が、在った。
「与那嶺ぇーーー!!」
・・・
「その後、与那嶺は現行犯で逮捕された。公然わいせつ、強姦、独クン法違反。強姦については粘り強く否認を続けたし、俺自身もあれは強姦なんかじゃない、と思ってる。なんせ、挿入は一切していないんだからな。だが、裁判所は与那嶺による強姦の事実を認定した。懲役15年、それが司法の下した結論だった」
「そんなことがあったんですか……」
クンニ師との激突、そして幕引き。古い、古い話だ。語られざる歴史なんていうものは、どこにでも転がっている。けれど、多くの人間にとって、自分以外の個人史はほとんど無価値だ。どれだけセンセーショナルな出来事であっても、よほどのことでない限りすぐに忘れ去られてしまう。クンニ師の系譜もそれと同じことだったのだろう。誰にも語り継がれることなく、そっと歴史の影に埋没しようとしていた。
「与那嶺が出所したんだ」
だが――歴史はそれを許さなかった。
「一年前になる。勤めを終えた与那嶺は、娑婆に戻った。俺も奴の足取りを掴もうとしたんだが、全て徒労に終わった。別にあいつの行動を案じてのことじゃない。ただ、友達として。一人の戦友として、あいつと会いたかった。もう一度、話したかった。それだけのことさ」
「じゃ、じゃあ、最近の業績悪化は、もしかして与那嶺が?」
「その可能性は大いにある。というか、ほぼ確実になったと言っていいだろう。さっきあの奥さんと話してた男、あれは確実にクンニ師だ」
「どうしてそんなことを?」
「クンニ師は常に舌技の鍛錬を怠らない。現に、奴さんのカバンを覗いてみた時、その中には大量のチェリー缶が入っていた。下曽根、お前は気づいたか?奴の食べていたパフェ、その皿の上には丁寧に結ばれたさくらんぼの枝が乗っていたことを」
老獪、というべきか。その辺りの抜けの目無さは、さすがに『伝説の手マン師』と呼ばれるだけのことはある。
「クンニ師が動いているのなら、こちらも対策を講じねばならない。まずは状況の確認、そして指揮系統の統率。それから……ん、電話か?はい、もしもし――ああ?何だって!?」
御堂さんの表情が一気に強張った。二言三言何かを話しているようだが、僕の耳には何も聞こえてこない。手マンテナがあれば……そんなことを考えるが、今はそんなことを望むべくもない。
1分ほど経過した頃だろうか。
重々しい様子で、御堂さんが電話を切った。
「どうしたんですか?」
「……さらわれた」
「え?」
「相武が誘拐されたらしい。下曽根、事務所に戻るぞ!」
言い終わるのとほぼ同時に御堂さんが駆け出す。僕は混乱したままその背中を追いかけ、喫茶店の扉を開けた。
(クソッ!何がどうなってんだ!)
激しく降っていた雨は、今はすっかりやんでいて。
(つづく)
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今回も面白かったです。
その日玉川上水の水かさが1cm上昇した、のくだりとかw
内容は下ですけど、文章の流れとか構造的なものは秀逸の一言です!
なんかつくづく肉さんの文章は不思議ですよねぇ…
矜持とか老獪とかジェットクンニとか
換算するなwww
あと2回くらいはこのワードが出てきそう
本当にバカだなオイ
近所ー!!
それと同時に、対決してる時の情景が鮮明に浮かび、「駄目だこいつらwww」と思いました。
よって手マン師の勝ちですWww
そんな自分も最寄りは東十条の北区民。
続きが読みたい。
かくのはゆっくりでいいですよ。
続き気長にまっちょります