私はエレベーターの到着を待つ際、ドアのギリギリまで顔を近づけているのですが、そのせいでエレベーターから出てきた男性とキッスをしちゃったことがあります。慌てて謝ったら
「まあまあ、不可抗力ですから。お気になさらず……」
と、優しい言葉を向けて下さいました。それでも申し訳ない気持ちを拭いきれなかった私は、その方をお食事に誘ったのです。
夜になり、(事故とはいえ)キッスまでした私たちは光よりも早く打ち解けあい、私と彼はあれよという間に恋仲へと進展。今は幸せな生活を送っています。
幸せって、どこに転がっているか分からないものですね。
『エレベーターのドア直前で待つと素敵な出会いがある』
これってトリビアになりませんか?
(37歳 ビル清掃員 男性)
・・・
私は下着をあまり所有しておらず、現在のところパンツに換算すれば4枚しか所有しておりません。尤も、それが普通のことだと思っていたのですが……。
しかし先日、そのことを友人に話したら
『4枚はあり得ないよ。少なくとも10枚は所有しておかなきゃ』
といった趣旨の罵倒を受けて、困惑しております。一般の方々はそんなにも大量のパンツを所有しているのでしょうか?
確かにパンツを大量に所有していて困ることはないでしょう。けれども、冷静に考えればそんなに大量のパンツは不要な筈です。私に関して言えば、三日おきにパンツを洗濯すれば十分にパンツ・サイクルが成り立つ訳ですし。
勿論、うっかり洗濯をし忘れればパンツが足りなくなり、即座にノー・パンツでの一日を余儀なくされます。ただ、そういった緊張感は日常生活にメリハリを発生させますし、パンツ不足の故にノー・パンツ出社をしなければならない場合、それだけで一日がスリルに満ちたものになります。それって、パンツを10枚も持ってる人には及びのつかない領域ですよね。
おかしいのは私ではなく、世間の方なのです。
『持っているパンツが少ないほど、人間力がアップする』
これってトリビアになりませんか?
(22歳 接客業 男性)
・・・
私は原則的にトイレに行った後は手を洗わないのですが、そのことを友人に告げたところカマドウマを見るような視線を賜りました。もちろん私としても『世間的にはトイレの後に手を洗うらしい』ということを知っていましたが、まさかあそこまで不躾な視線に晒されるだなんて……正直、動揺いたしました。
ただ、ここでハッキリと主張しておきたいのですが、そもそも私は排泄行為に及ぶ際に一切手を使用していないのです。陰部を拭く場合にはトイレットペーパーを用いますし、その時私の手に触れているのは紙の繊維だけ。つまり、手を洗う必要なんて微塵もないのです。だって私は陰部に全く手を触れていないのですから。
この境地に至るまでには艱難辛苦がありましたが、今では立派なフリーハンド・プレイヤーです。
手を汚さないためには、自分の便状況、便コンディション、便スタイルなどを冷静に分析する必要があります。硬い一本糞をひり出す場合は問題ないものの、ゲル状のコウンを放出する時などは強い注意が必要。それは即ち己が健康状態を知るということです。
『今日は下痢気味かしら……』
と思ったとすれば、その日はお腹に優しいランチを食すべきです。そんなのって当たり前のことです。
でも、きっと日常的に手を洗う人は、そんなことお構いなしにトンカツや天ぷらなど油っこいものを召し上がるのでしょう。私にしてみればその方が余程信じられません。『手を洗うからどんなにハードな便が出てもオッケー』とでも思っているのでしょうか?しかしそれでは本末転倒だし、限りある水資源に対しても不誠実です。
彼らは、砂漠を旅している時にも手洗いに拘泥するんでしょうか?
そんなのって、ひどい理想論。
『トイレで手を洗う人は、心が弱い』
これってトリビアになりませんか?
(42歳 管理職 女性)
・・・
私の友人は二次元の女性を敬愛しています。けれど私としてはそんな友人の考えが理解できなかったので
「いや、その理屈はおかしいよ」
と諭しました。すると彼は烈火のごとく怒り出してしまって……。
その時に無遠慮な言葉を投げてしまった私も大人気なかったのですが、彼を間違った道から救いたい!という気持ちは確かだったのです。二次元作品のことを悪く言うつもりはありません。けれど、私は思うのです。完成したお仕着せのようなイメージ画像たちに、果たして未来はあるのか……と。出来上がってしまった一枚の絵に、どれだけ想像力を働かせる余地があるのか……と。
その点、私の溺愛する一次元は至高の境地であり、そこには茫洋としたイマジネイションの世界が広がっています。これを見て下さい。
『 ・(オニイチャン アサダヨ)』
どうでしょうか。あるいは
『 ・(オニイチャン キモチイイ)』
お分かりいただけましたか。この『・』という存在、果てしない可能性を孕んでいるのです。未来永劫この『・』という存在は色褪せません。
遠い未来、二次元の女性画に文化的な価値・歴史的資料性などは付与されるかもしれません。が、二次元の人物たちが永劫に "性的な魅力" を保ち続けられるのか?それに対する答は、おそらく『ノー』。
いま、江戸時代の春画で自慰行為をする若者、いないんです。
『二次元なんていらんかったんや!これからは一次元や!』
これってトリビアになりませんか?
(5歳 無職 男性)
・・・
私は幼い頃から体を鍛えるのが好きです。現在でもそうなのですが、結婚してからというもの、そんな私のことを妻が疎ましく思うようになってしまって……。
きちんと働いて欲しい!という妻の気持ちは理解できます。けれど、私にとって鍛錬とは、格闘とは、生きることそのものなのです。それを忘れて、ひたすら社会の歯車として働く――私には到底できそうにありません。
私は思うのですが、肉体的な強さというもの、それを限界まで突き詰めれば万能たり得るのではないでしょうか。現に私や私の友人は、マックスパワーを出せば地球一つくらいは破壊できます。まあ、そんなことをするつもりはないですが。あくまでも仮定の話です。
そんな私がチョチョイと力を見せ付ければ、どうなるか?そう、逆らえないんですよね、誰も。もちろん理由のない暴力を一般人に振るうことはありません。ただ、私の友人の一人に特徴的な頭髪(M字)をした方がいます。彼はひどく粗暴で、時おり大量の生命を奪うことがあり、確かにそれは悪いことなんでしょう。でもまあ、死んでしまった人だって頑張れば生き返りますし、そう考えれば大した問題でもありませんよ。
だからね、私は、死ぬまで働くつもりはないんです。
『大丈夫、ドラゴンボールがあれば生き返る』
これってトリビアになりませんか?
(42歳 格闘家 男性)
・・・
欲しいんですよ。何もかもが。欲しい!と思った瞬間、気持ちが止められなくなってしまうのです。
そんな私のことを『ひどいヤツだ!』という向きもあるでしょう。けれど、そんな人に僕は問いたい。友達って何ですか?友情ってどんな意味ですか?とね。
本当の友達なのであれば、僕が困っている時、あるいは何かを欲しがっている時に協力してくれるのが筋です。それを忘れて、ひたすら浅薄な意味で『俺たちって友達だろ?』なんて風潮、私は許したくはない。本当の友情というものは、自己犠牲の精神の上に成り立つはずです。
だからこそ、私は友人の所有する物を際限なく欲しがる訳ですが、それは彼らのことを『友人だ!』と認識しているからなのです。道行く他人が高価なアクセサリーを持っているからといって、それを欲しがるような真似はしません。そんなことをすれば、犯罪者になってしまいますからね。
誤解されることも多々ありますが、私の言動の根底にはいつも『お前は俺の友達なんだろ?』という思いがあること、それは確かなんです。
『お前の物は俺の物、俺の物は俺の物』
これってトリビアになりませんか?
(11歳 学生 男性)
・・・
人事関係の仕事に従事しています。そのため、弊社に入社志望の若者たちと会話をすることがよくあるのですが、ジェネレーションギャップと言いますか……とにかく、彼らと私との感覚の相違に違和感を覚えることが頻繁にあります。
彼らはしきりに夢や希望などを口にし、それ自体が悪いとは言わないのですが、ここで考えてもみて下さい。世間というものは皆さんの命、人生のことなど、まるで知ったことじゃありません。興味があるのは皆さんの金、皆さんからいくら搾り取れるか、それだけなんです。
とどのつまりこの世の正体は金の獲り合いで、その争いが終わるのは、企業なら破産、個人なら死去、つまり存在する限り、人は際限なく金を奪い合っていく。それが生きるということです。
働いて働いて、必死に働いて。そんな生活を10年余続けて、気がつけばもう若くない。30代半ば…40……そういう年になって やっと蓄えられる残金高が……1千…2千万という金なんです……。
2千万は大金……大金なんです……!
それを簡単に手に入れようと思うのなら、命を張りなさい……
人生をなめちゃいけない……。
『金は命より重い』
これってトリビアになりませんか?
(57歳 某グループ大幹部 男性)
・・・
生来正義感の強い私は、街の治安を守るために日夜頑張っています。落ち込むこともありますが、基本的にはやりがいのある仕事だな、と思っています。
直接的な暴力に対処するのは、ある意味で簡単です。こちらもそれに負けない力を蓄えれば良いからです。しかし貧困や飢餓、個人の抱える苦しみや悲しみ――これらを除去するには、単純な "力" だけでは追いつきません。
特に、空腹。私の街にも格差の波が訪れたのでしょう、道を歩いていると頻繁に飢餓にあえぐ子供たちの姿が見てとれます。その事態に私がどう立ち向かうべきか?長い間、このことに悩んでいました。
彼らにお金を与えれば良いのか?答はノーです。そんな対症療法では、何も解決しません。一時的に飢えをしのぐことはできても、それによって彼らが自立できるか否かは、本質において全く関係がないからです。
そこで私は、己の身を削って彼らの空腹を紛らわせることにしました。無論、体は痛みます。しかしそうすることにより、彼らは
『我々は他の生命を殺すことで生活を営んでいるのだ』
ということを認識できます。生きるとは何かを与えられることではなく、何かを獲得していくことなのだ――と。そして彼らは飢えを凌ぎ、『あした』を生きるための活力を抱くのです。
このやり方が正しいかどうかは分かりません。
ただ、私は無闇にカニバリズムの文化を推進している訳ではない……と、そのことを皆さんにお伝えしたいですね。
『ぼくのかお おたべよ』
これってトリビアになりませんか?
(年齢不詳 警備員 アンパン)
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悟空乙WWWWW
勉強になります
【肉欲より】
無論、適当です。
手を洗うのはトイレに入る前が正解だと思う。まぁ後も洗うが。
そのセンスがナイス
点は0次元
つまり ------ (縞パンハァハァ
なりません^^
・
がつぼったwww
全体を通してニヤニヤがとまらない
エレベーターを降りる時には気をつけよう。
修行、続けてたんですね。
どんなに短くても縦と横があるから。
・うんこの女のとこ・
・今日の夕食カレーだったんですよ・
・ダイエットにもいいですね・
いやぁおもしろいひとだなあ!素敵だ!