『小さな親切、大きなお世話』という言葉がある。
"小さな親切" とか "良かれと思ってする行為" というものは、実に扱い方が難しい。
誰かから向けられた行為が純粋な悪意に満ちているのなら、対応は簡単だ。無視するなり、反撃するなりすればオーケーである。
問題は相手が純粋な善意でやったことに対し、こちらが『正直それはちょっと……』と感じてしまう瞬間だ。そんな切ない心のすれ違いは日常生活のそこかしこに潜んでいる。
相手に悪気がないことを知っているから、怒ることはできない。曖昧に笑いながら『あ、ありがとうね……』と返すくらいがせいぜいだ。
それでも目の前の人は
「せっかくこの人のためにしてあげたのに、どうして苦笑いを浮かべているんだろう。失礼な人……」
と失意を感じてしまう。そして両者はそれぞれ "漠然とした不快感" を抱くことになるのだ。誰が悪い、ということではない。ただ人は時に悲しい――というお話。
詰まるところ『なるべく相手の目線に立って物事を考える』というマインドが大切なのだろう。当たり前のように聞こえるかもしれないが、これは意外と難しい。
『相手の目線に立って考える』
というのは、即ち『相手の価値観を理解する』ということでもある。常日頃から "自分" という尺度でしか物事を計っていない人の場合、相手の目線に立ってあれこれ想像するのは生半なことではない。
大人数での飲み会の場面を考えてみよう。酒の席においては、参加者の数が増えれば増えるほど会話の輪から外れてしまう人が出てくる。気付けばいつでも隅の方で酒を飲んでいる人というのは、どんな集団においても一人くらい存在する。
その時、幹事としてどう対応すべきか?それが勘所だ。
経験則上、幹事というのは基本的に社交的かつ明朗快活、トークの運びも上手く、また人望に厚い方が多い。それが幹事の幹事たる所以なのだろう。彼らは人と接することが大好きであり、場を盛り上げることが何より!と考えている。
そして幹事が、隅の方にちょこんと座っている人を見つけた時。
9割以上の確率でこんなことを思う。
誰とも会話をしていない⇒寂しいに違いない
正常な思考であるようにも考えられる。だが実際のところ、隅に座っている人が本当に寂しさを感じているのか?と言えば、それは誰にも分からない。当人しかあずかり知らないところだ。
『誰とも会話をしていない⇒寂しい』
という考え方は、あくまでも "幹事である自分がその立場だったら、どうか" という部分に依拠している。つまり、目線が自分基準なのだ。
一般論として『一人=寂しい』という論調は成り立つのかもしれないが、それでも一般論は一般論に過ぎない。例外だって当然あり得るし、一人の方が好きだ!なんて人は、この世に巨万といる。
だがそんなことは露とも知らず。
善意によって幹事は動く。
幹事「ねえねえ、そんなところに一人で座ってないでさ、こっちに来て皆で話そうよ!ホラッ、遠慮しないでさー」
「えっ……いやっ……」
幹事「ハーイ!じゃあまず自己紹介からしてみよっか?ね、名前教えて!」
「ああっと……その……」
幹事「出身は?趣味とかあるの?あっ、もしかして飲み物もうない?何頼むー?」
「だいじょ……」
幹事「ガッツリ飲んでさ、皆で盛り上がろうよ!お酒飲んでたら絶対楽しくなるし!」
「あ……うん……」
幹事(なんでこの人喋らないの……)
(放っといてくれよ……マジで……)
かなりあからさまに書いたが、僕自身こういった場面は腐るほど見てきた。盛り上がっていたはずの場は一気にシラけ、隅っこから連れてこられた彼は輪の中心で所在無げに佇むばかり。最終的に幹事も諦め、それでも彼を隅に追いやることなんてできない。そしてあたかも彼が "最初から存在しない" ような雰囲気の中、再び会話は弾んでいく。ひどく残酷な光景である。
幹事は知らないのである。
僕らの中には
『飲み会では積極的に会話に参加しなくても、その雰囲気だけで結構楽しめる人』
が存在することを。コミュニケーションが何より!と考えている幹事であればあるほど、そういう彼らの目線が理解できなくなる。
喋ってこそナンボでしょ?
酒飲んでこそナンボでしょ?
そう信じるあまり、彼らを無理やり表舞台に引きずり上げてしまう。
もちろん、幹事のそんな行動を一概に『最悪!』と片付けることはできない。幹事は幹事なりに頑張ろうとしただけのことであって、ただ結果が伴わなかったに過ぎない。
問題なのは、往々にしてこういう事態が発生してしまった時、幹事の側が後になって
「こっちが良かれと思って会話に誘ったのにさー、あいつって全然話さねーでやんの!マジ空気読めてないし。もう絶対呼ばねー」
と、陰口を叩くが如きケースである。自分の善意が踏みにじられたのだから、怒っても当然……と思う向きもあるかもしれない。しかしその善意がやたらと一方的なものだったとすれば、そこで怒るのは少々お門違いだろう。
『あの人は人前で喋るのが苦手だったのかも……』
と己の不明を恥じることはあっても、相手が自分の意図とは違う行動をとったからといって怒るのは、大人のやり方ではない。満腹の人に特盛の牛丼を出して「食え!」と言い、完食されなかった時に怒り狂っているようなものだ。その場合、いかに牛丼が絶品であったとしても、行為の本質には何の影響も及ぼさない。そもそも牛丼を提供すべきではないからである。
飲み会で一人で飲んでいるからといって、即座に『つまんないんだろうな』と決め付けるのは、少し待った方がいい。
友人同士で会話している時、じっと押し黙っている人に対して『ねえ、怒ってるんでしょ?』と断定するのは、いささか早急だろう。
その人にはその人なりの "呼吸" というものがある。
誰かに対して『何がしかのことをしたい!』と願う、その気持ちそれ自体は美しいものだ。けれど、相手にとってそれが本当に必要か否か?ということも、同時に考えるべきである。
『良かれと思って……』
その一言で全ての行為が正当化されるなら、この世は即座に世紀末社会と化すであろう。
親切、それは本当に扱いの難しいもの。
性的なことに関しても同じことが言える。さあここからが本番です。詰まるところここから先の日記を書くためだけに今までくだくだしく駄文を連ねてきたのであり、その意味でいえば飲み会の幹事?実にどうでもいい。チンコマンコの話がしたい。させろ!
さて、性的な意味での『小さな親切』。これも当然ある。いや、あった。あれは僕が19歳の頃の話である。僕の場合、このテの話は大抵19歳〜20歳の頃に集中している。誰も得しない肉欲情報だ。忘れておいて損はない。
冬であった。僕は当時付き合っていた彼女と下宿先の高円寺のアパートで談笑していた。付き合ってから未だ二ヶ月、まさに男がセックスアニマルと化すその時期。当然のことながら、僕は彼女と話しつつも『早く腰が砕け散るようなファックがしたいぜ』みたいなことを考えていた。明日も朝日が輝くか?なんてことより "今、そこにあるセックス" が何よりも大切な時分だった。
タイミングを見計らい、そっと彼女にボディタッチ。彼女は黙って受け入れる。カーン!心の中で灼熱のゴングが鳴り響く。六畳一間の風呂なしアパート、そこはあたかも戦いのワンダーランド。全身の血が一点に向かって収束していくのを感じる。僕が小宇宙(コスモ)の存在を実感する瞬間である。あるいはフォースと言い換えてもいい。気、とか波紋、とかでもいい。何でもいい。勃起だ。決して他言してはならない。
「今日、ストッキング履いてんだよね……」
湿った声で彼女は言う。見れば、確かに彼女は黒いストッキングを履いていた。真冬の話である。防寒対策としてストッキングを履いていたとしても、それは何ら不思議なことではない。僕は無感動に『ああ、履いてるね』とだけ答えると、彼女に潜む人体魔境を目掛けて探索を再開した。
「でも、伝線しちゃってさ……」
濡れそぼった声で彼女は言う。見れば、確かに黒いストッキングに一筋のラインが入っている。ストッキングは消耗品だ。耐久限度を超えれば、そのような事態も生じることだろう。僕は無関心に『ああ、伝線しちゃってるね』とだけ答えると、彼女の南半球に位置するヴァインフェルダー・マール湖を求めて歩みを進めた。
「だからさ……」
(なんだよやかましいな)「ジュテーム、なんだい……」
「破いて、いいよ……」 ←new!!
この人は何を言っているんだろう……。僕は戸惑いと共に彼女の瞳をじっと見つめる。そして、その瞳孔の中には確実にこう記されていた。 『男の人ってストッキング破ったりするの、好きなんでしょう?いいよ、アタシは気にしないから、好きなだけ破って、いいよ』 ――と。
待って欲しい!マルクル風に言うと、待たれよ。確かに僕としても『その方面』を専属にしている殿方がおわしますことは知っている。事実、そういうシーンを盛り込んだAVも確認済みだ。けれども、けれども。僕は別に、ストッキングなんて破りたく、ない。だからやめてくれ。
『男の子は仕方ないないんだよね?』
と慈愛と母性に満ちた目で僕のことを見るのはやめてくれ!ハッキリ言ってビッグなお世話なのである。
「昔の彼氏もすごい興奮してたし……」
ノーモアクライ!ノーモアクライ!何で女ってヤツぁ……へへ、聞きたくもないセリフをこうも易々と振りかざすんですかねぇ……昔の彼氏って、誰だ?何代前の性夷大将軍の話か。そんな幕末以前の話をされても、今の僕には何もできんよ。もしかすると昔の男の脇差と、今の僕の脇差とを比較したりもしているのだろうか?『今の彼氏ってすっごい小太刀でぇー』とか、スターバックスで何とかペチーノを片手に語っているのだろうか。アホな……。
「だから破いて……いいよ……」
100%の確信に満ちた目で彼女は再度呟く。
人は無力だ。こんなにも近くにいるのに、大切なことはいつだって伝わってくれない。どれだけ『好きだよ』と囁きあっても、本質のところでいつもすれ違ってしまう。彼女が親切心と共に発したであろうその言葉が、いま僕の胸に切なく、そして虚しく響いてくる。
果てしない懊悩が脳内を席巻する。
けれどそれも一瞬のことで、顔を上げると僕は意を決して口を開いた。
「今までストッキングとか破ったことないし、一回やってみたかったんだよ。嬉しいなぁー」
ウソを、ついた。
でもそれは、誰も傷つけない優しいウソ。
この行動により、きっと彼女の脳内で『男⇒ストッキング破りがマジで好き』という方程式が完成するのだろう。
それでもいい、それで彼女が納得するのなら、それがいい。
僕はあの時、確かにそんなことを思ったのである。
「じゃ、遠慮なく破らせてもらいまひょか!」(ビリリ ビリリ)
「アアー アアー」
「すっごい破れる!すっごい破れる!」 (メシッ メシッ)
「アアー アアー」
破りながら僕は確信する。
ストッキングを破られて興奮しているのは、確実に彼女の方である、と。ただその気持ちを『親切心』に置き換えて、僕にストッキングを破らせるように仕向けたのであろう、と。
それでもいい、それで彼女が納得するのなら、それでいい。
小さな親切を疎まず、快く受け入れること。
それもきっと、ひとつの愛の形なのである。
その夜、僕はビリビリに引き裂かれたストッキングを脇に放り投げ、倒錯と矛盾と興奮と諦念の渦の中、高円寺の空の下で力尽きた。事後、彼女は『初めてストッキングを破ってみてどう思った?』と言った趣旨のことを聞いてきた。だから、僕は静かに「サイコーだったさ」と答えた。
僕は今でも、あれは確かな優しさだった――と信じている。
翌朝、彼女より先に起きた僕は、見るも無残な姿と成り果てたストッキングを摘み上げると、そっとゴミ箱に放り込む。
朝日を眺めながらタバコに火を点けた。
まるで砂のような味がした。
古い、古い話である。
親切、という言葉がある。
聞こえがよく、また誰もが好みそうなその二文字。
けれど僕たちは、親切が時として相手に対して深い苦悩や絶望を与えうることを、忘れてはならない。
激しい手マンが相手に優しいとは限らない。
顔面騎乗を好む男ばかりではない。
『あっ、起きた?お味噌汁作ったから、食べてね!』という状況が大嫌いな人だって、いるかもしれない。
もし僕らが誰かに何かをしたい、と願った時。
それが本当に必要なことなのか?――それは、常に意識しておきたいことである。
あの日僕の手によって引き裂かれたストッキングに、哀悼の意を表しながら。
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たとえそれがストッキングを引き合いに出された話であったとしても・・・!
いっぱいあふれてそうな話しですね
途中まではツンデレっぽい
エロが無ければ入院してる母に見せたい。
ニーハイとミニスカの間の絶対領域は生足だからものすごくそそられるものであってそこにストッキング1枚挟んだことによって(ry
一概に言えない分、難しいですよね!
肉欲さんて優しい方なんですね。
タバコ…
や、何も無いです。
面白すぎるww
ノーモアクライ!ノーモアクライ!
ビッグなお世話だで噴出しましたwww
吹いた、いちご牛乳返してくれ
小さな親切、大きなお世話。俺の中での永遠のテーマだお(´・ω・`)