太古の頃、僕たちは裸だった。アダムとイヴを見て頂きたい。元々の彼らには着衣だなんて概念はなく、日がな一日を裸で過ごしていた。
時間は人を変えていく。いつしか人は服を着るようになる。その変化を悪いだなんて思わない。なぜなら、冬は寒い。自分の身を守るための着衣、そういうものはあっていい。
隠すことによって高まる価値もある。あるいは女性が全裸のままでいた場合、僕たちは秘部 ――オマンコ―― に対し、さしたる感慨を抱かなかったかも知れない。ただ歴史はそれを許さなかった。オマンコを、隠させた。オマンコに対して無形の価値が生じた瞬間である。
『オマンコを見たい』
それはオマンコが見えていない時には発生し得なかった欲求。オマンコが隠されることにより、僕らは胸に『オマンコ見たい欲』という未到の概念を手にすることとなる。
時代は移る。着衣に求められるものが単純な『機能』から『装飾』へとスライドしていく。単に身を守るためだけじゃあつまらない、どうせならもっとお洒落に、もっと美しくなりたい……人の心は、そのように変化していった。
『葉っぱ一枚あればいい』
そんなことを吟じた歌人もいた。確かに "オマンコを隠すこと" のみに拘泥するならば、その理論も成り立ち得る。けれど僕らはそれを是としなかった。
スカートという依り代が生まれた。おみ足は見せる、だけれども肌着は見せない――そんな扇情的なマテリアル。この『スカート』という概念が持ち込まれることにより、僕たちは新しいエロスを発見することになる。それは『パンチラ』という新機軸のマインド。
エロを求める心、それは即ち知的好奇心のことだ。
『隠されているものに潜む深遠を知りたい』
詰まるところ、男性の性的興奮はそんな考え方に起因する。365日の全てが青空であった場合に
『青空を見たい』
と願う輩がいるだろうか?そう、いないのである。
毎日が曇りだからこそ、僕たちは青空に思いを馳せる。オマンコ、あるいはオパンツだって、同じことだ。普段目に見えないからこそ、僕らは
『オマンコ、とてつもない眼福……』
ということを思うのであるし、また
『パンチラ、まさに法悦……』
といった境地に至る。
付言しておけば、僕たちはパンツやオマンコそれ自体に絶対的な意味を見出しているのではない。隠されていた状態が開示される刹那、すなわち視覚的に現れた陰陽 ――磁場が陰(Ying)から陽(Yang)へと移行する瞬間―― にこそ心を震わせているのだ。決してパンツ単体だけを愛でているわけではない。
だからこそ僕たちは熟年の女性がパンチラをカマす時、あるいはとてつもなく特徴的な顔面をした女性がマンチラをカマす時、理性よりも前に本能の部分で
「これは見逃せない」
と思い、脊髄反射で視線を向ける。当然その後に後悔が訪れるのであるが、それでも『とりあえず見る』という呪縛から僕たちは逃れることができない。対象が力士の如き女性であれ、カマドウマのような老婆であれ、だ。本当に罪深い生き物だと思う。
『男は裸に興奮するんでしょ?まったく男って(笑)』
暴論甚だしい、と言わなければならない。そりゃあ僕らは女性の裸が好きだ。ただ難しいところだが、普段から全裸で過ごしている女性がいたとして、その人の裸体に興奮を覚えるかと言えば……おそらく大部分の男性は『NO』と答えるであろう。その人の場合、僕らの目に見えるのはひたすらに陽(Yang)の状態でしかないからだ。闇夜なき朝日を崇める人間は少ない。
裸には理由が欲しい。直前まで確かに服を着ていた、その匂いこそが何より大事なのである。むしろ裸でない場合の方が扇情的なケースも多い。はだけた浴衣、微妙に崩れたキャミソール、少しだけ破れたストッキング。
『もう少し!あと少しで…見えそうじゃないか……』
女性が演出するそんな絶妙な按配、この時にこそ僕たちのパッションは最高潮を迎える。あまり丈の合っていないセーラー服を着た女子高生が背伸びをした瞬間にチラリと見せるヘソ――ややもすると、全裸状態よりも余程にエロいスペクタクルだ。
裸よりも大事な戦いが、ある。そういう風に考えた時、文化の発展も決して無駄なものではなかったと強く感じさせられる。もしも古より僕らが全裸であったらば、上述したような『侘び寂び』ないし『もののあはれ』みたいなものは、絶対に体得できなかっただろう。
毎日がヌーディストビーチのような状況にあって、僕たちの心は豊かになれたであろうか。答はやっぱりNO。再三になるが『隠されることによって高まる価値』というものは、確かに存するのだ。
しかしながら、近時の女性たちは急速な勢いで誤った方向に進みつつある。そんな僕たちの心を無視して、より隠そう、もっと隠そう!と過剰な『隠そうムーブメント』に足を踏み入れつつあるのではないか。僕たちのエロ心を派手に無視しているのではないか。
いわゆるレギンス問題、である。

(参考資料)
なんだねコレは……なんだねコレは!!アァー!?責任者出てこいよオイ!!ふざけるなよ、オラッふざけるなよ!!こんなブツを俺たちに見せ付けてよー、アンタらは一体どこに行きたいんですか。海ですか。山ですか。もしくは、月ですか。ふざけるなよ。FUZAKERUNAYO!!
マンコを隠したい気持ちは分かる。洗いざらしのオマンコ、寒いものな。だからアンタらはパンツを履いた。でも、パンツだけでも寒いよね。そしてアンタらはスカートを履いた。そこまではいい。その後お前らは何をした?何だ、この『レギンス』とやらは……マンコ三重奏ですか?パンツ+スカート+レギンス、という未曾有の防御壁?全く、大した専守防衛っぷりだ。あんたらはまさにオマンコ界のペンタゴンや。大した国粋主義者だ。
シャラップ!!何がオマンコ防衛庁、ですか。スカートまでは許す。なぜならスカートがなければパンチラ、できないのだから。パンチラのない世界なんてひどく乾いているし、辛くて寂しい。パンチラのない世界なんて肉欲、耐えられない。
だけれども、レギンスって…レギンスっていうものは……あたかも税金の二重取りが如き業悪な所業ではなかろうか?国の方で消費税を徴収しておきながら、地方自治体からも消費税を取られる、みたいな冷血な行いなんじゃないんですか。そこまでして守りたいものって、何?僕たちを苦しめてまで守りたいマンコって、何?
『いや、レギンスとかお洒落の一環だし…マンコを守りたいとか別にそんな……』
目を見て答えてよ!!その言葉がウソじゃないなら、アタシの目をみて答えて頂戴。ホラ、物語ってるじゃない。アンタの泳いだ目が、荒れた呼吸が……全てのことを物語っているじゃない。いいの分かってた、そんなの最初から、アタシだって全部分かってたし。
でも思い出して欲しい。芽吹く春に、そよ風の悪戯を待つ僕たちの心を。盛夏の折に、一陣の海風を待つ僕たちのハートを。初秋の頃、突然の台風による突風を待つ僕たちの気持ちを。真冬の最中、空っ風が吹くのを待つ僕たちの祈りを。それらは全て、パンチラを待つピュアな下心。"メトロの通気孔"というのも加えていいだろう。
そんな時、"いい風"が吹いた時に、あなたたちのスカートの向こう側から見えたのが果たして ――レギンスだったらば―― 僕たちは一体、何を信じて生きていけばいいのか。何を頼みに、晩年を過ごせばいいのか。考えてみて欲しい。そんなことを、一度だけでも。
あと、一度だけ冷静に考えてみてほしいのだが、レギンス。

(なんと禍々しきことよ)
モモヒキですわ。完全にこれはモモヒキ。どれだけ綺麗な言葉で隠そうとしても、『レギンスはモモヒキだよね』ってことなんでしょ。女の言う『あの子はポッチャリ系だよね』は『あの子マジでデブだよね』っていうことなんでしょ。『マユミ可愛い!声とか超可愛い!』ってのは『マユミって褒めるところが見つからない』っていうことなんでしょ。聞こえのいい言葉に騙されるものか。
イエス・パンチラ、ノー・レギンス。男性たちよ立ち上がろう、そして打ち砕こう!この腐った社会(シーン)を。もしもこのままレギンス・シーンが隆盛を極め続け、あるいは一億総レギンス時代に突入したら、どうします。
その時、孫に対して胸を張って
「おじいちゃんなあ、必死になってこの国を支えてきたんじゃよ」
と言えるでしょうか。パンチラもないような暗黒の世紀を孫に、子孫に残して良いのでしょうか。
愛は希望だ。エロは夢だ。夢は、次代に受け継いでいかなくちゃならない。夢から夢へ――それは、僕たちの心のバトンとなって。春画、黄表紙、ロマンポルノに官能小説、そして現代のエロ本ないしエロ動画、あるいは同人誌……時代によって形を変えながら、僕たちは確実にバトンを受け継いでいく。
だからこそ僕たちは叫び、あるいは願い、もしくは祈る。イエス・パンチラ、ノー・レギンス――と。パンチラの火を、絶えさせてはならないのだ。分かるか?!
ストッキングは良い。全く問題がない。レギンスとストッキングと、何が違うの?という疑問もあるかと思うけれど、ハッキリ言って全然違う。
ストッキングの場合、目を凝らせば女性の素肌がこの目に見えるからだ。可能性、という側面から考えた時、ストッキングには "伸びしろ" みたいなものが多分に含まれている。突風が吹き荒れた時も、ストッキング越しにパンツが視認できる場合もある。
つまりレギンスとストッキングでは、それぞれが抱く 『魂』 みたいなものが全く異なるのである。上辺に囚われて状況を同一視してはならない。また、『ストッキング』というジャンルそれ自体が確立されている点も重要だ。ST(=ストッキング)には文化としての重みがある。
『レギンス』で検索してみると、こんな説明書きがあった。
【・・・これらは下着から発展したもので、1980年代中頃からボディラインを強調したファッション(ボディコン)の流行によりアウターとしても注目を浴びるようになった。現在では短く薄手のスカートの下に長いスパッツを組み合わせるなど「見せる下着」に戻った着用法も見られる】
見せる下着。まことに腐った概念である。女性の方々に申したいのであるが、下着は全力で隠して欲しい。僕たちは、隠された下着を全力で暴きにかかる。つまりこれは戦いなのだ。守るからこそ攻めたくなる――僕たちはその時、精神世界でハンターと化す。あなたたちが隠してくれるお陰で、僕たちはどこまでもストイックになれるのだ。そこにあって、初手から下着を見せられたとすれば…待ち受けるのは、日本男児の総弱体化であろう。
狩人のマインドは失われ、目力はなくなり、勃起力も著しく低減する。国力は衰退し、少子化は爆発的に進み、稲は枯れ、山は朽ち、海は死に、四半世紀のうちに日本は消える。レギンスを履くという行為は、突き詰めていえばそうなる。いま、女性の担うべき役割は大きい。
熱く語ってしまったが、それも全てこの国の未来を憂うからこそのことである。ご理解いただければ幸いだ。もちろんレギンスを絶対に履くな!とは言わない。四年に一度くらいのペースであれば、僕も何とか耐えられるだろう。ただそれ以上の頻度になるならば……超法規的手段が発動しない、とも限らない。心してレギンスと向き合って欲しい。
イエス・パンチラ、ノー・レギンス。
人気ブログランキング
全く持ってその通り、レギンスを愛用している女性はたるんでいるように感じる・・・。
スカートの下にジャージ履いてるやつ・・・おったよね。
ありがとう、肉欲さん。
そして
イエス・パンチラ、ノー・レギンス。
僕は、全力を挙げて、その会社の悪評を流す。
そういうマインドですよね。
チンポサイコー」
おマタの所が気持ち悪い感じがするからww
歴史は繰り返すのでしょうか。時の流れはいつも僕たちから平穏を奪っていくのでしょうか。
パンチラ以前に、どんなに美人が履いててもカケラもお洒落に思えんのです
レギンスにもストッキング素材のものがありますよ^^
僕が思うに表しているオブジェクトは同じでありながらも、オマンコはコマンより、ストレートに伝わり易く、ツンパの方がパンツより、エンタテインメント性に優れているのです。
そして肉さんは今やオマンコ派、つまり思いをより伝えやすい方に走っているのだと思われます。
そこに作為があるかどうかは知りません。
そしてそれ自体にはきっと正解不正解もありません。
きっと「昔の肉欲」を求めている人々は、ただひたすらに面白い、娯楽的な「肉欲企画」が読みたいのだと思うのです。
まぁ個人的には結局みんな良心と常識に従って好きにすればいいとおもうんですけどね。
あ、レギンスを履いて油断している女性のパンツのラインが見えると「勝った・・・!」ってなりますよ。
冷えから腰を守るため!
万歳!!
ただし、女性人諸君よく聞いてくれ。
パンツのところだけ大穴をあけてはいてほしい。
面倒だと思った方・・・だったら、レギンスなんて履くのやめちまえ!!
黒ストッキングからうっすら見えるパンツは年末ジャンボ宝くじ。
こにゃにゃちわ。
あれ天才的ですね。
感動的です。
本能をよく理解してらっしゃる。
見せる下着などすでに下着に非ず。レギンスなんてのは下着の概念を狂わせた風雲児ですがな。
つまりニーソですよ!
絶対領域ならきっと肉欲さんの欲求を満たしてくれるのではないでしょうか?
ニーハイもいいと思う
ただレギンスは駄目なんだよな、薄手のレギンスは好きだけど
っていうのはどうだろう。
また違う味わいがある気がする。
おかげで僕の長年の苦悩が解かれました。本当にありがとうございました
ノー・パンチラ、ノー・ライフ!!