2008年09月03日
至高の手マン師と呼ばれた男 1
きっかけは一通のメールだった。
【緊急】手マン師募集のお知らせ
ただの迷惑メールだと思った。『会員の女性とお付き合いいだだくだけで報酬をお支払いします』――その手のメールは一日に何通も届く。もちろんその全ては詐欺まがいのものであり、現実には報酬を受け取るどころかこちらが金を支払わされるケースばかりだ。
「女性会員に手マンをしていただければ相応の報酬をお支払いいたします……か」
馬鹿げている。僕は率直にそう思った。何ら面識のない女性を愛撫できるというだけでも充分魅力的なのに、それに加えて金銭まで得られる?そんな美味しい話などあるはずもない。僕は事務的な手つきでメールをゴミ箱に運ぼうとした。
「…でも、ちょっと面白そうだな」
暇つぶしになれば――そんな好奇心ともつかない思いを抱いた僕は、もう一度手元のメールを読み返す。
【緊急】手マン師募集のお知らせ
あなたの手マン、世の寂しい女性のために役立ててみませんか?簡単なお仕事です!あなたは当社が紹介する女性会員の方に手マンをするだけで結構。結果の如何を問わず報酬をお支払いいたします。会員の方がご満足いただければ報酬は更にアップ!また、特定の会員の方と専属契約を結ぶことも可能です。『手マンのテクにはちょっと不安が……』というシャイな殿方も安心!経験の浅い方には当社に所属する優秀な手マニストたちの特別講習もご用意しております。いま、手マン業界は未曾有の人手不足!このチャンス、是非お見逃しなきよう……。詳しくは当社のHPまで!
株式会社 テーマン
担当:相武 素季
http://www.te-man.com
あからさまに詐欺の臭いがしたが、僕は構わずメールに記載されていたURLをクリックする。万が一金銭を要求されたとしても、ワンクリック詐欺の請求など放置しておけばそれでこと足りる。大体、HPを訪れただけでこちらの素性など分かるはずもない。僕は冷笑的な態度で株式会社テーマンのHPを開いた。
「なんだこれ?」
真っ黒の背景に、女性の裸体画像が踊っていて――僕はそんなHPが登場するものとばかり思っていた。しかし現実に僕の目に飛び込んできたものは想像と大きくかけ離れており、そこにあったのは一般的な企業のHPそのものだった。違うサイトに飛んだのだろうか?そう思ってもう一度メールを確認するのだが、僕が開いているのは紛れもなく株式会社テーマンのHPである。
詐欺サイトと決め付けていたが、果たして本当にそうなのだろうか――?テーマンのHPを精査していく内、そんな猜疑的な思いが胸に湧き上がった。その中でひときわ目についたのは『無料説明会のお知らせ』の文字。半ば導かれるようにして無料説明会のページを開くと、ちょうど三日後に新宿にて説明会が開かれる予定であることが分かった。僕は数分ほど考えた挙句、意を決して携帯電話を取り出す。
「もしもし、テーマンさんですか?HPを拝見したのですが、三日後の説明会に参加いたしたく……ええ、そうです……はい。名前は下曽根で……になります。では、宜しくお願いします」
短いやり取りの後に電話を切ると、自然と大きな溜め息が口から漏れ出た。どっかりとソファーに背を預け、茫漠と窓の外を眺める。視線の先には気持ちのいい秋晴れが広がっていたが、僕の胸中は緊張とも興奮ともつかない不思議な心色が広がっていた。
・・・
「どうもはじめまして。本日の説明会を担当する相武と申します。さて、早速ですが……」
説明会は小奇麗な会議室にて行われた。参加者は僕を含めて10人前後で、当然ながら全て男だった。こいつら全員が”手マン師”志望なのか――そんなことを思うにつけ、奇妙な連帯感を覚えてしまう。年齢もてんでバラバラのようで、一番の年長と思しき男はおよそ60代半ばといった風貌であった。
「…以上で当社のポリシーと業務内容の説明を終わります。それらに同意していただける方と正式な契約を結ぶことになりますが、ここまでで何か質問はありますか?」
カッチリとしたスーツに身を包んだ相武が、鋭い視線で僕らのことを睨め付ける。その雰囲気はおよそ詐欺師としてのそれとは程遠く、あたかも一流商社マンの如き峻厳さを兼ね備えていた。
『これはただの手マン会社ではない……』
この時、僕はようやくそのような思いを抱くに至る。
「すいませーん、質問なんスけどぉ」
突然発せられたその声の主は、五分刈りの髪を茶色に染め上げたいかにも頭の悪そうな青年だった。軽い口調に不遜な態度、目鼻立ちの整った容姿。それらの全てが彼の少なからぬ”経験人数”を雄弁に物語っている。
「例えばぁ、手マンしてる時に盛り上がったとするじゃないスかぁ?その場合ってぇ、相手のオンナとヤッちゃってもいいんスかぁ?」
おそらくそれは、この場にいた誰もが気にしていた事柄であろう。手マンの先に、セックスはあるのか――ある意味で、男ならば当然抱くべき疑問かもしれない。それとなく周囲を見渡すと、他の参加者も男の発した質問に対する答を興味深そうに待っているようだった。しかし、その刹那。
「ご退室願おう!」
相武が怒気を孕んだ声で叫ぶ。同時に後ろ手にあったドアが荒々しく開かれ、そこから黒い服に身を包んだ屈強な男たちが次々と入室してくる。男たちは一糸乱れぬ動きで質問を発した男を抱え込むと、あっという間に男を部屋の外へと連れ出した。それは時間にしておよそ数秒ほどの出来事であったが、参加者たちに多大なるインパクト、あるいは名状しがたい恐怖感を与えるに十分なものだった。
「当社の掲げるポリシーは『手マンを通じて女性に幸せを与えること』です。戦後の動乱期、物資も娯楽も欠乏した状態にあって、国民の目は一様に死んでいました。その中で、どうにかして楽しみを享受することはできないか――そう考えたのが当テーマンの創始者、馬田種之助氏でした。テレビもない、ラジオもない、車もそれほど走ってない。そんな状況で一体何ができるか?馬田氏が懊悩の末に至った結論、それが”手マン”だった。手マンに道具はいらない、なのに手マンは気持ちいい。そこに着目した馬田氏は、焼け野原の一角にバラックを建ててテーマンを立ち上げたのです」
「苦労の連続だった、と聞きます。まず、我々の事業は当初誰にも理解されなかった。不道徳だ!風紀の乱れを助長している!――様々な声の中、馬田氏は多くの弾圧を受けました。それでも馬田氏は歯を食いしばり、地に伏せ、必死に耐えた。そうする中で少しずつ顧客も増えてきたのです。が、そこで次の問題が生じてしまう。従業員が顧客と恋愛関係を育んでしまい、そのまま退社するケースが相次いだのです。それは即ち労働力と売り上げの消滅を意味し、商売が軌道に乗りかけていたテーマンは未曾有の危機に陥ります」
「馬田氏は考えました。
『手マンに色恋、あるいは性愛を絡めてはならない』
と。
『手マン師は手マンにのみ心血を注ぐべきである』
と。それからのテーマンは大きく変わりました。手マン師たちに手マン師としての矜持を叩き込み、決してセックス行為に着手しないように教育した。頼るべきは己の手、指のみである――毎日毎日、繰り返しそのことを教え込んだのです。
『安易にチンポに逃げる人間は、心が弱い』
それは馬田氏の終生に渡って抱いていたポリシーなのです」
「皆さんはこの方程式をご存知でしょうか。
Y=1/X
Yは女性の満足度、Xは男性の性欲の高まりを意味します。Xが1の状態、これは一般的な成人男性がオナニーを一日我慢した時の性欲段階です。Xが2の場合はオナニーを我慢して二日目の段階、3の場合は三日目の段階…と、数字が上がるにつれて性欲が高まっていることを意味します。そしてXが分母にあるということは、その数値が高まるにつれて女性の満足度が相対的に低くなることになる。逆に、男性の性欲が低くなるにつれ ――換言すれば、男性が冷静であればあるほど―― 女性の満足度は高くなってくる。例えばXが0.1というのは、男性がオナニーをして10分後の状態と同じく評価できるのです」
「男性が『チンポを挿れたい!』と願う時、それは性欲の高まりを意味します。手マンなんて面倒臭い、急いでマンコに蓋をしたい――少しでもそう願ったとすれば、我々の手マンは精神的な意味で死を迎えます。中指のムービング度合いはぞんざいになり、同時に『ただ激しいだけの手マン』へとスライドしていく。そんな手マンを女性が喜ぶかといえば――それに対する答え、それはあまりにも自明なることでしょう」
「手マン師としての尊厳を。私が伝えたいのはその一点です。汝、チンポに逃げ給うこと勿れ。これはイエスの言葉です。誰(た)が為に手マンは爆ぜる――?等しく、女性のため。己のためにする手マンなど、この世にあってはならないのです。そう考えればこそ、先の男性が発した『そのままお客様とセックスをしてもいいのか』という問い、あれを許すことはできなかった」
「長くなりましたが、どうして手マン師が存在するのか?もし皆様が当社で働くことを選ばれるのであれば、そのことは常に胸に秘めておくべきでしょう。ひいてはそれがお客様の、そして皆様の幸福に繋がっていくのだから。長くなりましたが、私からは以上です」
――気付けば僕は、ほとんど呼吸をするのも忘れて相武の言葉に耳を傾けていた。それは余の者も同じのようで、会議室の中には水を打ったような静けさが広がっている。僕は寸前まで紡がれていた相武の言葉をもう一度反芻する。
『誰のための手マンか』
蓋し金言だった。冷やかし目的でこの説明会に足を運んだ自分の浅ましさを、恥じた。
「ここで働かせて下さい!」
最初に名乗りを上げたのはこの中で一番高齢と思しき男だった。その声が契機となり、会議室のあちこちから『俺も!』『ぼ、僕も…』という声が続く。心なしか、参加者の目のいずれもが希望に満ち溢れているようだった。そして、そして僕は――
「…働かせて下さい。僕を、手マン師にして下さい!!」
悩みはもう、微塵もなかった。相武は僕の方に視線を向けると、穏やかな笑みを浮かべたのであった。
(続く)
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