「それではこれから講習に入ります。皆さんの経験値がどのくらいのものかは分かりませんが、いきなり現場に出向いてもらう訳にはいきません。今日は当社の抱える伝説的手マニスト、御堂扱麻呂(みどうこきまろ)さんにいらしてもらいました。御堂さん、よろしくお願いします」
相武の拍手の後、部屋の奥から御堂と呼ばれた男が現れる。中肉中背、うだつの上がらない風采、年齢は大体50代後半くらいであろうか。
(この男が伝説的手マニスト――?)
言ってしまえば御堂はどこにでもいそうな中年だった。こんな男に講師を任せて本当に大丈夫なのだろうか?無意識的にそんなことを考えてしまう。しかし、御堂がポケットから手を出したその刹那。部屋にいた男たちの全身に電流走る――。
(あれは…手マンだこじゃないか……)
御堂の中指の第二間接辺りに、ビー玉ほどの大きさの出来物があった。医学的には胼胝(たこ、べんち)と呼ばれるものであるが、専門家の間では『手マンだこ』の名で知られている身体的特異である。その稀有性、あるいは神々しさ故に一部の者からは『勾玉』とも呼ばれている代物だ。僕自身、現物を直に見るのはこれが初めてのことだった。
「はじめまして、御堂です。これから皆さんに手マニストとしての心得を伝えるべく話をするわけですが、喋るのはあまり得意じゃなくてね……うん、そうだな。キミ、そこのキミ。ちょっとこっちに来てくれ」
それは突然のことだった。御堂氏は僕を指名すると、手招きで壇上へと呼び寄せた。一体何が起こるのだろうか……僕は湧き上がる戸惑いを抑えつけ、冷静を装って壇上に向かう。
「よし、じゃあまずはズボンを脱いでもらおうか」
「ど……どうしてですか?」
「どうしてって、そりゃキミに愛撫を施すために決まっているじゃないか」
御堂氏の口からとんでもない言葉が飛び出す。こんな衆人環境の中で愛撫されるだって?そんな、バカなことを!僕は心で叫んだが、御堂氏の眼差しは真剣そのものである。まさか……本気で愛撫を試みるつもりなのだろうか。それは一体、何のために?
「どうして?という目をしているね。気持ちは分かる。でもね、僕はこう思うんだ。海を泳いだことがないのに、魚の気持ちが分かるのか?空を飛んだこともないのに、鳥の気持ちを歌にできるのか?って、そんなことを」
「手マンだって同じことさね。手マンをされたこともないのに、手マンをされる者の気持ちが分かるのか?僕はね、そのことを君に、ここにいる皆にもう一度考えてもらいたいだけなんだ。分かるね?」
手マンをする者と、される者と。究極的に言ってしまえば、世の中にはその二通りの人間しかいない。そして僕らはこれから『する』側に属することになる。でもその時、『される』側の気持ちの理解が十分なものでなかったとすれば?独りよがりな手マンを繰り返すような人間になってしまえば?そんな人間は、きっと立派な手マン師になること能わないだろう。
「分かりました、僕……脱ぎます」
「いい子だ」
ベルトに手をかけ、震える手でズボンを下ろす。その時、講習会に参加していた人間の視線が自分の下腹部あたりに集まるのを感じた。やだ、見ないでっ……!その時思わず声なき声を叫んだが、それはあまりにも儚い願いに過ぎた。事実、どの視線も僕の股間から外れようとはしない。諦めと共にボクサーブリーフに手をかけると、決意と共に最終防衛ラインを脱ぎ捨てる。
「脱ぎ、ました」
「オーケー。じゃあそこに寝転んでもらおうか」
壇上に寝転ぶと、ひんやりとした感覚が臀部に伝わってくる。思えば、男である自分はいつも女性を上から見下ろす側だった。下から見える景色はこんなにも異なっているのか――蛍光灯の眩い光を受けながら、新鮮な驚きを胸に覚えた。
「さて、注目。良いでしょうか、僕は先ほど彼に対して『寝転んで』とだけ指示した。その結果、彼は当然のように仰向けになった。この部分から何を読み取るか?そう、手マン師としての仕事は既に始まっているのです」
寝転んだ僕のことを放置し、御堂は流々と喋りだす。自分の中では何気なく寝転んだだけという認識であったが、御堂は一体僕に対して何を思い、あるいは何を思っていないのだろうか。達人の心境――今の僕には推し量る術もなくて。
「うつ伏せでもいい訳です。寝転ぶ、とはつまりそういうことだし、仰向けだけが横になる方法でもない。しかし、彼は仰向けになった。よってここから『顔を見られながら”されたい”』という相手の欲求を汲み取らなくてはならない。また、目の前のお客さんは『手マン=仰向けで行われるもの』というステレオタイプな価値観を有している人なのだ……という部分、できればこれも認識しておきたい」
ズバリ、であった。僕はどちらかと言えば相手の表情などを確認しつつ”こと”に及びたい人間だ。また、セックスにおいては正常位などのオーソドックスなスタイルを好む性癖である。もちろんそれを隠しているわけではないが、これほど短時間に看過されるとは思っていなかった。名人の呼吸、あるいはその視点。全てが卓越していた。
「となれば、矢張り相手の目を見ながらの手マンプレイ。これは欠かせない。相手に対する気恥ずかしさから視線を外す行為は下策も下策、むしろ『これでもか!』という程に相手のことを見つめてあげましょう」
言いながら、御堂が黒目勝ちな瞳を遠慮なしにぶつけてくる。僕は思わず目を逸らしそうになるのだが、どうしても御堂の視線からは逃れることができない。同時に逆説的な背徳感が胸に去来する。勿論僕はホモではない、ホモではないが――。
電撃、あるいは、雷鳴。
それまで紡がれていた思索が、死角から猛然と襲い掛かってきた快楽の前に儚く消えた。
「シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!」
「アッ、アアッ!そ、そんな激しっ……アフンッ!!」
御堂の悪魔じみた手つきが僕のピナスとアヌスの間 ――通称、蟻の門渡り。女性で言うところのマンコが位置する部分―― で激しい自己主張をし始める。それは視覚の死角、そして精神的な死角からの愛撫だった。御堂は尚も僕の目を見つめながら『シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!』と叫び声を上げている。それは御堂なりの呼吸法なのだろうか。分からない、分からないが――唯一確かなのは、性器の存しないその部分から得体の知れぬ快楽が広がりつつあることだけだった。
「意外性。私が何よりも大切にしている考え方です。目を見つめれば、当然相手の意識は私の目に向く。そして腰から下の部分への意識が疎かになる。この時に『死角』が出来上がるわけです。だから手マン師は鋭くそこを攻め、そして――」
「ああっ!そんなことっ!!」
「一気に羞恥心を煽ってやれば良いんですね」
御堂に両足を持ち上げられ、僕の陰部は衆目に晒されてしまった。皆の視線が容赦なく下半身の辺りに集約していく。意外性、なるほど確かにこの展開は予想の埒外だった。事実、僕の身体は火照りを抑えきれずにいる。
「大事なのは『相手が何を求めているか』というのを冷静に読み解くこと。マッサージと同じです。肩こりの患者には肩揉みを、腰痛の患者には腰のマッサージを。手マン師は手マンを。簡単なことなんです」
「み、御堂さん。ぼ、僕ぁ、僕ぁもう……!」
「シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!シャイ!仕上げに入ります!シャイ!」
寄せては返す快楽の波。その波の高さは、1秒ごとに大きくなっていく。そのビッグウェーブは今にも全身を覆いつくさんばかりであった。途切れがちになる思考、遠のく意識。『どうなってしまっても、いいとも』――最後に僕が抱いたのはそんな想いで、そして、そして僕は。
「アイムフライング(空を飛んでいる)……」
その言葉を最後に、果てた。
(続く)