常識はどこにあるのか?
それは、常に僕が心に抱いている疑問だ。
物理法則は100年前、1000年前から変わらず、それは絶対的な尺度であると言える。それに比して常識、これは極めて相対的な尺度だ。時代が変われば常識も変わっていく。そこに定形性は存しない。そして、そこにこそ常識を論じる難しさがある。
「そんなのって常識でしょ?」
誰しも、生まれてから一度はこんな言葉を発したことがあるのではないか。あるいは、この言葉を向けられたことがあるのではないか。それほどに『常識』という概念は我々の生活の中に深く根付いている。しかし繰り返しになるが、この世のどこにも確固かつ絶対的な『常識』なんてものは存在しない。常識はひどく移ろいやすい性格のものである。
ただ、それとなく僕たちに『常識』を叩き込む機会があるとすれば、それは家庭での躾、あるいは義務教育の過程といったものが挙げられるだろう。そこにおいては最大公約数的な『常識』の基準が提示され、僕たちは知らず知らずの内に常識のラインを身に付けていく。もちろん全ての人が同じような常識を具備するわけではないが、ある程度の常識はそこで培われていく。
しかし、家庭での躾や義務教育といったものは決して全能ではない。必然的に穴は生じ得るものであり、親や教師が何から何まで教え込むことを求めるべきではないだろう。結局、そこで教えられる常識というものは、社会生活を営む上での最低基準でしかなく、その他の常識は個々人が年齢を重ねていく内に獲得していく他ない。
そう、常識には『自ら身に付けていくべきもの』という側面が存する。ここにおいて各人が胸に抱く常識の間に、悲しい乖離が生じてくる。ある人の中で
『道端にツバを吐くべきではない』
という常識があったとしても、その常識がそのまま他者に通じるとは限らない。別の人から
『どうせ地中に溶けていくのだから、ツバを吐くことくらい許容されるべき』
という常識が提示される可能性は、当然ある。
だから、僕はいつも常識という概念について深く懊悩する。僕の中での常識、果たしてそれがどこまで他人に通じるものなのだろうか?という疑念である。人を殺してはならない、というテーゼであればそれほど思い悩むことはないが、人の心の仕組みはもっと複雑怪奇である。人によって様々な回答が予想される問題の場合、自分の考えを振りかざしながら安直に
「そんなのって常識だろ?」
だなんてことは言えない。その姿勢は思考停止である、と揶揄されても仕方がない。僕たちは『考え続けること』を放棄すべきではないのだ。
"オナニー時におけるティッシュの枚数"という問題は、どうだろうか。この問題については、いつかこのブログの中でも論じたことがあるような気もするが、今回はこのテーゼについて真剣に取り組んでみたい。
オナティッシュ枚数。実に深刻な問題だ。これについての明確な答えは、どこにもない。また、義務教育の過程において
「オナティッシュは一人5枚まで」
などといったモラルを叩き込まれた記憶は、ない。これはおそらく、行政の側に
『オナティッシュ問題については、各人が社会性を獲得する過程において自由に思考すべきこと』
という考があるからだと思う。僕たちの自主性を尊重する国の姿勢は評価したいが、自由とは時に毒だ。何でもしていい!という状況において、人はしばしば『何をしていいか分からない…』という思いに至る時がある。ナニをする時に何をすべきか?つまるところ、議論の核はそこに帰着する。
女性の方はあまりご存知ないかもしれないが、我々メンズがオナニーに取り組む時にティッシュの存在は必要不可欠だ。フィニッシュを迎える際、我々の砲台からはザーメンという夢物質が猛リリースされるからである。それを暖かく包み込み、幾億もの精子を天へと運ぶ――それがティッシュの担う役割。
ティッシュが僕たちメンズに必要不可欠なアイテムだとしても、では一体"ワン・ショットにおけるティッシュの枚数は、具体的にどのくらいなのか?"という問題は依然として残存する。1枚?2枚?あるいは、3枚かそれ以上?これは非常に微妙で繊細な問題だ、と僕は思う。
4枚。僕はこのラインを堅持したい。そしてこの"4枚"というラインを以て、これ以降の議論にピリオドを打ちたいのである。なぜ4枚なのか?5枚ではダメなのか!――という皆さんからの反論は当然予期できる。ただ、僕も闇雲に4枚基準を提唱しているわけではない。そこには明確な理由がある。
起承転結。日本に古来から伝わる金言だ。そのマインドは、当然オナニーに場面にも敷衍する。もちろんこれは文章構成のイロハを教える時によく用いられる概念ではあるが、それをオナニー議論に対して用いてはならない!という法はどこにも存在しない。
起。まずはチンポを掴むことから始めよう。"ALL HANDS LEAD TO CHINPO"、全ての手はチンポに通ずるという言葉もあるが、ないが、誰しもがいきなりフィニッシュを迎えるわけではない。始まりがあって、終わりがある。さあ始めよう、チンポにその手を携えて――これが"起"。そして、大事なティッシュの一枚目。
承。チンポを手に携えるだけでオナニー行為が完了するわけではない。起算点を承継する活動は当然必要となり、僕たちは緩やかにそして厳かに、チンポをシェイクし始める。時間の流れは"点"から始まり"線"となり、いつしかそれは"面"へと転じ、大きな歴史の総体から見れば、"面"は究極において"点"と成る。それは"オナニー"という点である。だが、その点を微細に分析すれば"線"や"面"が存することを僕たちは忘れてはならない。
エロ本のページを捲る行為。あるいは、AVを早送りする行動。すなわちそれが線である。間断なくチンポをシェイクしながら、唯一無二の射精へと向かって僕たちはオナニーを紡いでいく。そう、これが"承"だ。大いなる未来への一歩だ。ここで、二枚目。皆さんは僕の議論についてこれているだろうか?
転。ここで僕たちの小宇宙は爆発する。起を受けて承で培ったエナジーは、転の部分で結論を導く。それは"射精"という一つの結論。さあ、その手に取ろう――僕たちの三枚目を。
結。射精をすれば全てが終わり…もしこれを読んでいる方がそんなことを思っているのだとしたら、僕はアナタにこう言いたい。この豚野郎!と。
確かに射精という事実を『できごとの終わり』と位置づけることもできよう。しかし、それは物事を現象レベルで見ているに過ぎない。僕は先にこう述べた。
"出来事は点から線へ、線から面へ"
射精した事実を過大評価し、そこで全てが終わったと結論付けることは暴論だ。僕たちのオナニーはまだ終わってなんかいない。あなたはもう忘れたのだろうか?"オナニー後、油断していたら尿道からしぶとく精子が漏れ出て、何やらパンツがヒヤッとしてマジで不快だった"事件のことを。そう、お前の精子は未だ尿道の中に眠っている。
片付けよう、最後の仕事を。余韻に浸るのはその後からでも遅くない。掴めよ、チンポを。尿道から残党を狩る作業に早く戻るんだ。だから、それが僕たちの4枚目。ここにおいて僕たちのオナニーは本当に完結する。線は面となり、面が点へと昇華していくのである。
"攻め"の姿勢での、起承転結。敢えての4枚。皆さんを完全に論破した格好になってしまったが、お分かりいただけただろうか。3枚では不足、5枚だと過分。4枚、4枚だからこそこの議論に血が通い始める。だから、僕はオナニーの時に使うティッシュはいつだって4枚。12年間、このスタイルは崩していない。
実家に帰省した時、同級生との飲み会で友人はこう言った。
「オナニーの時?俺はティッシュは10枚使うなー」
僕は激昂した。エコを何だと思ってるのか!?お前は自分のオナニーがアマゾンの密林を破壊していることを認識しているのか…と。義憤に駆られた僕は、熱を帯びた口調で上述した論を展開した。
「いや、4枚とか絶対足りない」
「ふざけるなよ。4枚は常識だろ?」
それでも僕の思いは、友人の心に響かなかった。"コイツはマジでイカれてやがる…"といった趣旨の視線を向けられ、マイナス100度の空気が飲み会に流れる。僕は何も間違ったことを言ってはいないのに。
政府は何をやっているのか、と言いたい。我々メンズの9割は、中学生になった段階でオナニー行為に着手する。その事実を認識しておきながら、どうして正しいオナニー作法を僕たちに叩き込まないのか。避妊具の使い方を教えることがそんなに大事なのか?もちろんそれは大事なのであろうが、あんなものは箱の裏の説明書きを見れば全てが理解できる。しかし、ティッシュの箱裏に"オナニーの作法"が書いてあるのか?書いて、ない。
価値観が多様化した昨今、『それって人それぞれだよね!』だなんて腐ったタームが流布する現状において"絶対的な基準"に対する需要は高まるばかりだ。『人それぞれだよね!』という言葉は優しいが、優しいだけで何の意味もない。オナニー時におけるティッシュの枚数も人それぞれ?その結果の地球温暖化だよ!!ゆっくりした結果がこれだ!!お前たちは何度同じ過ちを繰り返せば間違いに気付く。
オナニー・ルネッサンス。始めよう、新しいオナニーを。4枚、これが今日からのスタンダード。もちろん、余力があれば"3枚"という地平に挑戦していただいても構わない。
「ハ?3枚?起承転結はどうなったの?」
序破急、という考え方もある。その意味でいえば、3枚というマインドも別に問題ない。むしろ、よりエコな姿勢だと評価できるだろう。2枚?当然に無問題。win-winという概念もある。1枚?サイコーにクールだよね。
「じゃあ僕は0枚です!大地にリリースします!」
やめなよそういうの。中学生じゃないんだから。もしかして地球を妊娠させる心積もりですか?まあそういうプレイを嗜みたい気持ちも理解しますが、世間的に見ればそれってただの変態だし、新潟県警も黙ってないと思います。ハッキリ言って気持ち悪いというか……大体がいい年してオナニーオナニーって、恥ずかしくないんですか?
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残党兵を片付ける僕は
エコしてる!!
って胸はって宣言していんですかね。
これが俺の正義(ジャスティス)
「最低だ。オレって。」
エコだよ、これは。
元気なゴマっ子です。
長年、僕の愛を注いできたからかなあ。
フヒヒ、フヒヒヒ!
ティッシュは流すと地味に詰まります。
毎日セルフごっくんしてます!!
エコして逝きましょう☆
4枚だと勢いのいいときは貫通して手にネタッと…あの不快感は異常
( ゚д゚ )
保険。5枚を推します。
700万人(日本20代男性)×120日/年×4/200枚/箱÷1.5箱/木材kg=約1万トンの木材
年間1万トンの木材がオナニーに・・・
仕事中に何の計算してるんだろう・・・
全てを室伏バリの絶叫とともに
発射した後は、筒に残るものを1枚でふきとる。
これで3枚。出してやった感も満点ですわ。
俺はあるね。もう10年は前の話だ。
何故そんな事をしたのか今となっては不明だが
あの時の解放感たるや、何物にも変えがたい。
今となって思うのは…
捕まらなくて良かったw
4枚を毎日つかうのと週に一回15枚使うのだったら後者の方がエコともいえる。
間隔・作業時間長めだと量も多く、その分ティッシュも必要なんですよ!
ごめんなさい
奥義【皮巾着】。皮が長い人はお試しあれ。
多い日は二枚
起承転の時にティッシュを使う意味がわからん
マンションの屋上でオナニーは開放感やスリルがあって超興奮しますよ!肉さんもしませんか?
ちなみに当方ティッシュは3枚です、それで搾りとっております。
やりかたはそれぞれだけど自分は人とちょっとやりかたが違うかも・・・
彼女に口でしてもらい全て飲み込んでもらう。これで勝ち組。
セルフフェラして飲み込む。ここまできて完璧なエコ。
そこまではしたくないがね
この心意気が無いのにオナニーをするなんて……
ティッシュを巻き添えにするなよ
自己責任論です
出た精子もちんこの中に残った精子も一枚で頑張る
手がビチャビチャになるけど
ところでオナニーでもコンドーム使う男の人もいるみたいよ