肉欲企画。

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1966年12月20日

中野、西新宿、気まぐれに、高円寺

三年前の話とか

2008年2月2日

日が暮れ始めると当て所なく歩いてばかりの頃があった。

当時僕はまだ東京に住んでいた。好きだった人に嫌われてしまい、ひどく落ち込んでいた時期だった。一般的に、良くない出来事というものは重畳するらしく、その人と疎遠になったのとほぼ同時に余りにも長い春休みが訪れた。

彼女の家から私物を引き上げたのをしおに、ぱたりとすることがなくなった。寄り添ってベタベタと過ごすばかりの日々が軽やかに過ぎ去り、突然やってきた空疎な時間をぽつねんと過ごすのは、実に億劫だった。たまに友達を誘って酒を飲んだりもしたけれど、酔うためだけに飲む酒は、やっぱり美味しくなかった。

そんな時、今となってはほとんど理由は思い出せないのだが、ふと歩こうと心に決めた。当時の僕の移動手段は全て地下鉄だった。だから、地下を走っている電車の上を、自分の足で歩いてみることにしたのだ。

朝起きればいつも二日酔いだった。そんなもんなので、起きた僕は当時好きだった白石一文の本を雑然と読みつつ、布団の中で夕方を待った。日が沈み始める頃にようやくと起きだすと、MDウォークマンをポケットに入れて、家を出る。そのまま山手通りを抜けて西新宿の方に向かって歩いた。歩いていると、冷たい風が体にこたえる。脇ではタクシーがバンバンと走りぬけ、道行く人はいつも少なかった。

左手に小学校を過ぎてしばらく歩くと、細い小道に入った。その脇を通る名前も知らない川(後で知ったことには、それがかの有名な神田川だった)を沿って歩くと、ほどなくして西新宿が見えてきた。歩きながら僕は、あの時ああすればよかったのだろうか、いまあの人は何を考えているのだろうか…と、やくたいのないことばかりを考えていた。あの時は認めていなかったが、失恋の痛手は相当だったのだろう。

そんな青臭い悲劇の中にあっても、人間というものは暗い気持ちの中に居続けることは難しいらしい。知らない道を歩いていると、その内に目に見えるもののことばかりが頭の中を巡っていくものである。「おや、こんなところに居酒屋があったのか」とか「この雑貨屋は改めて来たいな」なんてことを思い始め、その内には「次に何があるのだろう」と、曲がり角を見つけるのが楽しくなっていた。

週に2回ほどは、西新宿の方に向かって歩くようになった。気を紛らわせたいというのは確かだったけれど、単純に歩くことが楽しくなっていたのも事実である。たぶん、それだけ塞ぎがちだったのだろう。家にいるよりは外にいる方が随分気がまぎれた。

ある日、山手通りに向かう折。いつも気になっていたスッポン料理屋の脇を通り過ぎた時、不意に青梅街道の方に向かってみたい気持ちになった。いつもどおりの西新宿の退廃的なビル群も、結構好ましく思っていた。でもその日は、なぜだか青梅街道の方を歩きたくなったのである。

踵を返して青梅街道の方に向かう。それはかつて住んでいた高円寺への道だった。青梅街道に出るまでの道のりには、鰻屋やら豆腐屋やら、下町を感じさせるお店がたくさん並んでいる。そして青梅街道に出た瞬間、そこには牛丼屋やファミレスばかりが目に飛び込んでくる。そんな遠慮のなさが、僕をして青梅街道への道に遠ざけさせていたのかもしれない。

ガードレールのすぐ脇をタクシーやトラックが音を立てて通り過ぎる。向かいから迫ってくる自転車をヒョイヒョイと避けながら、僕はイヤホンを耳に突っ込んだままに杉並へと向かった。しばらく行くと環七にぶつかり、交通量の多い横断歩道を渡る。

ひどく見慣れた町並が広がっていた。やたらとラーメン屋の多い環七は、夜になるとトラックやタクシーの運転手でにぎわうらしい。未だ日も暮れきらない時間だったので、窓越しに覗くラーメン屋の店員たちは、いずれも手持ち無沙汰な感じだった。

環七をJRの方に下る。既に歩き始めて1時間は経過していた。環七沿いにはカフェも多い。お茶やコーヒーを飲まない僕は、ドア越しに談笑する人たちをわき目に見ながら、コーヒーは酒より美味しいのだろうか、といったことを思った。

高架に差し掛かる前あたりに、かつて僕が住んでいた家がある。大家さんを訪ねようかな。僕はそう思ったのだけれど、間の悪いことに日が落るか落ちないかギリギリの頃合だった。そのまま表でタバコを吸いながら2分ほど逡巡し、結局僕は大家さんのところを訪ねた。

大家さんは笑顔で迎えてくれた。お茶と共にに僕をもてなし、20分ほど談笑したあと、去り際にはなぜだかバナナをくれた。その時何を話したかは、今となってはハッキリ思い出せない。ただ大家さんのくれた、やたらと黒い斑点の多いバナナのことは、今もしっかりと思い出せる。鞄を持っていなかった僕は、まだら模様のそのバナナをコートのポケットに突っ込む。大家さんに礼を言ってその場を後にした。

ドアを閉めて通りに出ると、元の家から少し奥まったところに路地があるのに初めて気が付いた。本当に不思議なのだけれど、その時まで僕はそんなところに路地があるのを全く知らなかった。駅とはまるっきり反対側にあったその小さい路地のことを、しばらくぶりに大家さんのところに訪れて、ようやく僕は気づいたのである。

ほんとうに小さな通りの先、そこには住宅街が広がっていた。見ればぽつりぽつりと、申し訳程度にクリーニング屋や雑貨屋が店を構えている。けれど、歩いているのは僕だけだった。うら寂しい道を歩きながら、大体早稲田通りの方に見当をつけて、とりあえず足を動かした。本当に何もない通りだった。きっと、通りの名前もなかったことだろう。

突然、路面に擦りガラスを設えた店があった。それは住宅街の中に唐突に在った。電球に細工をしているのか、はたまたそもそもそういう色のものなのか、擦りガラスには電球から発せられたものと思しき光が、じんわりと宿っていた。僕はぶらぶらと歩きながらその店の中を覗ってみる。

居酒屋というべきか、パブというべきか。ほど狭い店内の中で、幾人かがカウンターを囲んでホッピーを飲んでいた。僕はなぜだかギョッとしてその場を後ずさる。それとほぼ同時に、店内からはけたたましい笑い声が聞こえてきた。もう一度店構えを眺める。看板などはどこにもない。けれど、そこは確かに酒場だったと思う。

住宅街の中に、酒場が一軒。笑い声の絶えない非常に賑やかしいお店だった。僕はその時、ああ、僕の知らないところで酒を飲んでいる人はどこにでも、確かにいるのだなと、そんな下らないことを強く感じた。きっと僕がこうして歩いている間にも、どこか知らないところで、赤だか青だかの電球と共に酒を飲んでいる人もいるのだろうし、もしかしたらそれはコーヒーでもありうるかもしれない。ラーメンでもいいだろう。エスカルゴかもしれない。僕が歩いている時はきっと誰かが歩いていないのだろうし、酒を飲んでいない時にもきっと誰かが酒を飲んでいるのだ。当たり前であるはずのその考えは、僕にとって何だかひどく新鮮だった。

そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかその店は遥か後方のところに消えていて、そのまま早稲田通りへと抜けていた。しばらく通り沿いに歩いた僕は左折し、その後でもう一度左折し、歩いて歩いて純情商店街を通り抜けて、駅前の安い焼き鳥屋に入った。席に座りながらビールと焼き鳥を注文した後、高円寺に住む友達を呼んで、そのままずっと飲んだ。

店で飲んだベタベタに甘い日本酒は、翌日僕にひどい二日酔いを運んでくれた。そしてその二日酔いの日を境に、僕は散歩をするのをやめることにした。

後日。改めてあの日見た擦りガラスの店を探したのだけれど、どうしても見つけることができなかった。見つからなかったのは、僕が探したのが昼間だったからなのだろうか。あるいは、そもそも見間違えだったのだろうか。分からないけれど、僕はどうしてもあの店には二度とめぐり合わないように思う。それでいい、とも思うし、やっぱり入っておけば良かったかな、とも少し思う。ちょうど3年前の今くらいの話。
posted by 肉欲さん at 00:00 | Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
懐かしい感じ
Posted by 安寿 at 2008年08月15日 11:16
面白かったです。
Posted by マリオ at 2008年08月16日 17:24
散歩したくなりました
Posted by ゆーき at 2008年08月17日 18:59
バナナは・
Posted by もち at 2008年08月19日 01:24
なんかいいね
Posted by at 2008年08月24日 20:34
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