まあ、いつだって俺の話なんだが。
ブログを始めたのは、厳密に言えば11年前だ。肉欲企画、という名前にしたのが10年前だった、という話で、このブログの前身を含めれば、11年も前から俺は俺の話しかしていない。
11年も自分語りをする気持ちってのは、一体、どういう感覚なんだろうな。
それはもちろん、俺が語ることはできる。なぜなら11年もずっと、俺は自分のことしか語っていないからだ。誰の得にもならないことを、誰の損にもならないことを、ひたすらに、11年、俺はただ自分に向けてしか語っていない。なぜか。俺は自分が好きだからである。それ以外にあるのか?俺は自分が好きで、好きでたまらない。一生そうだろう。よく知らない誰か、見もしない誰かのことを好きになれるヤツなんて、どこにいるんだ。
俺はずっと、自分しか好きではない。自分が好きだ!それを突き詰めた結果が、溢れて、外に出ているだけのことだ。
優しさ、というものは存在する。俺は結局、誰かから寄せられる優しさのさざ波の中でしか生きていけない。
だから俺は人に優しくなりたい。自分しか抱えられない人生なんてまっぴらだ。俺は誰かを抱えて生きたい。誰かを背負って生きるくらいには、余裕を持って生きたい。
その誰かが、いまのところ、どこの場所に存在するのかは分からない。
俺はこのブログを始めて10年が経った。事実関係としての10年だ。昨年も一昨年も、ロクに更新しちゃいない。俺の人生にしたって、同じようなもんだ。更新しちゃいない。更新しようと思う。俺は随分と長い間、自分のことを是として、そのままでいいと思っていた。でもそれじゃダメなんだ。俺はずっと胡乱だった。だけど、それでは、ダメなのさ。
離脱症状は相変わらずにキツイ。酒は好きだ。酒は俺のことを好きなのだろうか?俺はもう、酒に酔ってしか文章を書けない。シラフで自分のことを見つめるなんてまっぴらだ。酒は飲む。酒に罪はない。学ばない俺が悪いと、ただそういうことしか思わない。
誰かの、何かのせいにして、自分の人生がマシになったことが一回でもあったか?そんなことはあるワケがねえんだよ。
呪詛は吐け。人は呪え。思ったことは口にしていい。それと同じようにして、自分のことも罵れ。苦しんで、怒って悶えろ。人に向けていい言葉は、自分にも向けていい言葉だけだ。自分に向けてキツい言葉なら、そいつは人にも向けていい言葉ではない。
「お前、もうちょっと楽に生きろよー」
口の悪い俺だが、よくよく考えてみれば、俺はそういう言葉しか親しい人にしか吐いていなかったかもしれない。
「お前、不器用だよなー」
俺はたぶん、自分が欲しかった言葉を、欲しそうだった誰かに与えていたに過ぎない。
「人生は楽しいんだからよ」
自分と向き合うのは、きついな。本当に。言葉というものは、放った当人から、直接的に自分に襲いかかってくるものだ。そういうことを、改めて感じてしまう。
「まあそういうもんだからしょうがないんじゃん。嫌だったら口を噤んで貝のように生きれば?」
青写真のように人生が進むのなら、誰だって苦労もしないだろう。
「違うんだよ。言葉っていうのは呪いでもあるが、願いでもある。祈りだ。なんでこうできないんだ!って思うこともあるだろう。だけど、こうしてほしい、こうなればいいなあ……って思うよすがを、誰に止める権利があるんだよ」
俺はずっと胡乱だった。一度言った言葉は撤回できないと思っていた。でも、そんなことはないんだ。
「じゃあ、過去の言葉を信じた人については?」
「謝ればいい。ごめんなさい、間違っていました。間違ったことは、それはもう、間違ったことなんだ」
「間違ったまま、引き返せないとこまで行った人については?」
知るかそんなもん。勝手に生きて勝手に死ね。俺は強要した覚えはない。そんなもんだろ。いつだって自分の人生にケリをつけんのは自分しかいない。俺のせいにするヤツがいたとすれば、そんなのは最初からクソみたいなもんだ。
人生って何なんだろうな、俺は最近よくそういうことを考える。そしてそいつは俺にも分かんないさ。だからブログやってんだよ。俺の俺による俺のためのログ、ここはそういう場所だ。
笑いも何もねえ箇所に。そういうところに行き着いちまったのが、結果としてのものだ。笑いを求めて読んでる人には申し訳ないが、俺はまあ、こういう形で自分を吐露するのが好きなんだよ。
日記だ。酔っ払いながら書いたけど、これでも結構推敲したんだぜ。もう俺の頭はパーだ。肉欲企画10周年に寄せるつもりだったんだけどな。