肉欲企画。

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2014年06月18日

どこにもいけない僕と どこにもいかない僕

服飾。ファッション。

その流行は常に変化していく。時間という存在が不変なものではなく、必ず流れていくという概念である以上、それは不可避なることだ。芽生えて、盛る。潰えて、消える。移ろいやすい世の中にあっては、『変わっていく』という事実のみが、ただ変わらずに在り続ける。

股間に響くファッション。それは必ずしもホットな流行とは一致しない。オシャレだな、と思う気持ちと、ヤリたいな、と感じる心とは、一致しなくてもいいしする必要もない。ファッション業界が垂れ流すロジックと、我々の抱える切ない男心とは、基本的に、同調することの方が珍しいくらいだ。

ハイウェストな服装。どうやらこれが現代のホット・ファッションを彩っているのであろうことは、流行に胡乱な俺でも察知できる。流行り廃りに合理性はいらない。売れ線は売れ線としてキープできればそれでよく、売れるようになる過程に大した意味など存在しない。

「これが今年の流行りらしい」

そういった集合無意識的な合意が形成されれば、後は黙っていても水は低きに流れ、浸透していくだろう。『こうだから、こうなのだ』 、心の弱い部分にダイレクトに訴求してくるプリミティブな同調圧力。皆が着ているんだけど……あなたは着ないのかしら……?という、軽佻浮薄で粗野な恫喝。



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(これがハイウェストだ)

俺が初めてこのファッションを目にしたとき、率直にいえば 「いかれポンチだ」 と思った。そして、およそ4年ほど前にサロペットが流行ったときも、同様の感想を抱いた。その時の日記はこちらだが、あの頃は今よりも少しだけアクセスが多かったゆえ、多少言葉に配慮した表現になっている。ただ俺ももう少しで31歳になるし、最早失うものなど僅かしかないので、ハッキリ言おう。若い人には皆リクルートスーツを着て欲しいんですよね、僕は。ホントその辺、気をつけてもらわんと。ハイウェストとか、別に買ってもいいけど、買ったそばから燃やしてもらわんと。マジでそういう配慮というか、俺に優しい世界作りを心がけて欲しいと言いますか。皆さんに関して足りないのは、想像力、ただそれだけなんですよ。少し立ち止まって考えてみれば、当たり前の話でしょう?そういうのって。

春咲く花は秋には枯れる。泡沫(うたかた)は結んでは消え、消えては結ぶだろう。万物は流転する。現象は止まらない。誰かの心の在り方を一方的に決めていい道理など、どこにもない。故に俺は、いつでも自ら抱える欲求のみを肯定する。生きていくっていうのは、簡単にいえば、そういうことだからだ。

若い女を彩るリクルートスーツ姿は股間に響く

これが俺の真実だ。百万言の否定の呪詛も、決して俺の心には届かない。魂に触れることすら能わない。気持ち悪い……反射的にそう感じてしまう誰かの内心の自由は尊い。俺は気持ちいい!その地点から一歩も動けない、動く気すらない俺の姿勢もまた、気高い。これはディベートなどではない。実にシンプルな生存戦争なのである。

パン線、浮かねえかな

目の前を歩くリクスー姿の女の臀部を凝視しながら、俺は必ずそう願う。祈る。あるいは、信じる。夏を彩る葉脈は、冬には朽ちる。目の前に生じるかもしれない真実の一瞬を、俺は決して見逃したくない。ダメならダメでケセラセラ。望むものが望むように訪れる世界なんて退屈なだけさ。そうだろう?

その意味からすれば、サロペットやハイウェストなムードが世間に流れることも、そう悪くはない。幸福や不幸、快と不快というものは、両者が同時に存在して初めて成り立つものだからだ。世の中全てが己の望むものだけに席巻されたとして、それは果たしてアガルタと言えるのだろうか。俺の考えからすれば、そのシーンは逆説的なディストピアとしてしか成立しないだろう。苦味があって甘味がある。甘味ばかりの世界について、いかばかりの価値があるというのか。

「リクルートスーツが好きなんだよね?今度着てあげようか?」

そういうことでは、ないのである。心意気は買いたい。優しさ、思いやり、という言葉の意味も、少しは分かっているつもりだ。だが俺の求めているものはそういう地平には存在しないのである。

「前人未到の虫食いに所有していた衣服の全てがヤラれちゃってさあ……なんとか無事だったのがこのリクルートスーツだけで……変だよね、こんな。家で、別に就活してるわけでもないのに、リクスーなんて……アハハ」

怒張のあまりチンポがはち切れてしまいかねないタッチである。

『仕方なく』

『必要に駆られて』

このたまらない侘び寂びの加減、分かるだろうか。勝手に(あるいは仕方なく)纏ったファッションに対して、勝手に(あるいは必然的に)欲情する俺。エレクトのダイナミズムというのは、往々にしてそういうところにだけ眠っている。

「こういうのがいいんでしょう?」

演出家は不要なのだ。何がいいかは俺が決める。理屈の上で計算された艷さなんて、乾いていてしょっぱいだけでしかない。まあ、そういうのに騙されることも、数多くあるのだけれども。分かっていながらあえて、敢えて……篭絡される、これはこれで大人のタッチだ。させてくれ!不意に出会ったボインにそう叫んだとて、それはそれで風流というものであろう。

「そんな、何でもかんでも性欲の対象に結びつけるなどと……恥ずかしくはないのか!」

ないですね。股間に響く対象というものは現実に存在するのだから、仕方のないことなのです。だからせめてちゃんと言うようにしています。「最低でも2回はしたい」 と、そういうトーンのことを。ホッピーを飲みながら。

言うまでもなく、未来永劫にわたってファッションの在り方というものは変化していくだろう。それは善し悪しの話ではなく、事実関係の問題でしかない。文化を持った我々と服飾という概念とが不可分である以上、何を着ようと何を着まいと、そんなものは個々人の自由でしか有り得ない。

ただ、股間に響くファッション。こいつに関する時間の流れ方は、見えやすい流行よりもずっと遅い……と、そのことを。俺はただ主張したいだけだ。肉欲の名のもとに。
posted by 肉欲さん at 02:51 | Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク

2014年06月14日

孤島に咲く花

「ねえ、オナニーしているところを見せてよ」

請願してくるのである。付き合った女は、非常に高い確率でそういった形式の申し出をしてくるのだ。一般化できる話なのかは分からない。ただ俺の経験則上、こう頼んできた女は9割を下らなかった。

生まれて初めてその言の葉を耳に受け止めたとき、比喩でも何でもなく目の前が真っ白になった。こんな名前を冠したブログを運営していながら言うのも何だが、基本的に俺は物凄くピュアなのである。ウソと思われても仕方がないが、21歳になるまで正常位くらいしかしたことがなかったし、25歳になるまでフェラチオをさせてそのままザー……いや、低劣な表現を避けるために言い換えよう、精液的なものを飲ませることも 『とんでもないことだ!』 と思い、忌避していたくらいである。要するにそのくらいピュアだった、無垢であった……ということを主張したい。アナルファックを初めてしたのだって28歳になってようやくのことであった。掻い摘んで言えばそのくらい純情だった、潔白だったのだ……ということを表明したいのである。

少し俺の話をしよう。いや、いつだって俺の話しかしてないのだが、そこは忘れて頂いたという前提で、俺の話をしよう。

俺は本州の最西端、山口県は下関市、上田中町、白雲台のR10という市営団地、そこの三兄弟の末っ子としてこの世に爆誕した。物心がついた時には5畳の部屋にオスが三匹叩き込まれる、というソドム感満載の部屋ですくすくと成長した。部屋にはいつでも乳酸の臭いばかりが漂っていた。もう何年かすると、ザー……いや、言い換えよう、精液的なスメルも混ざりだしたことは、敢えて言うまでもない。

ソドムの中で育った俺が、無意識的に女性を神聖視するようになったのは不可避な事実だったのかもしれない。若い女のサンプルケースなど身近にはどこにもいなかった。加えて俺は高校を卒業するまでの間、鉄壁の童貞を貫いた。もちろん16歳の頃からおっぱいパブに足繁く通っていた事実も同時に存するが、それは別に 

「金銭を介在したおっぱい」

という意味でしか有り得ず、俺の中では

「金=おっぱい」

という方程式が生ずるに留まったし、彼女たちも心の涙を流しながらおっぱいを許しているに過ぎない……と、クレバーに考えることができていた。だから、いかに金でおっぱいを揉もうとも、俺の中で女性という存在は清廉潔白な存在であり続けたのである。

女性に性欲など存在しない。あるのは、ただ愛情の延長線上にある情念だけなのだ。そしてそれが、セックスという行動形式で以て発露するのだ。俺は確実にそう信じていたし、その想いを携えたまま上京、入学、そして彼女を作り、童の貞を散らした。すまぬ…すまぬ……と、心のどこかで想いながら、念じながら、あるいは、祈りながら。

だが、皆様にしてもとっくにご存知であろう。
幼い頃に抱いた憧憬は、並べてが砂上の楼閣に過ぎない。
虹はある、虹をつかむことができる。
そう信じるのは個人の自由だ。
夢や理想、あるいは夢想。並べて存在していい。

それと同じくして、現実は厳然とした様相を保ち、存在し続ける。

「ねえ、舐めてもいい?」

えっ、タダで……?初めて迎えるフェラチオ・シーン。口淫との出会い。ロハでするのか?!無料で!!?俺は本当にそう思ったし、だって、こんな、チンポだぞ?尿を出す部位に対して、ご飯を食べる器官が、そんな、アカン!俺は思わず自分のチンポを二度見した。既にギンギンに屹立しているそのものを見るにつけ、心の中にビリー・ジョエルの 「honesty」(誠実さ) の楽曲が乱れ流れた。

混乱と迷妄とが俺を包み込む。どういうことなんだ?!これは。俺はこれまで街中でチン……言い換えよう、ペニス的なものをねぶる女の姿など見たことがなかった。見たことがない、ということは、存在しない、ということだ。AVでは見たことがあった。だがそれは、要するに、金銭が介在した果ての姿でしかない。タダで!?やはり思考の帰着点はそこにしかあり得なかった。

「じゃ、じゃあ、ひとつその、舐めを……」

何が正解か、それを掴みあぐねた俺は、そう返すのが精々だった。真実の話である。心の中は期待と不安で一杯だった。その反面、俺は童貞を捨てるより遥か昔にお年玉を握り締め場末のピンサロでフェラチオをしてもらった経験は有していた。

それはそれ、これはこれ。

今回の日記はそういう話である。

結末から話せば、その女性から放たれるフェラのチオ部分は、まさに妙技だった。こんな酷薄なエピソードもない。舐められることすら戸惑っていたところ、いざ舐めの現場に臨んでみるや、その仕事たるやプロをも凌駕する匠だったのである。俺は自分がプロとの対戦経験を有していたことを呪った。同時に「タダでこれか……」とも思ったが、これは内緒の告白である。

どんなにタフな環境であれ、時間が経てば人は順応する……という。それが実際のことなのかは分からないが、少なくとも俺はしばらくして、具体的には3日くらいして、フェラチオをされることには慣れた。人という存在は怠惰であり鈍麻である。歳若い頃となれば一層そうなのかもしれない。

「どれ、舐めてくれたまえ」

「はい(チュパチュパ)」

実際にこういったやり取りがあったワケではないが、心の中ではそのくらいの感じだったに相違ない。ホモサピエンスとは順応を長所として生存域を増やしていった種なのである。俺だって例外では、いられなかったよ。

だが、それでも。ここまで読んだ皆さんにおかれましては甚だ薄ら寒く聞こえるであろうことは承知の上、言わせて頂きたい。それでも俺は、あの日、あの夜、あの19歳の刻。

「女はピュアで無垢なんだ」

信じていたのである。あるいは願っていたのだ。

「タダでフェラチオはするけど、それでも女は純潔で真っ白なんだ」

それは、花。
名もなき風に揺れる、名も知らない一輪。
存在するだけで価値がある、儚い一茎。
誰に観測されずとも、そのたたえる美しさは誰にも否定できない。

それは、孤島に咲く、花。


「ねえ、オナニーしてるとこ、見せてくれない?」



金返せテメエ!!?!!??いや、払ってないけど。払ってないけど金返せ!俺は確実にそう思ったし、いまタイムスリップしても同じ想いを抱くだろう。瞬間、俺は脳細胞が10の24乗ほどの個数が破壊される音を聞いた。気がした。

俺は説いた。男のオナニーはそんなに安いものではないと、誠心誠意説いた。世阿弥の言葉すら引用した。秘すれば花、秘せずは花なるべからず……と。

「世阿弥のその言葉はそういう意味とちゃうと思うんやけど」

クソっ!小賢しい。なまじ学歴のある女と付き合うとこういうことになるのか。そういえばこいつ、文学部だったな……どっちにしたって世阿弥だってオナニー姿は見せまいよ。そこまで言わなきゃダメか?世阿ニーしなきゃお前は収まりがつかない、とかそういう話?やめろよ。世阿弥は関係ないだろ。こんな下らない文脈で名前を出してしまった世阿弥、並びに観阿弥サイドには、本当に申し訳の言葉すらない。

最終的に、俺がオナニーをする姿を見せることはなかった。当たり前の話である。何が悲しくてあんな姿を野に放つというのか。世に晒すというのか。自慰、という言葉は正しくそのものであり、他人を慰める時点で自慰ではなくなる。望まれない衆目の中でする自慰は自慰としての価値を保持するだろうが、望む誰かの前でする自慰は、最早自慰ではない。あいにく俺にそういった性的傾向は存しなかったし、これからも具備することはないだろう。

自分を慰める瞬間、その刹那。
悪いがその時は、孤島に咲く花でありたい。

「オナニーをしているところを見せてよ」

それは女から男に対する提案であっても、男から女に対する提案であっても、どちらでも有り得る話だろう。ややもすれば、後者の方が案件として顕在化しやすいかもしれない。それが悪いとは言わない。性的傾向、それはある種の自己表現でしかない。その在り方の善悪を規定することは、誰にもできない。

「オナニーしてるとこ見せてよ、肉さん」

「死ぬか?」

だから、否定することも自由だ。普通はさあ…なんて概念に落とし込むようなことも、絶対にあってはならない。ただ揺蕩う感情の一点として、そういう事象はあっていい。現象は肯定する。俺に向けられたものだけ、全部否定する。

女性は、女は、清く正しく、潔白に。
俺は勝手に、そう想い続けるだけだ。
孤島に咲く花を想うようにして。
posted by 肉欲さん at 04:32 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク

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