肉欲企画。

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1999年12月31日

日記8/9

人と酒を飲んでいると、非常に高い確率で "哲学的な命題" じみた分野にトークが及ぶ。理由は明確で、飲み始めの頃はお互いの近況であったり、過去の思い出話などに花が咲くのであるが、哀しいかなそこには自ずと限界がある。近況も思い出も、その性質上無限ではあり得ない。

結果として、少なくない数の人たちが "優しさとは?" "愛とは?" みたいな、極めて抽象的なテーゼに対する自論を語り始める。ドヤ顔で、あるいは恍惚とした表情で。

「優しさに賞味期限なんてねぇーんだよ」

すわ、ポエムか?いや、違う。先日、居酒屋で隣の席に座っていた男性がキリリとした顔で言い放っていた至言だ。その言葉が僕の鼓膜を揺らした瞬間、手の中にあったビールの温度が急速にぬるくなっていくのを感じた。

なぜ人は哲学を語りたがるのであろうか?おそらくそれは、我々が心ある人間だからに相違ない。人生を歩む中で様々な艱難辛苦を舐めた結果、僕たちは自らの内に様々な主義主張を爆誕させる。それは宗教でいうところの教義みたいなものであり、どれだけ歪な教義であっても、そこに正解・不正解は存在しない。

「優しさに賞味期限なんてねぇーんだよ」

この台詞、三親等以内の人間が発言していた場合、即座に殴り飛ばしていた可能性は否めない。なぜなら意味がよく分からないからである。だが、その言葉がどれだけチープな輝きを見せているのだとしても、彼の中で "優しさに" "賞味期限はない" という事柄、これは真実であり真理でもあるのだ。場末の居酒屋で声高にシャウトせずにはいられないほどに。

気持ちは分かる。知識欲を捨てながら毎夜の如く中性脂肪値とガンマGTP値だけを高め続けてきた僕だ。安い酒を舐めながら 「男らしさっていうのはさぁ……!」 型の宗教を叫び散らしたことも、一度や二度ではない。

だが、多感な時期を過ぎた頃から、どうにも酒の場でそういう話をしたり聞いたりすることが、おそろしく眠たく感じられるようになってしまった。具体的にいえば、飲み会も4時間を経過した辺りで、トイメンの人間から 「でも結局女っていうのはさ……」 式のタームが飛び出した瞬間

「そんなことよりチンポの話をしようぜ」

切り返すことを心に決めてある。

意外なことに、この対応はかなりの汎用性を秘めている。チンポトークに興味津々丸な人々は 「そうそう、チンポってさぁ!」と食らいついてくるし、チンポトークに興味のない (心の乾いてしまった) 人たちは 「コイツとは真面目な話はできない……」と、悲しげな顔で哲学の話を諦めてくれるからだ。まさに三方一両得である。チンポの孕む可能性は果てしない。

哲学の話が嫌いなわけではない。抽象的なことを考えるのは好きな方だし、広い意味でいえば "チンポとはそもそも一体?" というテーマ、これも一種の哲学命題と理解できるだろう。

思うに、あまりにも間口が広すぎる哲学的テーマに対して取り組むことが、ある瞬間から完全に嫌になってしまったような気がする。

愛や優しさ、あるいは思い遣りといったテーマ。これらの概念は生きとし生けるものほぼ全ての人間が享受し、あるいは触れることのできるものだ。結果として、社会を構成する99.9%の人間がそのテーマについて一家言を有するに至り、小さな小さなマイ・教義を具備するようになる。

そこまでは自然な流れであるが、インナーワールドでしか通用し得ないその哲学を取り上げ、あまつさえ酒の場で討論し始めると、99.99%の確率で泥沼と化してしまう。普段は和を以て尊しとしている柔和なあの人まで 「ノー、それは違うよ!」 と、アメリカ人のマインドで雄叫びを上げ始める。

最終的に待ち受けているのは、「まあ、価値観は人それぞれだし……」 タイプの、赤痢より価値のない場当たり的な結論ばかりだ。机の上に横たわる、からからに乾いてしまった枝豆が、展開された議論の不毛さを物語っているようでもあって。

翻って、チンポの話はどうか?これにしても議論としての間口は広いが、それでも愛だの優しさだのに比べてみれば、相対的に話者の質を選ぶといえる。持たざるもの、それは要するに女性のことであるが、彼女たちは生半には議論に参加すること能わない。もしかするとそれは "強者の論理" (チンポ所有者たちの傲慢)と評価されるのかもしれないが、それでも我々は性差というものから逃れることができない以上、仕方のないことと言うほかない。

「どうして我々のピーナス (penis) には、生得的に皮が実装されてあるのか?陰毛巻き込み型の案件は、古来より枚挙に暇がない。責任者はどこか」

この哲学的テーマ設定の場合、話者が仮(真)性包茎であることが前提であり、また、パイパンではない事実も想起できる。よって、ズル剥けあるいはパイパンである男性は議論の輪から外されることとなり、結果として議論のスケールはミニマムなものとなるわけで、その一点だけでも百家争鳴の事態を避ける可能性は増していくことだろう。誰にでも発言権がある、というのは、平等ではあるが実益に乏しい場合が多い。

「彼のチンポが勃起時で5センチくらいしかないのですが、これは一体どういうことなのでしょうか?どうにかして大きくする方法は?」

これは先日、実際に僕が聞かれたテーゼである。女性の中にも豊穣な人生経験からチンポ・トークに花を咲かせられる方もいらっしゃる。こんなとき、僕はいつでも女性ならではのヴィヴィッドな着眼点に驚かされるものだ。それにしたって、誰もが発言権を持ち合わせていた場合、相対的にその発言の新鮮味みたいなものは薄れていたことだろう。ちなみに、その際に僕が述べた回答は 「無理だ、諦めろ」と、非常に示唆に富んだそれだったことを付記しておきたい。

「私、オチンポは見たことがなくて」

このような発言であっても、僕は一向に構わない。なぜとなれば、この言葉からは "オチンポには積極的に接しない、という接し方" という、話者の生き様が垣間見えるからだ。ウォッカという酒は、しばしば 「無個性という個性」 そんなキャッチがつけられる。それと同じで、"無い" という形での "在り方" というもの、それは確実に存在する。ちなみに、数年前にこの発言をさる女性から受けたとき、僕は「生娘ぶってんじゃねえよ!なんなら今ここで人生教えてやろうか?!」 と、非常に含蓄深い言葉を寄せたものである。ブチャラティの動作で。

要するに、僕が酒を飲むときは、可能な限りそういう話ばかりをしたいのだ。人には、ときに、愛や優しさというものについて考えを深める時間が必要なこと、それについて誰かと語らい合うことが求められる瞬間があること、それは認める。

ただ、そういう話題はシラフのときにやるべきなのだ。経験則になるが、実に皮肉なことに、聞こえのいい概念を語るときに限って、人は平気で誰かのことを傷つける。自分の中の正しさを押し通すという行為は、誰かの中の正しさを否定する……という結果に至りやすい。

そんな話をつぼ八でしてはならない。

つぼ八でしていいのは、ウンコ・チンコ・マンコの話。
僅かそれだけなのである。
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日記8/10

昨日の日記に書いた

「『彼氏のオチンポが勃起時に5cmしかなくて……』という相談を受けた」

というのは、別に念を押す必要もないのですが、まあ本当の話でして、ただ実際に "5cmで……" と具体的な数値にまで言及があったわけではなく、彼女はただ自らの華奢な親指をクイッと持ち上げつつ(いわゆるサムズアップのジェスチャーをしながら) 「勃起時にこれくらいしかなくって……」と悲しげに、実に悲しげに物申していたわけです。要するに親指サイズ、とか、まあ、そういう感じなんじゃねえの。だったら大体5cmくらいだろ。色を付けても5.2cmくらいか。

「ご覧、アリエッティだよ」

件の彼について、己が股間を指さしつつそう言ってのけるメンタリティが備わってさえいれば。思うに議論は紛糾しなかったのだろうが、しかし現実はそうならなかった。それを悲劇と言うべきか、あるいは耐えるべき辛苦と称するべきか、いずれにせよ今の僕には判断がつかない。

「チンポはでも……大きくはなりませんからね……」

口に含んだワインがその苦味を増す。心苦しい真実を告げるとき、いつだって僕の味覚はその鋭さに磨きをかけるのだ。チンポは大きくならない。おためごかしでも何でもなく、それは、成人男子の誰もが至る真理であろう。

難儀なものだな、率直にそう思った。若年層のモラルの低下が嘆かれて久しいが、それでも多くの若者が、他者における "如何ともしがたい部分" を声高に糾弾することは少ない。例えば、身長の大小。例えば、髪質の硬軟。そういう部位を指して、「あいつって変だよな」などと揶揄する輩は、本当に稀である。

私見になるが、おそらくそれは、高年齢層に比して若年層の間ではかなり多様化した価値観が根づいたからだと考えている。様々なメディアが発達した帰結として、望むと望まざるとに関わらず、若人たちは直に眼前では知見し難い様々な情報に触れる術を得た。「こんなことあり得ないよね」という事態を目の当たりにすること、着想を得ること。そんなのは軽々に起こり得なくなったのである。

個人的な体験談から語らせていただければ、例えば僕が20前後の頃。暇にかまけてインターネットを斜め読みしていると、唐突に "爆乳小学生!" という、ひどく知的好奇心を煽る惹句が目に飛び込んできた。当時から 『知の亡者』と呼ばれて久しかった僕は、あたかもそれが義務であるかの如き所作で、マウスポインタを当該テキストへと運んでいた。

リンク先に映し出されていたのは、入江紗綾という当時まだ11歳の少女であり、確かにその胸のあたりには豊満な乳房、ヘイポー的に例えれば『カイデーなパイオツ』 がぶらさがっていた。その画像を見た刹那、幼き頃より儒教的なマインドを父から叩き込まれていた僕は、心の中で 『太郎さん (祖父の名前。他界) 、日本は、復興したんだよ』 と、虚空に向かって語りかけたものである。

このエピソードから何を演繹するのか。単純な話で、爾来僕はカイデーなパイオツを具備する少女たちを街中で見つけても、それほど驚かなくなった。ひとえにそれは情報化社会から享受した恩恵であると言えるし、仮にあの時インターネット上で入江紗綾というパイオツカイデーな少女のことを知っていなければ、僕は街中で出くわした胸の大きめな少女に対して

「君のお母さん、牛?」

悲惨な声かけ案件を爆誕させていた可能性もある。無知は罪なのだ。

やや極端な例になってしまったが、それと同じように、現代を生きる我々は 『世の中には様々な人がいる』ということを、実感を伴っているかは別としても、認識している。身近に身長が200cmある男性が存在したとして、彼に対する "コミュニティ内での特異性" を覚えることはあっても、"生物学的な特異性" を覚えることは、ほぼない。

「周りでは珍しいけど、世界にはたくさんいるよね。きっと」

相対化する術を、我々は身につけているからだ。

しかし、もしその辺りの話に 『数少ない例外』 を見つけるとすれば、チンポ・マンコ・金の話へと帰納していく。なぜか?それは、その三者はいずれも 【切迫した状況にあって、人それぞれでは済まされない問題】 へと繋がっていくからだ。

こればかりは、どれだけ価値観が多様化したとしても、変わらないのである。別に僕が下卑た心でチンポ・マンコ・金の話をしたいから、という訳では一切ない。

結果として、冒頭のチンポ・トークへと話が結びついていく。形而上の愛情だけでは解決することの出来ない問題、それがチンポを取り巻く我々の現状なのでもある。耐えて正視しなくてはならない。

身長であるとか、バストサイズであるとか。そういった要素が生み出すフェノメノン (現象) について、愛する二人に直接利害を生み出すといったケースはほとんど想像できない。ゼロではないが、相当に稀有な例だろう。例えば、彼女の乳が大きすぎてハグができない……であるとか、彼の身長が大きすぎるが故に立ちバックが出来ない……等の、そういう事例である。

だが、それはあくまでも例外に過ぎない。
僕は人外魔境の話をしたいわけではない。

チンポが小さい。
これは切実な話である。

下世話な話になって恐縮であるが、身長あるいはバストカップと異なり、チンポという器官は、有事のとき、卑近な言い方をすればセックス、に際し、機能面において一方通行であってはならない。くだくだしく説明するまでもなく、男がいて、女がいて、セックスがある。そういった各構成要素を考えれば、それは当然の結論である。

だからこそ、人それぞれではいられないのだ。
いや、確かに彼の擁する "チンポサイズそれ自体" は、身長と同じく人それぞれ的な論で片付けられる部分もあろう。だが、ことセックスの場面に立ち入れば、そこでは

【彼女の受け入れる、彼女だけの、チンポ】

現象は、そのように変容していく。

独りで生きていくだけであれば

【ただそこに植わっているだけで良かったチンポ】

しかしそれは、あの日、あの場所、あの夜に−−

【彼女と一体化すべきチンポ、インターコミュニケーションとしてのチンポ】

こうなってしまうのだ。

そこにあって、チンポの在り方。
それは決して、「人それぞれ」 という言葉で、片付けることは、出来ない。

なぜなら、彼の等身大のチンポが、あまねく現象の中で "人それぞれ(として在っていいもの)" と許容されて然るべきであるなら、その瞬間、彼女のマンコが求めるチンポ (それはある意味で、非常に狭いレンジでのチンポ)もまた、"人それぞれ(として求めていいもの)" と許容されなくてはならないからである。

そして、両者の主張する "それぞれ" が、異なってしまった。
どれだけ語らいを尽くしても、擦り合わせることが出来なかった。

これは、確実な意味での悲劇である。


この悲劇を回避するにはどうするべきなのか。それにはやはりチンポ (ないしマンコ) について、新たなる可能性を見出すより途はない。

チンポといえば、どうしても射精か排尿の場面ばかりにフォーカスが当てられがちであるが、我々はチンポに対してもっと積極的な視野を備えるフェーズに足を踏み込みつつあるのではないか。

例えば、まぁー、チンポって平常時はすごく柔らかいんですけど、だからそのー、それを一種のマスコット的なそれと捉えて、ちょっと手持ち無沙汰なときにでも、こう、ポニョ・ポニョと弄るとか、そういうのは、とても心豊かな発想だと思いますし、そこにあってチンポがso bigな感じだと、どうしてもポニョ・ポニョとはいかずブルン・ブルンみたいな様相を呈してしまうのですが、そこから逆算すれば、小さいチンポっていうのも、不思議だね、なんだかとっても愛しい。

あるいは例えば、まぁー、これを読んでいらっしゃる方に貞淑な女性とか一人としていないとは思うのですけれども、それでも一縷の望みを賭けて、もし処女の方とかいるのであれば、そのー、あまりにも小さいチンポとかである場合、初めてのイン・ザ・ベッドの状況にあっても、全然痛くないんじゃないの。それってとってもラッキーなことだと思うし、あまつさえ彼のチンポが小さすぎるがあまり処女膜が破れなかった!ということになったとしたら、その人と別れてまた違う男と付き合うに際しても、いけしゃあしゃあと

「私処女ですねん」

とか言えるわけでしょう。まさに永久機関だぜ。すげえよ。


−−そういったロジックを瞬時に頭の中で導き出した僕は、件の女性に対し、こう言った。

「小さいチンポであっても、いいところを見つけていきましょう」

そして彼女はこう言った。

「でも、どうにかしてチンポを大きくする方法はないんですか?何か、マッサージとか。思想的な話はどうでもよくて」

だから僕はこう言った。

「無理ですね」

「無理、ですか?」

「諦めて別れた方が早いです」

「ああー、なるほどー」
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マーダーライセンス牙

性差、それは当然あって然るべきだ。男と女とは様々な部分で異なっている。その違いを論じないまま、いたずらに平等を唱えても、そこに残るのはただ虚しさばかりである。

「男の人の方が力が強いからさぁー……」

これは性差の話だ。男女の腕力を比べれば、そこには自ずと差異が生ずる。最大公約数的なロジックで考えれば、当然男性の方がパワーにおいて勝ることとなるだろう。

「男の人ってシモのことしか考えてないしさぁー……」

これも性差の話だ。男女における性欲の大小、そこにはやはり差異が生ずる。こと10代の頃の話となれば、その違いは一層際立つこととなろう。

「だから結局ヤルとかヤラないとかって話になっちゃうんだよねぇー……」

これは性差の話ではない。
どちらかといえば、詐欺師の類が用いるような、詐術的弁法にカテゴライズされるものだ。

ヤルかヤラないか、挿入するか否か。それは最早、"男女" という一般論で語るべき話ではなく、あくまでも

「目の前にいるその人のタイトなジーンズにねじ込みたいか?あるいは、ねじ込まれたいか?」

という非常に切迫した状況、他の誰でもない、いうなれば、 "唯一無二のあなたにどうされたいか?したいか?" という、実にギリギリな状況に立ち入っているからだ。そこにあって、男性における性欲の強弱を語る実益は、絶無である。

性差の話として、男性の方が性欲に惑わせられやすい瞬間があるのは確かだ。僕を含めた20代男性の多くは、一日の多くの時間を「さてどうやってセックスをしようか?」 そんな想像に費やしているといっても過言ではない。

けれども、我々はバカではない。アホではあるがバカではない。いかに己が抱える性欲の質がドス黒くとも、目の前の女性に面と向かって 「させれ」 と宣言できる男は、100人中1人くらいのものである。

ヤリたくて仕方のないときほど、殆どの男は紳士を装うだろう。

「今度飲みにいかない?あっ、忙しいなら別にいいんだけどさ(笑)」

あるんだろ?男からそういう感じで水を向けられたことが、あんたらみたいな者にだってさぁ。あるいは、これを読んでる男の中にだって、そういうメールを打ったことがある奴、227人くらいはいるだろう。誰だってそうする。俺だってそうする。そうした。

ただ、皮肉なことに。世に棲む多くの女性は、どれだけ男が薄汚い欲望をひた隠しにながら

「そういえばこの前いい感じの店見つけたんだけどさ(笑)」

型の、聞こえの良い誘い文句を考案したとしても、その背後にあるドドメ色の欲望を容易に喝破する。喝破し

「まぢ興味ぁる〜♪でも最近めっちゃぃそがしぃんだょね。。。><」

男どもより数段上のマイルドな言い回しで、その誘いを断ることだろう。

そういった事実関係を踏まえた上で、僕は、女性の方から 「男の人ってシモのことばかり考えているんでしょう?」と言問われれば、曖昧に笑いながら 「まあねぇ〜」と率直に返すことにしている。なぜなら、現実にそうだからである。もしそれとは異なる男性がいても良いとするならば、ごく限られた出家僧と鈴木史朗アナウンサーだけであろう。そんな気がする。

バカではないがアホではある我々は、日々そういった涙ぐましい誘い文句を考案しつつ、多くの場合100回中99回程度轟沈している。ひとえに性欲の強さの故である。慌てる乞食は貰いが少ない、というが、まさにそれを体現したような具象、それが男という存在そのものだ。哀れな人たちだわね、と思われる向きもあるかもしれない。だが、実際に哀れであるのだから仕様がない。正しすぎる正論は本当に虚しい。

ただ、99回轟沈したとしても、1回くらいは成功することもある。要するにそれはデートの確約を得られたときの話だ。

このときの我々が何を考えているかといえば、もしかしたら皆さんのように思慮に欠ける人たちは「どうせセックスのことばかり考えているのでしょう?」と思われるのかもしれないが、ハッキリ言ってそんなのは当たり前の話である。もしもあなたが執拗にデートに誘われているのだとすれば、その瞬間、あなたは既に我々の妄想ペニスの中で数百兆回数は貫かれていると思っていただいて結構だ。我々のことを甘く見てはいけない。

とはいえ、デートの確約が得られた時点で、その程度のレヴェルの妄想・虚妄の類は三周回って既に忘却の彼方にあることが多く、大体の場合は

【けいこ(仮名)、新居の庭に何匹犬を飼おうか】

広い視野で未来を見据えている場合が極めて多い。
経験則から導かれる、確かな答だ。

−−このように、僕たちはたった一回のデートに漕ぎ着けるまで間、実に様々なことを思案する。男の中にも性欲の大小は存在するが、それでも、妄想天国内において 「デートをしたいアナタ♥」 とのエトセトラ (≒セックス的な何か) を夢想しない人間は、ほとんど皆無だと言っていいだろう。

そこを指して、「男の人はシモのことばっかりだよね……」 との謗り、それは甘んじて受けたい。

だが、ここから先の話。
それはもう、性差の一言では片付けられない。

例えば、デートを確約した夜に。僕たちは恵比寿のダイニングバーで小洒落たカクテルを酌み交わすかもしれない。「あれっ?そのマニキュア綺麗だね(笑)」「やだもう〜★」式の、場末の肥溜めのような会話を投げ合うかもしれない。そして二人は終電を失うのかもしれない。

そんなこんなで様々な帰結として、二人の間に、ごく穏便な態様でのセックスがあったとしよう。

その結果として、その女性が、様々な経緯の果て、いわゆる 「ヤリ逃げ」 をされたのだとしよう。

その際に、そのエピソードを、無関係な人物に語りながら、


「結局……」(フゥ〜、と深い溜息を吐きながら)

「男ってさぁ……」(無意味な溜め)

「ヤルかヤラないかって話だけ……」(虚空を見つめながら)

「で し ょ ?」(ド ヤ 顔) 


思うに、こういうことをしゃあしゃあと抜かす女について、無許可で殺す権利を我々に与えて欲しい。マーダーライセンスを付与して頂きたい。

悲しみは分かる。対象に対して抱いた、名状し難い憎しみも、出来れば理解したい。しかしながら、その悲哀は、あるいは憎悪は、 "ヤリ逃げをカマしたその人" だけに向けるべきものなのだ。結局男は〜…… 云々と安易に語って良い類の話ではない。

なぜならば、たとえ男が女性に比して性欲を抑えがたい存在なのだと仮定しても、最終的にセックスをするか否かを判断するのは、いつだって "そこにいる二人" の意思でしかないからだ。

女「なんだかノーって言える雰囲気じゃなくってぇ〜……」

眠たい話である。そのロジックが通るのであれば

男「なんだかオッケーっぽい感じだったからさぁ〜……」

水掛け論になるだろう。

再三になるが、こと若い時分、男の性欲がハイパーなレベルで強いことは認めたい。だが、「強い」ということは、別段「無軌道」であることを意味しない。「性欲の強さ」と「紳士性」とは、思うに、相矛盾しない概念である。

「じゃあ、なんでヤリ逃げされたの?それってやっぱしたいだけだった、ってことじゃないの?」

結局、そんな極端な例を嘆かれても「しらねーよバカ」としか言いようがないのだ。そんな風に禍根を残すやり方でセックスをした男の方がクズなのであり、あるいは、そんな男に股を開いた女もまたカス、ただそれだけの話だ。事態は実にシンプルである。男性一般における性欲の強さであるとか、身勝手さであるとか、そんなものは全く関係がない。

結論としては


執拗に誘ってきた男と (←男特有の積極性、という性差の問題)
デートに行って (←個人的な決断)
セックスした (←知るかバカ!)
でも逃げられた (←乙wwwwww)


これだけのことだ。
そんな個人的な怨恨を癒すがため、ごく稀有な例を "男" というフェーズで過度に一般化して、飲み会の席でしたり顔して

「結局男ってさ……」

と語り出す女。

マーダーライセンスが欲しい、と思う数少ない瞬間だ。
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てんとう虫コミックス第63巻 3話 「さよならドラえもん」

「ドラえもん、キメセクがしたくて仕方ないんだ。どうにかしておくれよ」

「のび太くん、キメセクって何だい?」

「ドラッグをバキバキにキメながらするセックスのことだよ」

「ああ、要するにシャブセックスのことか。僕もよくやってるよ」

「だったら話は早いね。コカインでもヘロインでもいいからとにかく頂戴よ」

「それは構わないけど、藪から棒にどうしたっていうんだい?」

「野暮なこと聞くなよ。そんなの、したいからに決まっているじゃんか。快楽にくどくどした理由が必要かい?」

「言われてみればその通りだね」

「で、あるの?」

「うーん、この前彼女とする時全部使っちゃったからなぁ」

「ミィちゃんと?」

「法子っていうんだけどね」

「なるほどー。じゃ、ダメか……」

「いやいや、あるにはあるんだ。この前、第三埠頭で西から流れてきたバイヤーから買ったのが」

「なんだ、じゃあそいつをおくれよ」

「でも、質の悪いブツだったらいけない。まずはパパとママにキメさせて様子を見てみよう」

「慧眼だなぁ」

「じゃあのび太くん、石ころぼうしを被って下に降りよう」

「オッケー」

「二人はテレビに夢中みたいだね」

「会話もまるでない。夫婦関係は既に冷え切っているのかしら」

「でもこの魔法の粉があれば……」

「うふふっ」

「よし、まずはこの駆血帯で腕の付け根をしばって……血管を浮かせて……準備完了っと」

「3,2,1……ゴーです」

プスッ  チューーー……

「−−?!いま、何だか腕にチクリとした痛みが……」

「あなたも?私もなんだかこの辺に違和感が……」

パキパキパキ!

「くあっ」 カキーーン!

「……あっ……あっ……あっ」 ゾクゾクゾク

「効き始めたみたいだね」

「この際だ、ついでにRUSHも吸わせてみよう」

「キミのポケットは天井知らずだね」

「四次元ポケットだからね」

ゴソゴソ スッ

「んがっ!?」 カーーーーーーーーーン!

「んああああああああああああ!」 パキパキパキ

「これは凄いね。予想外の効き目だ」

「さすが大阪はんや。商いが確実やで」

「玉子っ、玉子ぉーー!!」

「んほぉ!!あっあなたっ、はやっ、はやく挿れてぇぇええぇええ!!」

「もう十分だ、退散しよう」

「あとは大人の時間、そこは邪魔しちゃいけないかな」

「モラルというか、マナーだね」

「それで、どうするの?誰と使うつもりなんだい?しずちゃんかい?」

「いや、しずちゃんはもうダメだ……出来杉が個人的に精製したヘロインのやり過ぎで、骨と皮だけみたいな感じになっちゃってさ……」

「そういうのはスネオ君に任せておけばいいのに……」

「そうそう、スネオだよ。あいつのパパのコネで、今夜あたり大規模なドラッグパーティーが催されるらしいんだ。でもスネオったら 『参加したけりゃ自分でブツ持参しろよな』 とか言うんだもの」

「まるで人非人だね」

「とにかくも、これでキメセクパーティーに出席できるよ。ドラえもんも一緒に来る?」

「いや、僕は遠慮しておくよ。これから22世紀でセワシ君と電子ドラッグパーティーに行かなきゃだから」

「電子ドラッグ?」

「22世紀じゃあ大流行さ」

「科学の発展は日進月歩だね」

「じゃあのび太くん、楽しんできて。でも友人としてこれだけは忠告しておくよ」

「なんだい?」

「ゴムは着けるんだ」

「ロンモチだよドラえもん」

「それが原因でセワシ君産まれたようなものだからね」

「キミ、デリカシーって言葉知ってる?」

「いってきまーす」

「まったくもう……まあいいや。とりあえずスネオのところに行こうっと」

ピンポーン

「誰だ?!」

「のび太だよ」

「本当にのび太か!?」

「本当にのび太だよ」

「本当にのび太なら合言葉を知っているはずだ!僕が今から言うことに答えろ!」

「分かったよ」

「♪そーらをじゆうに とーびたーいなー」

「ハイ!シャブ!」

「のび太だ!」

ガチャ

「悪いね、最近どうも疑心暗鬼に陥っちゃってさ」

「いいよ、用心してし過ぎることはないさ。おじゃましまーす。あっ、スネオのおばさんこんにちは……って、彼女どうしたの?」

「5時間前からずっと床ばかり磨いているんだ。どうも楽しくてしょうがないらしい」

「シンパシー感じちゃうなぁ」

「で、ちゃんとブツは用意してきたんだろうな?」

「ロンモチだよ。ドラえもんが都合してくれたんだ」

「で、効き目は確かなのか?」

「バキバキみたいだよ。うちのパパとママで試してきたから確実さ」

「お前、鬼だな……」

「ようジャイアン。って、何だ。もうキメてんのか」

「う〜みよぉ〜 お〜れ〜の〜う〜〜みよぉ〜〜」

「使いもんになるの?コレ」

「でもジャイアンってばすぐにスカルファックしたがるからなぁ。このままトリップさせといた方が無難だよ」

※スカルファック(Skull fuck)は、膣または肛門に頭部を挿入する性行為である。(wikipediaより引用)

「まあいいや。どっちにしても女の子が集まるまで待ちきれないよ。僕たちも先にキメちゃおう」

「せっかくだからのび太のそれ、僕も試してみようかな。ヘイ、パース」

「ヘイヘーイ」

ズブッ チュー

「あ…あ…あぁ…………」 ゾクゾクゾク…

「どれ、僕もひとつ」

ズブッ チュー

「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」 ゾクゾクゾク

「のび太っ、のび太ぁぁぁぁぁ!!!」

「スネオっ、スネオだああああああい好きいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

「むぎぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!ふひぃいいいい!!!!」

「す、すーっ、スネエーッ!!スネーッ!!」

「の、のび太、のび太のカリが!!おおおお大きく広がってて!!しゅ、しゅごいいいいいい!!!」

「す、しゅ、シュネオォォォォ!!!」

ズッ ズズッ ズブリ!!

「んぎいいいい!!き、気持ちイイぃぃぃ!!」

「い、いいのかい!?大きく広がった僕のカリがいいのかい!!?」

「くっ、くやシイタケッ……!!」

−−その頃22世紀では−−

「せ、セワシ君……なんだか、か、身体が、消えていくよ……!」

「ギ、ギギ……僕のか、身体も……ギ!?」

そう、20世紀のあの日……ホモ・セックスに開眼してしまったのび太は、爾来異性間性交をすることを止めてしまう。その結果として何が起きるのか。野比家はのび太の代で末代となり、だからノビスケもこの世に生を受けず、その帰結としてセワシも誕生しない。故に、ドラえもんも、野比家との関わりを永遠に断絶されてしまって−−。

「の…びた……くん……」

さらさらと、はらはらと。
陽に照らされた粉雪のように、美しくも儚くその姿を溶かしていく、ドラえもん。

「さよ…う……な……」

20世紀と22世紀、その隔絶した時間の中で。
永久を誓い合った二人の友情は密かに、しかし確実に、消え去っていった。

ドラッグに手を出してしまった、ただそれだけのために。


【薬物はあなたの人生を、その家族を、確実に壊します。
一度くらいなら、という軽い気持ち。それが破滅への第一歩です。
絶対に、やめましょう】



「んぎもちいいいいいいいいいい!!」

「くやシイタケーーーーーーーー!!」
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お酒の話

酒を飲む以外には努めて外出しないように心がけているのであるが、それというのは、酒を飲む以外の用件についても一々外出していれば即・破産の憂き目に遭ってしまうからである。街には本当に誘惑が多い。

そのように極限なまでのストイック生活を送っていてもどういう訳か年中スカンピンな有り様で、結果として僕は年相応の分別を身につけるよりも先に『タカる・ユスる・バックレる』という負の三大技術ばかりを高めていくこととなった。これらの技巧を身につければ財布には優しい反面、人間関係には厳しい。副作用として友人が光の速さ爆散すると、いう諸刃の剣である。心臓の弱い方と、友人関係を重視している方には、オススメできない生き方だ。

故に僕は安居酒屋を探すことに血道をあげている。つい最近まで住んでいた鹿児島という土地は、その点について優しかった。そこでは定食屋はもとより、場末の喫茶店にまで焼酎が常備されていた。200円前後の値段であった。

何事にも猜疑的である僕は、本当に200円程度で焼酎が飲めるのか?という疑問を当然に抱いた。結果として僕は赴く店の殆どで実際的探求を行うこととなる。専ら知的好奇心に突き動かされつつ。

目の前に届けられた焼酎は、割られるでもなく、薄められるでもなく。ただ生まれたままの御姿で、要するにストレートの状態で、我々の眼前に鎮座在していた。200円で。

友人「ほら、ちゃんと来たじゃん」

僕「しかしなぁ……二杯目もこれと同じ量、とは限らんのじゃないかなぁ……」

何事にも猜疑的である僕は、瞬間的に統計学者のマインドとなる。同じ焼酎は二杯としてない。平均値はどこか。僕は友人と共に一杯一合200円の芋焼酎を飲み伏せると、あたかもそれが義務であるかのような所作で、二杯目を注文した。

友人「全く同じ量だよ」

僕「さりとてなぁ……三杯目あたりから誤魔化しのひとつくらいは入る可能性も……」

鹿児島中央駅、正午過ぎから夜半まで。
8杯を干したところまではかろうじて覚えている。

「いずれにせよ、鹿児島の飲食店が実直な経営をしていることは確からしい」

そんなようなことを、滝のようなゲロを吐きながら痛感した。
とにかくも鹿児島は優しく、そして懐深い土地であった。

記憶の中で同じく優しいものを挙げるとすれば、それは大阪へと帰納していく。そこにあった優しさとは鹿児島でのそれとは別種のものであり、平たくいえば 『朝からモリモリと飲める』 その点にあった。

東京にも朝から飲める店はゴマンとある。が、どちらかといえばそれは "朝まで飲ますよ" という色彩の方が強いことも否めない。オールをカマして、何となく流れで朝まで……という際には重宝するが、その実、店にいるほとんどの客の目は虚ろだ。僕の知る中で例外があるとすれば、築地市場の場外の居酒屋くらいのものだろうか。

大阪の場合、東京とは少し異なり、積極的な意味で朝から飲ませる店が相当存在している。僕が赴くのがいつだってそういう場所ばかりだからそう思うのかもしれないが。

「生、大ジョッキでくれや」

朝の7時に。還暦などとっくに通り越したであろうご老体が、少しの淀みもなくキッパリと言いのける、その姿。名状し難い "頼もしさ" みたいなものを覚えるのは、果たして僕だけであろうか。

「俺みたいなもんでも生きていていいんだ」

そう確信できる数少ない瞬間である。翌日には滝のようなゲロを吐きながら。

上述したような店の特質を兼ね備える店を、永く東京で見つけることができなかった。つぼ八のことは好きだ。しかし、あくまでもあそこは緊急避難所のような位置づけでしかない。

ただ飲む、という点を重視するのであれば、コンビニで酒を買って公園で飲むのがずっと安価で、ずっと自由だ。

しかし、伝わりにくいかもしれないが、僕が求めているのはそういうことではないのである。

「話題沸騰!焼酎、飲み放題で1000円!」

違うのである。

「自炊居酒屋!驚くほどのコストパフォーマンス!」

もっと泥臭く、もっとどうしようもない、何か。
そういうところで僕はお酒を飲みたいのだ。

ようやく見つけたそれは池袋西口にあった。その店は『ふくろ』といった。ある意味でひどく有名であるその店は、朝の7:30より営業を開始し、焼酎が徳利一本で190円であった。僕の求める全てを兼ね備えていた。

1階は全席カウンターで、どの時間帯を見ても平均年齢層は50代を下らない。事と次第によっては70代にまで達することもある。店内には一日を通して心地良い瘴気が漂い、負のオーラが充ち溢れ、仮に彼女との初デートをこの場所に選んだ場合、彼女側からの訴追により最高裁まで揉める可能性も否定できない。そのくらいワンダーでポップな雰囲気である。

酒の安さは先に書いた通りであるが、ここにはもう一つカラクリがある。結論から述べれば、そこで提供される焼酎というのが、質的において粗悪極まりないのだ。

この前隣り合った常連のオッサン曰く

「兄ちゃん、こんなもん飲んどったら早晩死ぬぞ」

年配の方々の放つ御言葉はいつだって含蓄が深い。

よってその焼酎を飲む場合、必然的に他の何かで割ることになる。経験則上、その徳利焼酎をホッピー (ノンアルコールビールのようなもの) で割れば、ざっくり言ってジョッキ3杯は戦え、それだけ飲んでも400円程度のものである。破格と言わなくてはならない。

加えて、この店で飲んでいると、ほぼ100%の確率で隣の席に座ったおっさん……もとい、人生の先輩方から、絡まれる……もとい、ありがたい説法を賜る……という貴重なオプションが付いてくる。この説法の珍重なところは、その法話の最中に30分ほど居眠りをカマしても、話題が何ら変化していないという点にある。ひとえに人生という道を語るには、那由他の時間を要するからに他ならない。

おっさん「だからさぁ!!○×□ぎゅhじこlp;@ふvbhんjkm、ホッピー!」

僕「ハッハーン……いやー、さすがっす!」

サンスクリット語を学ぶ機会にも恵まれることだろう。

とにかくも、酒が安く、時間的にも融通がきき、また朝から酒を飲んでいても何らの罪悪感を覚えることがない。そんな三点が相まって、僕はこの店を非常に重宝している次第だ。どんな土地にだって、酒に優しい場所はある。そんな当たり前のことを、僕は少しく忘れていたらしい。

最後に、あえて注意点を挙げるとすれば。

この店にはホームレスからヤのつく商売の方まで幅広い年齢層が取り揃っているそうで、この前話した常連のおっさん曰く

「そこらの席で騒いでたガキが外に連れ出されてボコボコにされてたよ。兄ちゃんも気を付けなね」

ガハハ、と笑いながら有り難い教えを説いておられた。

また、重ねて曰く

「あと、この店って一階には男女共用のトイレしかねーんだけど、若いねーちゃんが一階のトイレ入ったら、じいさんがその後ろからこっそり追いかけてくっから」

僕「お、追いかけて、何を?」

「見たり触ったりすんじゃねーの!?ガハハ」

実に示唆に富んだ御言葉を賜ったことを、ここに明記しておく。
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ある夏の追憶

性愛と純愛との分水嶺はどこにあるのか?その結論を導くには実に微妙で繊細な判断を要する。ややもすると両者を区別する実益など、どこにも無いのかもしれない。二つの概念は常に曖昧模糊としており、また、非常に近接しているともいえよう。

「俺は恋愛がしたいのだろうか?それとも、セックスがしたいだけなのだろうか−−」

思春期を真っ只中にいる少年たちの誰もが抱く、永遠の命題がこれである。切なくて苦しく、字面的には高度に思弁的な問いかけである。が、少年たちがこのような疑問を胸に抱くのは、大抵の場合オナニー直後であることも付記しておきたい。

下半身を露出したまま、ふと、脳裏に。数ヶ月前に愛の告白を受けた一人の女性の顔が浮かんで消えた。

「付き合っておくべきだったのだろうか」

チンコの付け根あたりをグイグイと押しながら、尿道に居残った精液を絞りとる。全体、チンコというものは難儀な造りである。少年は自らの内だけでその行為のことを "残党狩り" と呼んでいた。

やはり、付き合わなくて正解だったのだ。少年はひとり自答する。性欲が霧散したいま、記憶の中の彼女を想起するが、何らの後悔も浮かんでこない。胸中にあるのは、少しお腹の空いたことと、早く眠りたいのと、ただそれだけであった。

「明日は何か面白いことあるといいな」

夜だというのに、表の方からセミが一匹、やかましく鳴く声が聞こえてきた。季節は間違いなく夏である。少年の心を意味もなくかき乱し、やたらと浮ついた気持ちにさせるのも、やはり夏の仕業であったに違いない。

「昨日彼女と二回戦もしちゃってさぁー。マジ、腰が痛いわ」

セブンイレブンの裏で友人がそんなことを語っているのを耳にするたび、少年はいつだって自分が世界で一番無価値であるような気持ちになった。彼らの話すエピソードは、彼らの立ち居振る舞いは、少年が心に思い描く 「あるべき夏」 という存在そのものであったからだ。

俺とあいつとの違いって、一体なに?

駄菓子屋で氷菓を買い求め、公園で走り回っていた数年前までの彼らの姿は、今やどこにもない。ある者はバイト先で知り合った先輩とデートに繰り出し、ある者は高校の同級生と自室で息を殺してファックに勤しみ、ある者は家族に悟られぬよう隠密のマインドで自慰に耽る。

平等などどこにもない。
そんなことを、少年は実地で学ぶ。
狂ったように照りつける太陽の浮かぶ、夏の空の下で。

「実は、好きなんだけど……」

PHSに届けられたメールに指示された通りの場所に行くと、五分後くらいに少年はそんなことを言われた。確かに平等はどこにもない。けれど季節の移ろいは、夏の訪れは、誰にとっても等しい。少年にあっても、少女にあっても。

「恋愛か、セックスか」

もう何度となく胸に抱いたはずの哲学的命題が、またも少年の脳内で暴れて狂う。ここでの事実は二つ。目の前の彼女が少年のことを好きであるということ。そして、少年はその彼女のことを何とも思っていないということ、以上だ。

『二回戦しちゃってさぁー』

不意に、先日聞いた友人の言が耳朶に蘇った。二回戦、したい。俺もしたい!それは偽らざる少年の本心である。それでも返答を留保したまま、ベンチの上で少年は膝を組み替えた。

「えっと……」

消え入りそうな声を横から聞き、ふと我に帰った。少年の妄想天国内では "コンドームのスマートな買い方" の検討が始まっていたところだった。慌てて目を上げると、そこには、初めて見る私服姿の少女の姿があった。

あるいはそれが悲劇の始まりだったのかもしれない。
瞬間、少年はこう思ったものである。

「こいつ、あんまり可愛くないよね」

少年は、高校生でありながら、既に制服フェチだった。その帰結として、少女の私服姿というものに、何らの価値も見出せなかったのである。いや、むしろ、少女は "この日に制服姿を選ばなかった" という時点で、自らの魅力を著しく低減させていたと言っても過言ではない。少年の中だけで。実に理不尽に。実に一方的な態様で。

「この人に告白されたということは、別のもっと可愛い人からも告白されることが、あるやも」

あまねく想念が結論へと向かって収斂していく。夏休みの前に、少年が別の少女からも告白を受けていた、というのも一因としてあっただろう。後になって分かることであるのだが、少年は当時、いわゆるモテ期にあった。

「もっといい女がいるんじゃないだろうか……?」

大いなる虚妄である。著しく自主性の欠落した、何ら益のない打算だ。だが、少年の内で過度に肥大化してしまった自意識は、どうせ童貞を捧げるならびっくりする位可愛い誰かに捧げたいよね−−そのように形成されていたのである。


じゃあ、その誰かって、一体誰?

その人としたいのは、恋愛なの?セックスなの?

あなたは一体、何が欲しいの?何を求めているの?


少女を振ったその夜。
空になったネピアの箱を潰しながら、少年は漠然とそんなことばかりを考えていたのであった。

「おっぱいパブに行こう」

夏も終わりに近づいた頃、少年はそんな誘いを受けた。おっぱいにもパブにも縁のなかった少年は、その二つの概念が合わされば一体どんなケミストリーが誕生するのか?そんな疑問を持て余すばかりだった。

たどり着いた先、田舎町の歓楽街の片隅に、そのおっぱいパブは鎮座ましましていた。淫靡な色彩を放つネオンがやたらと扇情的で、直前に用便を済ませたはずの少年はまたもトイレにいきたい気持ちに駆り立てられる。

「コースはいかがなさいますか?」

「2000円ので……」

おっぱいを測る尺度をメジャー以外に知らなかった少年は、その2000円という額が高いのか安いのか、皆目見当が付かなかった。とにかくも酒代、税金込み込みでの2000円なのであって、要するにおっぱいの価額は2000円を下回ることは間違いないし、じゃあ、左の乳は750円くらいなのか?少年は瞬時にそんなことを思った。

「こんにちは〜」

程なくして少年のもとに女性がやってくる。曖昧に笑いながら、その実、少年の眼は女性の胸へと釘つけとなった。未知との遭遇。ファーストおっぱい。少年の心は千々に乱れた。

「じゃあ……上に乗ってもいいかな?」

刹那、森田一義アワーに特有なあの台詞が口をついて出かかる。が、懸命にそれを押しとどめ 「あ、どぞ」と、少年は冷静さを保った。すぐに眼前へとおっぱいが押し寄せてくる。コーション!コーション!あれは、なんだ?!いや、おっぱいだ。少年は心の中で禅問答を繰り返した。

「じゃあ、触ってもいいよ」

不意に、少年は自らの内に名状し難い "ときめき" みたいなものを覚えているのを知った。鼓動が高まる。薄暗い店内の中、膝上に座る彼女を見上げる。少年の瞳に映るその女性は、何だかとても美しく見えた。不可解なほどに心がざわつき、ドキドキしていた。


だからこの時、少年はようやくひとつの真実に気が付く。
このときめきは、ただの性愛に過ぎないのだと。
いま、彼女のことに何だかクラクラきているけれど、それは決して恋愛なんかではないのだと−−そんなことを。

『性愛と恋愛の違いはどこにあるのか?』

その答までもが少年の心に去来したわけではない。
だけど、その両者が確実に違うこと。時に交わることはあるにしても、ふたつは絶対に同一となることはないこと。少年は、理屈ではなく感覚でそれを理解した。あの夏の日に。場末におっぱいパブにおいて。

「ありがとうございましたー」

従業員の声を背中に受けながら、少年は店を後にする。その胸には二つの想いがあった。永くの間自らを悩ませていた疑問に対する光明が見えた……という爽快感。そして、2000円分、否、贔屓目に見て5000円分はおっぱいを揉みしだいてやった……という充足感。それだけである。

「もう夏も終わりだねー」

帰路の道すがら、友人の一人がそんなことを口にした。
季節は変わる。移って、巡る。
心の四季だって、同じように。

「あの子と付き合っておくべきだったのだろうか?」

沸き立つような夏の心は、ときに少年をそんな妄念へと誘い込んだ。
もはや、少年はそんな虚妄に因われない。


思い出に残る彼女たちの姿に、後悔とも諦念つかない、漠然としたときめきを覚えたことは、今日のこの日まで幾度とあった。

しかし、いまなら分かる。
そんなものは、ただの性愛に過ぎなかったのだと。
片方750円のおっぱいを体験した、いまとなっては。

「彼女、欲しいなぁー」

「お前いつもそればっかじゃん」

本当にそうだった。だけど、これからは真摯に向き合える気がする。告白をしてくれた、あるいはこれからしてくれるかもしれない、誰かと。そして、少年自身と。侘しさのある秋の心で。厳しさを見せる冬の心で。穏やかな春の心で。あるいは、激しい夏の心で。

新学期が始まる。
今度こそは正しく恋愛をしよう。
晩夏のとある夜、少年は、ひっそりと確実に、そんなことを胸に誓った。


「あの人さぁ……何か、ホモらしいよ」

「うわ、そうなの?」

「あー、だから告られてもOKしないんだ!」

「そういえば中学校のときも−−」

あの日、あの夏。少女たちの間で、少年に対するそのような噂が、光よりも速く広まっている事実も知らずに。


「よし、頑張ろう!」

己がモテ期がとうに終わっていることもしらず、いやむしろ、違う方向へとハッテンしていることにも気付かず、少年は哀れにも、ひとり決意を新たにしていたのであった。


遠い、遠い。
夏の日の話である。
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当ブログについて


ブログ名:肉欲企画。
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管理人:肉欲棒太郎(にくよくぼうたろう)
開設:2005年2月〜

【概要】

日々思ったことをざっくばらんに綴る場所となっております。
管理人の羞恥心は、通常人が有するそれよりかなり低めに設定されておりますので、品性のない表現に気を悪くされる方もいらっしゃるかと思います。

その場合は速やかにブラウザの『戻る』ボタンを叩きつける、窓の外に目を遣って深呼吸をする、あるいはウィンドウを破壊するなど、各種メンタルケアを執り行い、「こんなブログが存在した」という事実そのものを記憶からデリートしていただけると幸いです。

もし琴線にピピンと触れる何かを感じましたら、これからも末永く宜しくお願いします。

肉欲棒太郎拝

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1999年12月30日

1999年12月29日

くもがながれる 【紅白日記合戦提】

神経質そうな男の見解

人が死んでるんでしょ?だったら殺人、それでいいでしょう。他に何か言うことあるんです?

殺す気はなかったかも……って、ねえ。いや、ま、確かにそうかもしれませんよ。でも、現に人が死んでいるんでしょう。そして、それが誰かの手によって起こされたっていうのなら、そりゃもう殺人でしょ。違うの?じゃ、何が違うっていうの。殺す気がなきゃ、人なんて殺せないでしょう。

事故?あなたね、事故っていうのは、車を運転していた人がハンドルの操作を誤った挙句、期せずして人を殺す、そういうのが事故でしょう。予測できないからこそ事故なんだ。で、今回の件はどうです?予測できるんじゃないんですかね。まともな教育を受けてる人間なら、こうしたらこうなる、ああしたらああなる、その程度の予想はつく訳でしょう。それを安易に事故だなんて、バカ言っちゃいけない。

別にね、この人がどうなろうが、僕にとってはどうでもいいの。事故なら事故、殺人なら殺人、どっちでもいいから。興味ないから。ただね、あんたらが『何か言え』っていうもんだから、私としても、そりゃまあ殺人じゃないの?って、そう主張してるの。

そうだ。あのさ、たまに街で暴れた頭のおかしな人が、裁判した挙句に無罪放免になるケースがあるでしょう。ああいうはやめて欲しいですね。どうして罪のない一般市民がそんなリスク負わなきゃなんないんですか?どう考えてもそれはおかしいでしょう。僕らがリスクを負うんじゃなくて、最初から頭のおかしい人は野に放たなければそれで済むんじゃないの?野生のクマとかイノシシとかと何が違うの、ああいう人たち。

だからまあ、とにかくね。
殺人、殺人者だよ。この人は。
無罪とか有り得ないね。


若い女の見解

分かんないんだけど、まあ別に……あるっちゃあるんじゃないの?いや、分かんないんだけどね。あたしはその女の人じゃないしさあ。オトコとオンナってさ、やっぱ二人にしか分かんないようなとこがあんじゃん。それをアタシがどうこういうのも、なんか違くない?アタシ?逃げるでしょ、普通。自分から指切られたい!なんて思うヤツとかいんの?

あ、待って。ああ……うん、よく考えたら知り合いにいるかもね、そういう変なヤツ。そいつはね、こう、ベロ?舌をね、なんていうの、真ん中からスパッと切り分けてんの。ヘビみたいな感じで。ボディピの延長みたいな感じ?って分かるかな。初めて見た時はドン引きしたけど、今となっちゃあそれもそれでアリなんじゃん?っていうか。まあ自分の体なんだし、自分の好きにすればいいんじゃん。ほら、個性ってさ、大事だから。

だからさぁ、アタシはこのオンナの人のことなんて全然分かんないけど、そういう人もいるってことでいいんじゃないの?気の合う人たちでこっそりやってりゃいいよ、迷惑かけなきゃなんでもアリだって思うもん。アタシはしないけどね、痛いのイヤだから。

そういや、このオンナの人って死んでんだっけ。てかさ、こういうのもDVになんのかな。最近多いよねー、口論に負けたらすぐ殴ってくる男ってさあ。ウチらの周りにもそういうの相当多いよ。死ね、って思うし。

でもさあ、オンナもオンナだって思わない?何だかんだ言って殴られる方にも原因あんじゃないの?みたいな。ま、この人らだって最初は愛し合ってたワケでしょ。だったら、オトコも反省してるみたいだし、適当に許してやってもいいんじゃないの。

やっちゃったもんはしょうがないし、せいぜい次に活かしていくしかないと思うよ。アタシはね。


壮年の男の見解

信じられないな、というのが率直な意見ですね。だってそうでしょう?死人に口無しって言いますけど、あれは彼女が何も喋ることができないのを良いことに、事実を無理やりでっちあげている。そう思えて仕方ありません。

二人の営んでいた夫婦生活について?そりゃあ、私だってきちんと検討しました。確かに、まあ……常識的に考えれば、夫の名前を自らの肌に焼印するだなんて、彼女の同意がなければ不可能かもしれません。どう考えても異常な状況ですし、一般的な感覚からすれば焼印を無理強いされた段階で逃げ出すことと思います。

ただ、こうも考えられませんか? 『異常な状況に置かれていたからこそ、彼女はまともな判断を下すことができなかったのだ』、と。何でしたか、あの、ストックホルム症候群でしたっけ。銀行強盗に遭遇してしまった人が、過度の抑圧状況に置かれるあまり、犯人に対して特別な感情を抱いてしまう――という現象。だから彼女も、夫と日々顔を突き合わせている内に、いつしかおかしな思考に陥ってしまった。私はそのように予想しています。

仮に。夫の述べていることが全て真実だとしましょう。妻に請われるままに彼女を傷つけた、彼女の言うがままになっていた……それが事実なのだとして。どうにも、僕にはそれが免罪符になるとは思えません。

常識で考えてみて頂きたいのですが、今回の被虐行為が彼女の意思に沿うものだとしても、それを許容して良いのかどうか。それを許すこと、それは 『相手が望むことだったら何をしてもいい』 という結論を導くことになるわけです。では、 "相手の望むこと" って一体何ですか? 望んでいることと望んでいないことと、その線引きをどこに求めるのです?ある人が何を考えていたのか、なんて誰にも分からんことでしょう。 『相手が望んでいたから』 という理由だけで何もかも許していたら、全ての犯罪者は無罪になりかねないわけだ。

彼女はきっと、幼い頃から愛に飢えていたのです。故に、己の体を売りながら糊口をしのぐような真似にも耐えることができた。私はそう見立てています。また、彼女は、ようやく手に入れた伴侶、それをどうしても手放したくなかった。だからこそ夫から加えられる暴力にも我慢できた、あるいは我慢することで、彼からの愛を保とうとした。違いますか?

しかしその結果、彼女は死んだ。夫がいたずらに自己の性欲を満たそうとするあまり、彼女の尊い命が散ってしまった。いいですか、こんなことはね、有り得てはならんのですよ。よって我々は、厳たる姿勢で以て彼を断罪せねばならない。違いますか?


生真面目な学生の見解

私たちは神ではありません。だから、起こった出来事を完全な客観性と共に分析することは不可能です。しかしながら『唯一無二の真実』の存在、これを無視してもいけない。故に私たちは、あらゆる事情を斟酌し、全ての情報を総合した上で、出来る限り真実に近づく努力を尽くすべきなのです。

まず、彼らが愛し合っていたのは確かなことでしょう。では、愛し合っていた二人が、何故このような結末を迎えてしまったのか。それを読み解くことこそがこの事件を解決する鍵になると思われます。

彼女は自らの意思で彼と同居していた。ここが重要なポイントです。監禁されている場合を別にすれば、通常、嫌いな相手と一緒に住むことはありません。また一緒に住んでいる以上、同居人の性格、気性、趣味や嗜好、それらも熟知している筈です。そうであるならば、もしかすると彼女は、彼から向けられた暴力行為を積極的に受け入れていたのではないか?そのようにも考えられます。

少し話は逸れますが、現代では、被虐的な行為を好む人たちが相当数存在しています。通俗的な言い方をすればエスエムプレイ愛好家、と呼ばれる人たちです。その観点に立って考えると、あるいは今回の事件は、あくまでも『プレイの範疇』だったのではないか?

個人的な考えですが、今回の彼らの行為が『プレイ』の範囲内に収まるのであれば、これはやはり不慮の事故というべきです。そうではなく、彼らのやっていたことが『プレイ』の範囲内を逸脱しているのであれば――犯罪、このように考えた方がいい。

それを踏まえた上で、さて、実際どうなんでしょうかね。その、どこまでが『プレイ』なのか、結局これは各々の価値観によって違うわけですから。私などは、何と言いますか、経験が少ないため、通常の『プレイ』といっても、ちょっとどこからどこまでが、まあ、"そういう"ものなのか、これを判断しかねるんですけど、ええと……愛する人の要望は全て受け入れたい、という考えは何も奇異ではありません。それでも今回の件はいかにも……ただ、そういうプレイをしていた作品もどこかで……いえ、何でもありません。

結論ですか?ああ、その、ま、とりあえず。
今回は取り急ぎ保留、ということで、ひとつ。





・・・

被告人Kの供述をもとに構成した叙述文(訴訟外記録)



幼き日、蜘蛛の巣に悪戯をした経験はありませんでしょうか。
木々の間に張り巡らされた、幾何学模様の蜘蛛の巣。
別に蜘蛛のことが好きなわけではない、好きなわけではないのだけれど――太陽の光に照らされ、てらてらと輝くその巣を見て、得も言われぬ好奇心、興奮、あるいは陶酔を……覚える。その結果、心ならずも我が手を巣へと、伸ばす。そのような経験は、おそらく、多くの人にあるのではないでしょうか。

人間からすれば、蜘蛛は矮小なる存在です。

だからこそ余裕と、そしてゆとりを持って、我々は蜘蛛の巣へと近づくことができます。

しかしながら、ある種の蜘蛛には毒がある。
そしてそれは、人を死に至らしめる猛毒。

それに気付かぬまま、小さき蜘蛛を侮り、艶なる幾何学へと自らの手を伸ばしたとき。

哀れ人間は蜘蛛の巣に、蜘蛛に、絡めとられることでしょう。



――私にとって、あれは、そんな女なのでした。



・・・


「お客さん、こういうお店、はじめてです?」

やけに瞳の大きな女だな、と真っ先に思った。
僕は曖昧に頷きながら部屋の中をぐるりと見回す。
酔いに任せてやって来たはいいが、初めて訪れた風俗店は、僕に戸惑いと混乱を与えるばかりであった。

「大丈夫ですよ?」

僕の狼狽に気付いてのことだろうか。目の前の彼女は柔和な笑みを浮かべると、ゆるりと僕の肩に手をかける。瞬間、伝わるはずもない彼女の温もりが、ジャケット越しに肌へと届いてくるように感じられた。

「リラックスして下さいね」

できるはずもない。現に僕は、ベッドの上でまな板の鯉のような状態になっている。どうしてこんなところに来たのか……今更になってそんな思いが頭の中を駆け巡る。同時に、会って間もない自分の股間に顔をうずめる彼女の姿が目に入った。

顔も、名前も知らない彼女。
何故だろうか。
そのときの僕は、そんな彼女の来し方行く末が、ひどく心に引っかかった。

部屋の中では淫靡な音と、エアコンから吐き出される温風の音がひたすらに、ただひたすらに、響いている。

・・・

彼女の頑張りの甲斐もなく、僕は射精に至らなかった。
泣きそうな顔を浮かべた彼女は、僕に対して幾度となく謝罪の言葉を述べる。
僕は鷹揚に笑うと、店を出るまでの少し時間だけ、彼女と話をした。

彼女がこの店に勤め始めてまだ日が浅いこと、だから満足のいくサービスができなかったのであろうこと、そんなままで僕からお金を貰うのが申し訳ないこと――それは、実に他愛のない会話だったことだろう。けれどその会話は、ベッドの上で鯉になっている時よりも、余ほど僕に安らぎを与えてくれた。

「また来るよ」

彼女は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべる。が、すぐに破顔して『ありがとうございます』と丁寧にお辞儀をした。何となく気恥ずかしくなった僕は、わざとらしい咳払いをして、そのまま店を後にした。

外に出ると途端に冷たい空気が全身に纏わりついてくる。未だ初冬というのに、ひどく底冷えのする夜だった。僕は両手を合わせるとそのまま口へと近づけ、温い息を吹きかける。刹那、ふんわりとした甘い香りが鼻腔を貫いた。

『ありがとうございます』

彼女の発した声が耳朶に蘇る。
恥ずかしいような、こそばゆいような、そんな名状しがたい気持ちを持て余しつつ、雑踏に向かって歩みを進めた。

・・・

「えっ、どういうこと?」

「だから……」

借金とかじゃなくって。
私は、これくらいしかできないから。
私には何もないから。

この店に通うようになって、何度目かのことだった。
僕が何気なく『どうしてこの店で働いてるの?』と聞いた時、彼女はそんな風に返したのである。
虚偽や謙遜の言葉ではなかった。
彼女は、自己の本心からそう答えた風だった。

「いや、でも……」

そこで思わず口ごもる。
僕が何を言うべきで、何を言わないべきなのか。
果たしてそれが分からない。
借金か、遊ぶ金欲しさか。その程度の動機で働いているのだろう、と高を括っていたものの、それはまるっきり見当違いであった様子だ。

「何もない、ってことはないでしょ。仕事なんて、それこそ腐るほどあるわけだし」

図らずも説教めいた声色になっていく。言いようのない苛立ちが胸の内に生じているのが分かった。

「ううん、違うの。何もないの、私には、本当に。勉強もできないし、人の気持ちも分からないし、だからこうやって、自分だけで頑張ってお仕事をするしか、本当に、それしか。私、何もないから、何もできないの」

いつものように朗らかな顔をしながら、彼女は語る。その表情には一点の曇りもなかった。だからその分だけ、彼女の発した言葉に深い影が落ちてくるようでもある。

「辛くないの?ていうか、それでいいの?別にたくさんのお金が欲しいわけじゃないなら、何もこんな、誰とも知らない男たちと……」

一体僕は何を聞いているのだろうか?誰にだって探られたくないことはある。見れば彼女は、どうにも困った顔をして僕の顔を見つめ返していた。今更になって、僕は己の不明を恥じた。

微妙な沈黙が部屋の中を包む。
僕はあれ以来、彼女と話すためだけにこの店へやって来ていた。
性欲が欠落しているわけではない。
ただ、彼女の顔を見ると、どうにもそんな気が起きないのである。
だから今日も、ただ彼女と話をするためだけにこの店へ訪れた。
それが、こんな――

「悪かっ」

「ねえ、しよう?」

僕の言葉を遮って、彼女は言った。『しよう』、その言葉の意味するところは、おそらく一つだろう。僕は黙ってかぶりを振った。

「いいんだ、そんなことをしなくても。別に僕は」

「ううん、違うの。そうじゃないの。ただね、何ていうか」

私が、あなたとしたいの――と、彼女は。確かにその時、はっきりとそう言ったのである。僕は目をぱちくりとさせると、半ば呆然としつつ彼女の唇を見た。薄い、でも艶のある、とても綺麗な唇だった。

「好きになっちゃったみたい。あなたのこと、大好きになっちゃった。だから、ねえ。しよう?」

「いや、だから僕は」

突然向けられた言葉の意味を僕は理解しかねる。好きだの、どうだの。いきなりそんなことを言われるだなんて、まるで思っていなかったからだ。僕は冷静さを保ちながら、彼女の言葉を押し止めようとする。

しかし、

「こんな店で働いている私はいや?だったら辞めるよ。私、何もできないけど、もしもこのお店を辞めて、そしたらあなたが私を好きに……ううん、違う。あなたが私のことを”好きにさせることができる”のなら、私、それでいい。私にできることがそれだっていうのなら、私はそれでいいの」

ほとんど独白するような調子で、彼女はそう畳み掛けてきた。僕の混乱は絶頂を極める。もちろん、彼女のことを好ましく思っていなかったわけではない。確かにそうではあるが――。

「……駄目なの?」

胸に芽生えつつあった反論の接ぎ穂、その全ては彼女の見せた涙によって打ち消された。僕は考えるよりも先に彼女のことを抱き寄せると、うん、分かった、と上ずった声で呟くのが精一杯だった。

「嬉しい……」

肩越しに聞こえてくる彼女の声は、相変わらず柔らかい。

「嬉しい……」

「俺も……うん」

彼女の告白を受け入れる前と、受け入れた後と。
それは、時間にすればほんの数十秒の違いでしかない。
そうであるにも関わらず、今の僕は、どうしようもなく彼女のことを『抱きたい』と願っている。

まったく、人の心はつくづくいい加減なものだなと、僕は苦笑いを浮かべた。

・・・

彼女は宣言通りあっさりと店を辞めた。多少の慰留も受けたらしいが、もとより人の出入りの激しい業界である。大きなトラブルもなく、彼女と店との縁は切れた。

程なくして、彼女と僕とは一緒に暮らすようになった。というか、彼女は想像した以上に積極的な性格だったようで、ほとんど転がり込むようにして我が家へとやってきたというのが実情である。

「駄目なの?」

僕自身思うところがなかったわけではない。が、彼女の困り顔を前にするとすぐに何も言えなくなった。幸いにして僕は一人暮らしだった。そのせいもあってさほど問題なく僕らの同棲生活は始まりを迎えた。

彼女は実によく尽くしてくれた。三度三度ご飯を仕度し、如才なく家事をこなす。隣近所にも愛想よく振舞っていたし、さして贅沢をしたがる様子もない。『良くできた内妻』、そんな言葉が相応しかった。

「ねえ、もう一回……しよう?」

だが、真夜中になると彼女は別の顔を見せる。普段の朗らかで愛らしい表情とは異なり、布団の中ではひどく淫らな笑みを浮かべた。一緒に住んでいるのだから、彼女が僕を求めること、あるいは、僕が彼女を求めること。それは至極自然な成り行きである。

「お願い、もっと……」

しかしながら、彼女が僕を求めてくる回数はおよそ自然なものではなかった。僕が音を上げるまで、もう一度、もう一度、と何度も懇願してくるのだ。最初のうちはそれでも良かった。けれどそれが毎夜のこととなると、どうしても体力が追いつかなくなる。

「ねえ、あと一回だけ……」

「……ごめん、明日早いから、寝るよ。おやすみ」

「そんなこと言わないで、もう一回だけだから」

「うるさいな……頼むから寝かせてくれよ」

日が経つにつれ、彼女の要求を断る回数が増えていった。
そんな時、彼女は何事も口にしない。

ただ、部屋を包み込む暗闇の中で。
布団を噛み、声を押し殺し、いつまでも飽くことなく――自身の体を慰め続けていた。
夜が終わり、朝を迎えるまで。
ひたすらに、彼女はただ、ひたすらに。

そんな日常だった。

・・・

「最近、だいぶ顔色良くなったなぁー」

その声に、思わず『へ?』と間の抜けた声を上げてしまう。

「いやぁ、お前さん、先月あたりまで随分元気ない顔してたからさ。みんな結構心配してたんだぜ」

同僚は、まあその調子なら大丈夫そうだな、ははは、と豪快に笑いながら立ち去った。僕はそのまま便所にいくと、壁面に設えられていた鏡に自分の顔を映しこむ。なるほど、確かにそこには血色の良い顔をした男の姿があった。

原因は明らかである。彼女との営みを控えるようになってから数ヶ月。僕を悩ませていた寝不足は完全に解消されていた。最初の頃は彼女も寂しそうにしていたが、近頃は慣れてしまったのか、僕のことを執拗に求めてくることもなくなっていた。

それにしても、と思う。
彼女は、どうしてああも僕の体を求めてきたのであろうか。

好きだから?確かにそれもあるだろう。しかし、確たる根拠はないが、どうにもそれだけではないような気がする。彼女が僕の体を求める瞬間、ただ『好きだから』という理由のみでは片付けられない何か、そんな得体の知れないものが在ったように思われた。

(もっと、もっと名前を呼んで下さい……私の名前を……)

ぼんやりと煙草を吸っている僕の脳裏に、彼女との情事の様子が蘇ってくる。行為の最中、僕は何度も彼女の名前を呼んだ。彼女がそれを強く好んでいたからだ。

僕が名前を口にするたび、彼女はその体を大きく捩じらせ、激しく身悶えた。それは何というか、性器の動きに感じ入っているというより、名前を呼ばれること、もっといえば自らを『認識されること』、それ自体に悦楽を覚えているような――有り体にいえば、そんな印象だった。

「ん?なあに?」

日常生活の中でその名前を呼んでも、彼女は大した反応を見せない。ただの杞憂なのだろうか?彼女は家事も、家計のやりくりも、全てのことをそつなくこなす。これで何か文句をつけようものなら、それこそ罰があたってしまうかもしれない。僕は色々なことを考えながら、食器を洗う彼女の姿をぼんやりと眺めた。

「今日もお疲れでしょう?私のことは気にせず、ゆっくりお休みになって」

「いや、いいんだ。おいで、一緒に布団に入ろう」

彼女との営みもしばらく休んでいる。きっと彼女も、内心寂しさを覚えているに違いない。僕はここ数ヶ月のことを少しだけ反省しながら、優しい笑顔で彼女を布団に招き入れた。彼女はほんのりと頬を紅潮させつつ、僕の体にしっとりと抱きついてくる。

「お願い、もっと……」

「ん……」

久方ぶりの情事は明け方まで間断なく繰り返された。

・・・

「おいおい、今日は随分顔色が悪いじゃないか。大丈夫かあ?」

同僚から発せられた無遠慮な声に、理不尽な憤りを覚える。誰に言われなくとも、自分の体調くらいは自分が一番分かっているつもりだ。それでなくとも昨夜は二時間と眠っていない。僕のことを一々気にかけるなら、いっそ放っておいて欲しいものだと思った。

「あ……」

作業に取り掛かろうとして、気付く。ひどく寝ぼけていたため、仕事に必要な道具の一切合財を自宅に置き忘れていた。これでは一体何のために職場にやってきたのか分からない。僕は職長に事情を告げ、大急ぎで家へと向かった。

家へと続く道を曲がると、通勤時間を過ぎた商店街が普段と違う表情を見せていた。忙しなく歩く人影はどこにもない。人々は思い思い家族のために買い物をしていた。

(なんか、いいな。こういうの)

正面からのすれ違いざま、母親の背中ですうすうと眠る赤子の顔が目に飛び込んでくる。
不意に、僕の脳裏に彼女の笑顔が頭を過ぎった。

(きっといつか、彼女と僕とも――)

何故かその時、何の脈絡もなくそんなことを思って、笑った。

・・・

自宅のドアを開け放つと、見知らぬ男の上に跨る彼女の姿が目に飛び込んできた。逆光を背に受け、髪を振り乱し、一心不乱に男の上で彼女は蠢く。僕は一瞬、それが僕のよく知っている彼女だと認識できなかった。あるいは、認めたくなかった。

僕は土足のまま部屋に駆け上がると、妻の下になってだらしなく笑う男の横っ面を容赦なく蹴り上げた。男が低い呻き声を上げた途端、彼女はバランスを失して横倒しになった。背中を見せた男に対し、更に蹴りを見舞う。男はほとんど声も出せないまま、布団の上で醜くもがいていた。

あの時、僕はどんな表情を浮かべていたのだろうか。
鬼のような形相だったのかもしれない。
喧嘩に負けた子供みたいに悔げな顔をしていたのかもしれない。
泣いていたかもしれない。
パニックのあまり、笑っていたかもしれない。
今はもう何も思い出せない。

唯一確かなことがあるとすれば――窓を背にした彼女が、どこかに感情を置き忘れてきたかのように無表情だった、それだけである。

・・・

彼女が間男と関係を持ったのは、僕が彼女との営みをはじめて拒んだ頃だった。最初は近所で顔を合わせる程度の関係であったが、間男は徐々に彼女へと近づいていった。

寂しかった、と彼女は言う。彼女がそう言うのであれば、事実そうなのであろう。僕はその言葉を素直に受け止めた。そして寂しかった彼女は、ごく自然に間男と関係を持つようになった。それだけである。それだけのことが、虚飾のない真実なのだ。

「……俺のせいなのか?」

苦虫を噛み潰すような声で聞いた。彼女は色の失った瞳で、ぼんやりと机の上を眺めたままだった。見る間に胸の内がざわついていく。

「黙ってたら分からないだろう!」

「捨てられると思ったから」

瞬間、二人の声が重なった。彼女の声は確かに聞こえた。だが、彼女の言わんとすることは、未だ胸には伝わってこない。

「私は、何もできないから。あなたに求めてもらうことくらいしか、できないから」

「何を」

「だって、求めてくれているときは、私のことを見てくれるでしょう?その時、確かに、あなたの中に私の居場所ができるでしょう?だから、私は、何もできないから、欲しかったの。いつも、いつでも。あなたの中に、居場所を、私は」

ぽつり、ぽつりと彼女は語る。その瞳は相変わらず虚ろであったが、声の調子はしっかりとしていた。

「でも、あなたは私を求めなくなった。だから、私にできることは、もうなくなったのだと思ったの。それはとても不安で、とても悲しいことだったの。だから、私は、新しい居場所が欲しくなって、あの男の人の中に、自分の居場所がまたできるかもしれないって、そう思って、それで」

彼女の告白を聞いているうち、間男が去り際に口にした言葉が想起される。

『ふざけるな。その女から誘ってきたんじゃねえか』

ただ、今はそんなことのひとつひとつが、ひどく瑣末なことに思えて仕方がなかった。

僕は怒りよりも悲しみよりも、知らずのうちに彼女を孤独へと追いやっていた自分が、ひどく情けなく思えたからである。職を辞し、贅沢もせず、懸命に身の回りの世話をしてくれた彼女のことを、この時はじめて、心から愛おしく思えたからである。

「すまなかった、本当に、すまなかった」

泣きそうな顔を浮かべた僕は、彼女に対して幾度となく謝罪の言葉を述べる。
彼女のしたことを許したわけではない。
間男と関係を持ってしまった彼女に対する猜疑心、それが晴れるまでにはしばらく時間がかかることだろう。

でも、今は。時間をかけてゆっくりと彼女のことを許して、認めて、愛し合って。
そうやって僕たちは――

「許せるわけないよ」

ひどく平板な調子の声だった。顔を上げた僕の目に、出会った頃と変わらぬままの彼女の瞳が映る。それは大きな、はっとさせられるほどに大きな瞳だった。

「確かに、すぐには許せないかもしれない。でも時間をかけてゆっくりと」

「駄目なの。そんなのじゃ、駄目なの。私がもう二度とあなたのもとを離れないように、私は私のできることをしなくちゃならないの。私にはできることがないから、できることは全部しないといけないの」

彼女はそこまで言い終えると、いきなり立ち上がって台所へと向かった。僕は思わず中腰になるのだが、彼女の挙動に一切の迷いはない。だから僕は、何もできぬまま、ただその姿を目で追うのが精一杯だった。

「これで」

彼女の手に握られていたのは真新しい火箸だった。火箸は窓から差し込む陽光を受け、鈍い輝きを放っている。こんな物がうちにあっただろうか、彼女はいつの間にこんなものを買ったのだろうか、などと愚にもつかない思いが頭に渦巻いた。

「私があなたのものであるという印を、消えない印を。私にちょうだい」

「は?」

強い力が右腕へと及ぶ。彼女は僕を掴むと、そのまま無言で台所へと導いた。陽の光の届かない台所は薄暗く、やけにひんやりとした空気が流れている。

「私の肌に。ヤキインで、あなたの名前を刻んで欲しいの」

ヤキイン、という言葉が、僕の中で『焼印』という言葉に結びつくまで、そう大した時間はかからなかった。彼女は手際よく火の準備を始める。

「馬鹿なことを言うんじゃない!正気か?そんなことできるわけがない……」

「じゃあ、今すぐ私を追い出して。私はこれ以上、もう何もできないの。私が何もできないんだったら、後はもうあなたに捨てられるだけだよね?だったらこの場で、今すぐに、私のことを捨てて欲しいの。でも、そうじゃないのなら」

「私を、あなたのものにして下さい」

静かな、ひどく静謐な世界の中で。
彼女は穏やかな声と共に、そう言った。
じっとりと、じっとりと。
赤く焼ける火箸を見つめながら。

・・・

「ああ……」

その身の内に僕を受け入れながら、彼女は恍惚とした声を上げる。僕は彼女の髪を手で梳くと、より一層その体を強く抱き寄せた。

「愛しているよ」

「私も……私はあなたの……」

彼女はそこで言葉を区切ると、遠い目をしながら己が二の腕に視線を向ける。僕はその視線の意味に気が付くのだが、その先に目を向けることはしない。

Kノ妻

そこに何が刻まれているのか、そんなことは、もう十分過ぎるほどに了知しているのだから。あえてそれを視認する必要は、どこにもないのだから。

Kノ妻

なぜなら、その刻印は

       『Kノ妻

右腕のみならず、左腕にも

  『Kノ妻

脇の下にも


                『Kノ妻
  『Kノ妻


鳩尾にも、臍の上にも


       『Kノ妻

         『Kノ妻
Kノ妻


腿の裏にも肩甲骨の上にも足の付け根にも


                    『Kノ妻』 
     『Kノ妻

 『Kノ妻
             『Kノ妻』     

                『Kノ妻


およそ僕の目につく、全ての箇所に刻み込まれているのだから。

・・・

「あのね……今日ね、また知らない人に色目を使いそうになっちゃったの」

幾度目かの情事が終わったあと、彼女は神妙な面持ちで僕に語りかけてきた。あの日から既に随分の時間が経った。それでも、彼女はこうした告白をやめようとはしない。

「だから、私があなたのことを裏切らないように、あなたのもとから絶対に離れられないように、もっと強く、もっと確かに、私に刻み込んで欲しい。私、駄目だから、そのくらいしてもらわないと、またあの日みたいになっちゃうかもしれないから」

あれは、いつのことだったのだろう。
彼女の声は、遠く、遠く、本当に遠く。
僕の力なんてまるで及ばない、遥か地平の彼方から発せられているのだと、初めてそんな風に感じたのは。

「うん、そうだね、君がそう言うのなら、そうなのかもしれない」

そしていつしか、彼女の声に絡めとられて。
決して彼女に逆らえない自分の存在に気が付いたのは。

「きっとね、指のない女に興味を持つ人って、いないと思うんだ。だからね、私の指がなくなっちゃえば、どんなひとも私に寄り付かなくなると思うの。そうしたら、私はもっと、ずっとあなたのものになれるんじゃないのかな」

彼女は歌うように跳ねるように喋りつつ、くるくると蛸糸を解いてゆく。僕はぼんやりとその様子を眺めると、なるほど、確かにそういうものかもしれないな、と思った。

「ねえ。ちょっと糸の端を持って欲しいんだけど……」

「うん、これでいいかな」

「そうそう。すごくいい感じ。ありがとう」

いつかのように破顔しながら、彼女はぺこりと頭を下げる。僕はそんな彼女を愛おしいな、可愛らしいな、と感じつつ、固く結ばれた紐の中で刻々と血の気を失っていく彼女の薬指を眺めていた。

「じゃあ。お願いします」

「そうだね、そうしよう」

研ぎたての出刃包丁は、鮮やかに輝くその刀身とは裏腹に、ずっしりとした重みを僕に伝えてくる。すっかり冷たくなってしまった彼女の薬指、僕はそれを優しく掴むと、全体重を刃先に預けた。


「あ……あ、ああ……ああ、ああああああああ」


彼女の薬指に結婚指輪が嵌められることは、もうない。

・・・

被害女性の検死結果

火傷に伴う左胸から乳房にかけての化膿 1箇所
創傷 計13箇所
下半身・陰部における火傷 計28箇所
手指・足指の欠損 計6箇所

死因 敗血症

・・・


2009年7月下旬。
裁判員制度が、始まります。



■参考
google検索 矢作よね
posted by 肉欲さん at 00:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク

1999年12月25日

ドラえもん のび太とサンタ大戦 全文

いつもの昼下がり、いつもの空き地。そして顔を合わせる、いつもの面々。けれどもそこに、"在るべき" いつもの空気感は、絶無だった。

「その話、ほ、本当なのか……?」

全ての説明を聞き終えた後、沈鬱な静寂を打ち破ったのは、剛田武の声だった。普段の彼らしくない臆したそのトーンは、彼らを取り巻く状況の凄絶さを、図らずも雄弁に物語っていた。

「ウソを吐くメリットがない」

言下にドラえもんは言い返す。瞳の中に、しかし、その感情の色は見てとれない。曇天を受け鈍色に輝く双眸のガラス眼は、放たれる一切の疑義を拒絶するかのような雰囲気ですらあった。

「でも、ドラちゃん……」

源静香はただただ不安げな表情を浮かべている。並び立つ骨川スネ夫も同様だ。だがドラえもんは揺るがない。四人の小学生から向けられる怯えの視線を受けてもなお、彼の依って立つ場所には一毛の動静もない。

「全ては既定路線なんだ。逃げ場はどこにもない。だから」

闘るしかないんだ。品の字に並べられた土管の最頂点に腰を据えたドラえもんは、見るともなしに地面を見つめて、無表情に言い捨てた。

時は12月22日、都内某所。
小学生4人と、未来からやって来たロボットと。
その日、その場所で、彼らは静かに受け入れた。

『サンタ大戦』

無秩序で暴力的な、濁流の如き運命に呑み込まれるほかない自らの、その存在を。



−−これは、後に歴史の闇に葬り去られることとなる、血塗られたものがたり。





話は12月上旬へと遡る。
迫り来るクリスマスを憂いたのび太は、その旨をドラえもんへと告げた。煌びやかなネオン、街中に流れるポップなミュージック、連れ立ち歩くカップルの影、そして影……その状況を想像するだに、のび太の心には暗い陰が落ちていくばかりだった。

しかしドラえもんの反応は異なる。クリスマスの何が楽しいというのか?呆気に取られたような風情でそう言い放った。のび太ははじめ、それがドラえもん流の皮肉かジョークに違いない、と捉えた。けれど、その虚妄はすぐに打ち消されることとなる。

『クリスマスといえば、ホラ、サンタ大戦だろうが』

要約すると、22世紀のクリスマスの日。世界では人類とサンタとが血で血を洗う殺戮を繰り返しているそうなのだ。なぜそうなったのか、いつの段階からかかる陰惨な光景が展開されることとなったのか。永らくその由来は判明していなかった。

そう、判明していなかったのである。
あの日の、あの瞬間を迎えるまでは。

・・・

ドラえもん「22世紀ならいざ知らず、この20世紀の安穏とした世において、まさか"ヤツ"らもこの時期に襲われるとは思うまいて……」

のび太「そ、そうか……どういうわけか、現代ではまだS.A.N.T.Aの動きは活発化していない……そこを叩けば、あるいはッ……!!」

・・・

こうして二人は、サンタの棲家であるフィンランドへと発った。獰猛なる翼、戦術戦闘機F-22にその身を委ねて。

短い刻の経過の後、サンタ陣営が壊滅的な被害を受けたことは、最早説明するまでもないだろう。圧倒的な奇襲、無秩序なる暴力を前に、被害者が出来ることは、無きに等しい。サンタはただ、ただひたすら、蹂躙されるに任すほかなかった。

生家は朽ちた。
トナカイは、死んだ。
クリスマスに向け子供達に用意したプレゼントも、何もかも。

それは、サンタに内包される精神の死という、あまりにも当然な結論と、共に。

粉雪が降っていた。その一つが虚空を見上げるサンタの頬に舞い落ち溶ける。雫となった雪は表皮を伝い、雪面へと零れ、儚く消えた。

ただ粉雪が、降っていた。
サンタは虚空を見上げていた。

「殺す。全てを消す。何もかも、全てを」

その感情の色が憎悪ひとつに染まりきる、その寸前までサンタは、いつまでも虚空を。

・・・

最初に異変の発生を察知したのはドラえもんだった。サンタを襲撃した3日後、定期メンテナンスのために22世紀に帰ろうとした時のことだった。いつものようにタイムマシンに乗り込んだドラえもんは、やはりいつものように、行き先を22世紀へと設定する。だがタイムマシンはちくとも動こうとしない。しまった、故障だろうか。慌ててタイムテレビで妹に連絡を取ろうとする。けれどスイッチを入れた後、画面に映るのは、無情なる砂嵐ばかりであった。

「察するに、現状のままであれば、『あるべき22世紀への道』が途絶されるのだろう」

ドラえもんは重々しい口調で状況を分析する。その顔には、相変わらず何の感情の色も浮かんでいない。淡々と、プログラミングされたロボットのように平板な声で、言葉を紡いでいった。

「それが証左に、僕が試したところによれば、タイムマシンで行けるのは12月25日までだった。つまるところこの地球の運命は、22世紀どころか、あと3日で、終わる」

目を瞑り、腕組みをしたまま、言った。同時に一同の生唾を飲む音が鈍く響き渡る。

「で、でもおかしいじゃないか!」

沈黙が横たわるのび太の自室のなか、議論の口火を切ったのは出木杉だった。空き地からの道すがら、皆の総意が 『出木杉は仲間へと引き込んでおくべきだ』 そこに向かって収斂していった故のことだった。

「もしもこの世界があと3日で終わるとして……22世紀の、いや、3日後から先の世界がなくなるとしたならば!ここに、こうやってドラえもんくんが居続けること、それは確実な意味での矛盾だよ!未来への道が途絶された時点で、ドラえもんくんの存在もまた、消え去るほかないはずなんだ!」

最後の方はほとんどがなり立てるようにして喋っていた。クラスの、地域随一の秀才と目される出木杉も、この状況を前に冷静ではいられないらしい。肩で荒い息をつきながら、睨めつけるようにしてドラえもんのことを見ていた。

「もっともだと思う。当然、それは僕も考えた。『どうして僕はまだ存在しているんだ?存在できている?』、その辺りのことを。でもね、出木杉くん。この僕の存在こそが、この世界を未来へと繋ぐ希望の鍵なのかもしれないんだよ」

「それは、どういう」

「君の言うとおり、もしも22世紀という世界の在り方が根元から滅しているのであれば、僕は既にこの場に存在していない。というより、存在する根拠がない。しかし、現に僕はここに存在する。いま、この瞬間だけじゃない。君たちと出会った時からいまに至るまで、僕は僕として連綿と存在し続けている。その結果として、僕はサンタに攻撃を仕掛けた。その帰結として、未来への道は途絶された。未来から来たはずの、僕の未来が」

「あ、そうか……」

ドラえもんの言葉を聞いた出木杉は、途端に口の中で何やらぶつぶつと呟き続けている。時に頷き、時に首を振りながら、彼は彼の脳内において無数にロジックを積み上げる。のび太を含む他の小学生たちは、苛立ちながらもその光景を黙ってみつめるほか、なかった。

「もしも真実の意味で未来への道が途絶するのであれば、22世紀という存在そのものが無くなるのであれば……そこで生じるのは、ドラえもんがいなくなる、だなんてチープな現象ではない。もっと壊滅的で、もっと絶望的な」

「あらゆる因果が根こそぎ拗じ変えられるんだ。そこに待ち受けるのは、宇宙の破滅さ」

「けれどもまだ、宇宙は破滅していない。ドラえもんもまた、ここに居る」

「そう、出木杉君。僕たちの運命はいま、まさに揺蕩っているのさ。22世紀からの使者である、僕という存在を担保に」

出木杉は大きく息を吐くと、静かに天井の方に顔を上げ、目を閉じた。鼻梁の通った横顔からは、規則正しい呼吸音以外、何も伝わってこない。ドラえもんを含め、居合わせた全ての者は、まんじりともせず彼の言葉を待った。

「……人手が、必要だね」

5分か、3時間かあるいは10秒ほどが経過した頃、出木杉はようやくそれだけを言った。

「やはり、出木杉君は賢しいな」

呼応するように、ドラえもんは歪な筋動作でほくそ笑む。そこでようやく、たまりかねたようにのび太が叫んだ。

「ちょ、ちょっと待ってよ!僕には難しくて出木杉君やドラえもんの言ってることがよく分かんないけど、とにかくサンタを襲撃したのがまずかったんだろう!?だったら、タイムマシンであの日に戻って、僕たちを止めたらいいじゃないか!」

「のび太くん。それは少し違う。確かにそうすることで、『君の戻った過去の世界においては』 僕たちを取り巻くような状況が生じることは回避されるだろう。だけどその回避された世界っていうのは、僕たちがいまいる世界とは、何らの関係もない世界なんだ。その世界はその世界として別の軸として流れ続け、この世界はこの世界として、やはり独自の軸として流れ続けるほかないんだよ」

「え?ん……いやでも……過去を変えれば未来も……だって僕としずちゃんのことにしたって……」

「いいかい、のび太くん。それとこれとは話が別なんだ。君の場合、僕という特異点の介入を契機に、偶然変わっていく未来……という体で、実際のところ、全て『決まった』未来なんだ。君はジャイ子と結婚するほかないほどダメなヤツとして生まれる、そして子孫は不遇の目に遭う、だから過去に僕を送り込む、そして歴史に介入し、見事君はしずちゃんと結婚する……そこまで込み込みで、『一つの未来の在り方』として成り立っているんだよ。ある種のお約束、みたいな事例なんだ。だけど今回の話は、全く違う」

「違う……?」

「そう、違う。なぜなら、僕たちがあの日、F22でサンタのところに乗り込もうとした瞬間、未来から誰も現れなかっただろう?誰も僕たちのことを止めなかっただろう?そこからすれば、僕たちがこれから過去に乗り込んだとしても、『僕らの世界において』未来の僕たちが現れなかった以上、この世界はこの世界として、『あの日、誰も僕たちを止めなかった世界』として、あり続ける。だからこの話は、ここでおしまいなのさ」

「な、なんだかよく分からないけど!タイムマシンがダメなら、もしもボックスがあるじゃあないか!『もしもあの日、僕たちがサンタのところに襲撃にいかなかったら』ってやれば、それで全部終わる話でしょ?!」

「無意味だよ、のび太くん。まあ、まるっきり無意味だとは言わない。だけどそれは、『あの日、あの時点において』僕たちがF22での襲撃をif性において否定するだけの行為でしかない。じゃあ次の日に行かなかった、と言えるのか?その次の日は?このやり取りをしている、まさにこの瞬間、そのコンマ1秒前までの行動まで延々ともしもボックスで規定し否定し続けるの?」

「な、何を……難しすぎて、よく分かんないよ……」

「あの日の僕たちの行動原理は、何だ?思いだせよのび太くん。君の場合は『クリスマスが憎い』、それだけのことだ。そして僕の場合は『20世紀の時点でサンタに奇襲をかけたい』、こいつだ。だから、もしもボックスで『あの日の行動がなかったとしたら』と願い、それが叶ったとしよう。のび太くん、のび太、ここでよく考えろ。そこで変わるのは、何だ?」

「ええっ?そこで変わるのが、何……?」

見る間にのび太の顔が紅潮する。まるで頭から湯気でも立ってきそうな風情だ。見ればジャイアンも同様であるらしく、眉間に深い皺を寄せながら必死に何事か考えている。

「その日の行動、だけ」

「その通りだ、スネ夫くん」

先生と生徒とのやり取りに似た光景が眼前で繰り広げられる。違うところがあるとすれば、彼らの関係が上下のあるそれではないこと、そして、スネ夫の回答が正解であるとて、誰も何も喜ばない、マルをつけてくれない、そのあたりのところであった。

「どういうことなんだよ、スネ夫!」

「もしもその日に襲撃に行かなかったら、次の日に行くかもしれない。次の日に行かなかったとしたら、その次の日に行くかもしれない。その次の日に行かなかったらその次の次の日に行くかもしれないーーそういうことなんだろ?ドラえもん、出木杉」

「そういうこと。問題の所在は『あの日にあそこに行かなかったら』なんて、チープな場所にはないんだ。のび太くんの憎悪と、僕の好奇心と。その二つが存在し続ける限り、少しずつ状況の時間軸が動いたとしても、起算点自体は永遠に消え去らないんだよ」

「分かったわ、のび太さんとドラちゃんが、のび太さんとドラちゃんであり続ける以上……!」

「そう。いつか必ず起こるはずなんだ。どれだけなかったことにしようとも。行くはずなんだ。僕は、僕とのび太くんは。フィンランドへ。それは僕の記憶の中に『22世紀にはサンタ大戦が生じている』という事実が存する限り、確実な意味で」

ドラえもんの言葉を最後に、部屋にいる誰もが口を噤んだ。

仮に、空気に色があるとすれば。
その時、のび太の部屋を包んでいた静寂が色を持つのだとすれば。

それは確実に、現存するどの色よりも濁り淀んだ、薄暗い色であったに相違ない。

「んじゃあよう!!」

畳を強く踏みしめながら、立ち上がる。
無理矢理にでも場の空気を明へと転じせしめんとする。
そんなタフなメンタリティを持つのは、やはりガキ大将にしか有り得なかった。

「もうどうしようもねえ、つうんなら、出来ることをやるしかないじゃんか!ウジウジしたってしょうがないだろ!ドラえもん!俺達を呼んだってことは、何かあるんだろ!さっさとそれを言えよ!」

「だから、揺蕩っているのさ」

ジャイアンの言葉を遮るようにして言うと、出木杉はドラえもんの方へと向き直った。

「途絶された22世紀、ここに在る22世紀のドラえもん。アンビバレントな二つの事象。それが意味するものは」

ひとつひとつ、言葉の意味を確認しながら出木杉は声を発する。

「ここが分水嶺、ってことなんだね−−ドラえもん。君が先に言った『希望』という趣旨も、だから」

「……ここで踏みとどまれるか否かなんだ」

初めて感情を顕にしたドラえもんの表情は、実に苦々しげなものであった。あえぐようにして口を開け閉じするのだが、どうにも言葉は続いてこない。顔を上げたり俯いたりを繰り返すその所作を見るに、彼の中で浅からぬ葛藤が渦巻いているであろうことは、容易に推知できた。

「どうあがいても、絶望」

乾いた笑いと共に発せられた言葉の主は、スネ夫だった。一同は弾かれたように彼の方に目を遣る。

「そういうことなんだろう?希望だなんて、よく言ったもんだよ。ドラえもんが存在する、ってことは、ドラえもんが造られた未来、要するに22世紀が存続する可能性も、いまの時点で残されてる、ってことなんでしょ?つまりそれが、希望。だけどそうならない可能性を示しているのがタイムマシンの、22世紀への道が閉ざされた時空航路の存在。僕ら人類がサンタに滅ぼされた先に待ち構える、虚無」

出木杉が何か言おうと立ち上がりかける。ドラえもんはその肩を無言で押さえつけた。出木杉が抗議の視線をその横っ面に浴びせかけるも、ドラえもんは平然とそれを受け流す。受け流し、ただ口角ばかりを釣り上がらせたスネ夫の言葉の続きを、静かに待った。

「22 世紀への道が残されているのだとしたって!その22世紀ってのは、サンタと陰惨な戦いを繰り広げているドラえもんが存在する22世紀、っていうことでしょ?!じゃあ、どうあっても、いまの僕たちはサンタと戦う以外に生き残る方法はない、ってことじゃんか!それだけじゃあない!目の前のドラえもんが、いまここにいるドラえもんが!サンタと戦い続けている未来から送られたドラえもんである以上、いま僕たちがサンタと戦ったとしても、絶対に勝てはしないんだ!勝てるんだったら、そもそも22世紀でサンタと人類が争いをしている、なんて前提がないはずなんだよ!もし勝てるのだとしたら、ここにいるドラえもんは『サンタと争いをしていない、平和な22世紀で造られたドラえもん』であるはずなんだ!そこから逆算したら、僕たちの迎える結末は、良くて引き分けがせいぜい、そういうことだろ!?」

「だから、揺蕩っていると」

「黙れよ出木杉!お前だって分かってんだろ!僕に分かったくらいなんだ、君に分からないはずがないじゃないの!勝てもせず、負けもできない戦い、その難しさくらい!!」

「待てよスネ夫!なんで勝っちゃいけない、なんてことになんだよ!!」

「そ、そうだよスネ夫!この際、皆で力を合わせてサンタなんてコテンパンにやっつけちゃえばいいんだよ!!」

スネ夫の怒声に怯みつつ、どうにかのび太とジャイアンは反論を試みる。静香はと言えば、何かを悟ったようにだらりと頭を垂れていた。

「ハッ!勝つ?コテンパン?よくもまあそんなことが言えたもんだ……じゃあのび太、一つ聞くけどな。もしもサンタに勝てたとして、だ。その時ドラえもんは、どうなる?」

「ええ?それはもちろん、戦いに勝つわけだから……」

「いなくなっちゃうんじゃ、消えちゃうんじゃあ、ないかしら……」

唐突に発された声の主は静香だった。のび太は驚いてその方に振り返る。静香は戸惑いと諦念とを含んだ瞳の示しながら、なおも言葉を紡ぐ。

「いえ、私にもよく分からないけれど、仮にさっきドラちゃんと出木杉さんが言い合ってたような『因果』が変わるってことになるのなら……勝ったその時点で……」

「消滅するだろうね、宇宙は」

ため息混じりに静香の結論を補完するのは、ドラえもんだ。脇に座る出木杉は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。色を失ったような顔つきになる静香と、当を得たように卑屈な笑顔を作るスネ夫とが、醜く並び立つ。のび太とジャイアンとは、なおも理解が追いついていない様子だった。

「僕は『サンタと戦争を続ける22世紀』から来たドラえもんだ。だから、仮にもサンタを根絶やしにする、殲滅する、なんて事態を引き起こせば、その時点で概念矛盾が生じる。『サンタのいなくなった過去』に、『サンタのいる未来から来た僕』が存在してしまう、ってことになる。それは即ち歴史の改編だ。22世紀へと繋がる固有の因果が根底から否定される。その時に何が起こるのか」

「どうせのび太とジャイアンのオツムじゃ分からないよ。簡単に言い換えてやる。のび太、もしお前がタイムマシンで過去に戻って、お前が産まれる前にお前のママを殺したら、どうなる?」

「ママを!?」

「お前を産んでくれた人がいなくなるんだ。当然お前も産まれなくなるだろうさ。でもそれだけじゃあない。お前のママはお前を産むためだけにこの世界にいた訳じゃないんだ。買い物をしたり、近所の人と仲良くなったり、どこかに旅行に行ったり……沢山の、実に色んなことをしているはずなんだ。その全ての行動が根こそぎ消え去る。及ぼしたであろう夥しい数の影響が、まるっきりなかったことになる。その時、お前が産まれなくなるだけじゃなくって、そもそもこの世界が存続し続けるのかどうか?全ての理が、あるがままであり続けるのか否か?そんなのは誰にも分からない、誰にも保証できない。保証できないんだよ、のび太!ジャイアン!!」

最後の方はほとんど叫ぶようになりながら、スネ夫は言った。その内容を完全に理解できた訳ではなかったが、あまりの剣幕にのび太は反論の接穂を見つけられない。それはジャイアンにとっても同じようで、憤怒とも狼狽ともつかない感情を眼に浮かべながら、ただ押し黙っていた。

「それでも、このまま手をこまねいていたところで、待ち受けているのは確実な意味での終焉、世界の破滅だ。それが分かっているからこそ、ドラえもんくんはこうして僕たちを集めたんだろう」

淡々と話す出木杉の表情からは、相変わらず何らの感情も読み取ることができない。とはいえ、淡々と事実を分析する彼の物言いが、集まった面々の心の平静を保たせるのに一役買っていたのは紛れもない事実であった。

「やるしか、ないんだ」

「ドラえもん……」

「のび太くん、しずちゃん、スネ夫にジャイアン、そして出木杉くん……やるしかないんだよ。僕たちに出来ることは、残された選択肢は、それだけなんだ。どれだけ困難な道のりであろうと、可能性が0.1%でも在る方を、僕たちは選ぶべきなのさ」

「たとえそれが、血塗られた道であっても、ってね」

混ぜ返すようなスネ夫の物言いに、思わずジャイアンが気色ばむ。ドラえもんは視線でそれを制すると、そっとスネ夫の手を握った。

「スネ夫くん。君が怖いと言うのなら、僕はその感情を否定しない。君が無理だと叫ぶなら、僕はその言動を否定しない。だからこそ、僕は君と一緒に戦いたい」

「な、何を……」

「怖い、というのは、生きたい、という気持ちの表れからだ。無理だ、と言えるのは、現状を冷静に分析できてのことだ。死にたくないと願う人間の逞しい生命力を、無理を認識する人間の聡明さを、僕は知っている。そんな君であればあるほど、僕は君と、この戦いに臨みたいんだ」

聞けばそれは、馬鹿に陳腐な言葉遊びだった。怖いと、無理だと唱えたスネ夫の真意は、それ以上でもそれ以下でもない。いかに美辞麗句を連ねようとも、あの瞬間スネ夫にあった心持ちを捻じ曲げることは出来ない。

「ど、ドラえもん……」

だがその感情も、1秒後には過去となる。絶えず堆積されていく時間の中、精神は目まぐるしく新陳代謝していく。スネ夫の心にあった絶望という古皮は瞬く間に剥がれ落ち、克己という新皮が、芽吹いて覆う。

「無理に、とは言わない。それはスネ夫だけじゃない。ジャイアンもしずちゃんも、出木杉くんも、のび太くんだって。逃げ出したかったら遠慮なく逃げ出してくれていいんだ。そこにあるタイムマシンで原始時代に行ってもいいし、海底世界や地底世界に行ったっていい。僕にそれを止める権利はない」

「に、逃げないよ!」

「いいんだ、のび太くん。さっきも言ったけど、臆病になることは決して悪いことじゃないんだ。歴史も証明している通り、蛮勇と無謀は違う。君たちは君たちなりに永く生きるチャンスを、幸せになれる選択肢を、適切に判断すべきだ。だから、逃げたっていいんだ。その決断を責めることは誰にもできやしない」

曖昧に笑いながらドラえもんは語る。だがのび太には見えてしまった。言いながら、ガクガクと震えるドラえもんの膝のことが。

「ドラえもん、水くせえじゃねえか。俺様の辞書に『逃げる』なんて言葉が存在しないのは、とっくに知ってんだろ?」

ドラえもんの肩を引き寄せ、町一番のガキ大将は力強く宣言する。俺は逃げない、と。お前の目指す先は、俺の目指す先でもあるのだ、と。

「ぼ、僕だって!」

「私もよ!」

のび太と静香が続けざまにジャイアンの言葉に呼応した。スネ夫は相変わらず卑屈に笑っていたが、次第にそれは能面のような表情へと変わり、ついに大きなため息をついたかと思うと、唐突に弾けるような笑顔を見せた。

「僕だけ仲間はずれになんて、させるわけにはいかないでしょ!」

言うが早いか、スネ夫の頭頂部にジャイアンのゲンコツがお見舞いされた。それを見て一同は腹を抱えて笑いあう。先ほどまで室内に蔓延していた沈鬱な空気がウソのように吹き飛んでいた。

「やってやるぞ!」

「おう、サンタがなんだってんだ!なあスネ夫!」

のび太が笑う。静香が笑う。ジャイアンとスネ夫が笑う。

そして出木杉とドラえもんもまた、笑った。

「いやはや、策士と言うべきかペテン師と言うべきか……流石だよ、ドラえもんくんは」

「ハ、出木杉くんは相変わらず食えないヤツだ……」

余人に悟られぬよう、押し殺した声でささやき合う二匹の獣。

「それにしても、膝を震わせる演技までするなんてね……まったく、大した役者だ」

「マヌケ。あれは−−」

そこにいたのは、狸。
狸の精神を持つ、狸の皮を被った、獰猛なる狼。

「武者震いよ」

獣はそっと、牙を研ぐ。

誰にも気付かれないように。
何にも気付かれないように。


『いつ、いかなる時に、何が起こるか分からない』という出木杉の提案を受け、一同はポンプ地下室で造られた地下部屋へと移動し、ひとまずそこを仮の基地とした。もちろんそのままではあまりに殺風景なので、取り急ぎのび太の部屋と同じような調度品を設えた。

「それにしても、地下に潜ったくらいで何か変わるっての?」

「まァ、気分ってのはのび太くん、君が思ってるよりずっと重要なもんだ。現に、多少なりとも緊張感みたいなものが芽生えただろ?それに、安穏と地上でバカ面を晒してるよりゃあ余程安全だし、そうそう奇襲もされないだろうよ」

開いた手帳に目を落としたまま、ドラえもんは素っ気なく語る。皆薄々気づいていたことであるが、彼の纏う雰囲気は数分前を境に突如として変化していた。普段の柔和な物腰は消え、粗野というか、無骨というか、まるで三文小説に登場する風来坊のような口調となっていた。

「それで、ドラえもんくん。人手のアテはあるのかい?」

「いま探してるんだが……状況が状況だ、一体どれだけの奴らが諸手を挙げて賛同してくれるのか、皆目見当もつかん。それに、誰でも戦闘に介入できる、という訳ではないしな」

「それは、どういう?」

「言ってなかったな。サンタとの戦闘に参加するには、必須の条件がある。クリスマスを忌む心持ち、綺羅びやかなネオンを憎む性根、最大公約数的な不幸を喜べるタフなハート。そういうモンが要る。まァ端的にサンタへの憎悪、っていうのでも十分だがね」

「なるほど。ここにいる面々はさて置き、僕らが誰かのところに赴いて、唐突に『サンタを憎め』と言っても、それは少々現実的ではないね。狂人扱いされるのが関の山だ」

「その意味からすれば、一定程度以上世間に対するルサンチマンを抱えている人物か、無条件にこの日本を、地球を守らんとする、並ならぬ矜持を持つ人物。そういう輩を揃えなくてはならない」

「ルサンチマンに、矜持か……」

出木杉とドラえもんは難しい顔を浮かべながら何やら話し合っている。一方、のび太、ジャイアン、静香はといえば、ただその様子を見守ることしかできなかった。とりわけ静香は、取り巻く現状の切迫していることは認識すれど、未だサンタと戦う、という目的について、臆する部分が消えたわけではなかった。それはのび太とジャイアンにしても、少なからず同じであった。

「厚木の方に、パパの知り合いがいる。どうにかそれを上手く使えないかな」

「厚木?ってことは、米軍か?」

出木杉の問いかけに、曖昧な笑みを浮かべながらスネ夫が頷く。飢えた野良犬のようにぎらついた光を見せるその瞳から察するに、彼の腹はとっくに決まっていたのだろう。臆病である人間は、臆病であるがゆえ、誰よりも生への執着が強い。だからドラえもんは思う。強者とは、本来、臆病者であるはずなのだと。

「基地の内情には詳しいのか?」

「定期的に出入りしているから、相応には」

「なるほど。いや、かなり助かる。武器を揃えるにあたっては、どうしてもその辺りの軍事力を頼りにしなくちゃならないからね。もちろん、正面きって助力を願えるわけもないから、こっそり忍び込んで武器だけ拝借する、ということになる訳なんだが……それでも、どこでもドアで当てずっぽうに基地に忍び込む手間を考えたら、随分楽にはなりそうだ。礼を言う、スネ夫」

「さすがじゃあないかスネ夫くん」

ドラえもんと出木杉は口々にスネ夫を褒める。スネ夫としてもまんざらではないようで、どこか誇らしげな様子で照れ笑いを浮かべていた。

もっとも、ドラえもんと出木杉の見せた態度は、完全におためごかしであった。実際のところ、第三者の協力など要するまでもなく、ドラえもんの秘密道具を駆使すれば、世界中のどこであろうと簡単に侵入することが可能だ。その際、内部の人間を洗脳することも、やはり造作ないことである。だがドラえもんと出木杉とは、敢えてスネ夫に華をもたせた。そうやって『自分は集団において必要欠くべからざる力を具備しているのだ』という虚妄を抱かせておけば、いかな愚図でも、有事の際に獅子奮迅の努力を厭わない、そのことをよく理解していたからだ。

「ヘヘッ、僕がいて随分助かったでしょ!」

「ああ、本当にスネ夫くんは」

「大した、もんだよ」

言い終えるか終えないかのギリギリのタイミングに。ドラえもんは僅かにのび太たちのことを見遣った。その行為に特別な意味を持たせようとした訳ではない。だがドラえもんは知っている。一見すると何の意味もない行動であるほど、無意味な所作であればあるほど、何がしか後ろ暗いものを覚えている人間たちは、目の前の無為の中に無理やり意味を見出そうとする、そんな悲しき習性の存在を。

「お、俺だって!俺だって、スネ夫なんかよりよっぽど役に立てらぁ!」

「私も……ううん、ごめんなさい、今は何ができるか分からない。だけど、今回のことでは出来る限りのことをするつもりだわ!その気持ちは、スネ夫さんにも勝るとも劣らないものよ!」

期待通り、というべきか。ほんの短い時間に、たわいのないやり取りをしただけで、二人はこうも戦意を高揚させてくれた。実に自然に、実に自発的に。ドラえもんは高笑いしたくなる気持ちを抑え込みながら、二人に向かって鷹揚に微笑んだ。

「ありがとう。でも、決して無理はしないでおくれ。何度も言うようだけれど、辛くなったらいつでもそこの……」

タイムマシンで逃げてくれ。そう言いかけたとき、その部屋からのび太の姿が雲散していることに気付いた。ジャイアンたちの背後にある襖が少しだけ開いているのが見える。逃げ出したのか?まさか!ドラえもんは慌ててその思いを振り払う。彼に限って、ほとんど類を見ないような規模のルサンチマンを抱えるのび太に限って、サンタを前に逃げ出すという選択肢を選ぶことは、あり得ないと確信していた。

「のび太くんの姿が見えないようだが……」

出木杉が怪訝そうな空気を隠そうともせず声を発する。思わず舌打ちが零れかけた。彼はまだ、ドラえもんに対し完全に心を開いたわけではない。その頭脳が賢しければ賢しいほど、安っぽい感情に棹される可能性はゼロに近づく。故に、彼の弾きだす損益分岐点において、この戦いが『損になる』と判断された時点で、彼はすぐさま戦線を離脱するであろう。それこそ、タイムマシンに乗ってでも。

「のび太くんは、うん、そうそう、いま頼りになる助っ人に協力を取り付けにいったのさ」

出鱈目を喋った。そんなアテがあるのなら、そもそもここに連れてきているはずなのだ。そのあたりのことは出木杉にしてもすぐに喝破するだろう。事実、出木杉の放つ訝しげな様子は、一分たりとも揺らいでいない。いま、彼の脳内にある損益分岐点は、どのあたりを彷徨っているのだろうか。いや、ともすればのび太がその姿を消した以上、既に−−

「ドラえもぉん!!」

その首から冷えた汗が滴り落ちんとするまさに直前、息せき切ってのび太が部屋へと戻ってきた。手にはタケコプターが握られている。のび太が戻ってきたことに安堵する反面、ドラえもんの胸中に名状しがたい怒りが渦巻く。この馬鹿野郎は非常時にどこをほっつき飛んでいたというのか。

「のび太くん、君ねェ!」

「ドラえもん、お願いだから悪魔のパスポートを貸しておくれ!なんなら、どくさいスイッチでもいい!!じゃないと会えないんだ!!あの人に会おうとすると警備員が、色んな人が僕の邪魔をするんだ!!」

要領を得ない言葉を喚きちらしながら、のび太は半狂乱でドラえもんに詰め寄る。その後も何事か切実に叫び続けていたが、どうにも言わんとすることが伝わってこなかった。

「待て、待て。のび太くん、ちょっと落ち着け」

「落ち着いてなんていらんないよ!もうすぐサンタが来るんでしょう!?だったら一刻も早く助っ人が、あの人に会ってあの人のいう『大切な人』に助けを頼んで、それで、それで!」

「落ち着けってんだこのクソメガネ!サンタを屠るより前に手前の口を二度と開けないようにされてェのか糞袋が!!」

のび太の顎を万力のように締め上げながら、ドラえもんが叫ぶ。初めて見せる生々しい怒気、そして明確な殺意に、一同は凍りつくようにして固まった。ただ出木杉だけは、おどけるようにして口笛を吹いていた。

「いいか、のび太。戦いは何も武力だけで決まる訳じゃない。知略や謀略、要するに情報の力だって同じくらいに重要なんだ。その意味からすれば、俺やお前、並びにここにいる全員が『何を知っていて』『何を知らないのか』、その辺りのことを適切に知ることもまた、戦いにあっては不可欠な要素なんだよ。分かったか?分かったな?分かったなら俺がこの手を離した瞬間、お前はお前の知っていることを、飼い慣らされた子犬のようにペラペラと喋り始める、そうだな?」

矢継ぎ早に言葉を受けたのび太は、もの凄い勢いで瞬きを繰り返す。尋常ならざる力で締め付けられているため、頷くこともできないらしい。ドラえもんはその瞬きを質問に対する肯定の意味だと認め、顎を掴む手からゆっくり力を抜いた。

「あ、会いに行こうとしたんだ。助けを得ようとして、あの人に、でも会えなくて、止められたんだ!だからドラ、ドラえもんに」

「もう一度だけ言う。要点のみ述べろ。今度は顎を潰すぞ」

「ほ、星野スミレさんに会いにいこうと思ったんだ!」

時代をときめくスター女優、星野スミレ。それはその場にいる誰もが見知った存在だった。しかし彼女の存在と、いまドラえもんたちを取り巻く現況と、その両者が一体いかなる親和性を有するというのか。

「以前、ドラえもんと一緒にスミレさんと会ったことがあったろ?その時、僕は聞かされたんだ。スミレさんの好きな人は、遠い遠いところで必死に頑張っているんだ、って。その人は、そう、まるでスーパーマンのような人なんだ……って、そんなことを。だからそのスーパーマンのような人の力を借りられれば、そう思って僕はスミレさんに!」

確かにドラえもんらと星野スミレとは、以前、つまらぬ事件をきっかけに会話をする機会に恵まれた。ただ、ドラえもんはその仔細を記憶してはいなかった。そのところからすれば、のび太のまくしたてる会話の内容は、ほとんど初耳に近い。

「まあ、落ち着きなよのび太くん。星野スミレさんはもちろん僕も好きだけど……いくら彼女のいう『好きな人』が『スーパーマン』じみているのだとして、そのポテンシャルは結局、ドラえもんくんの持つ秘密道具には到底及ばないんじゃあないのかい?そうであるならば、その見も知らない人に拘泥する意味は、あまりないと思うのだけれど」

「いや、でも、出木杉くん!普通に考えたらそうかもしれないけど、けどあの時、スミレさんは不思議な道具を見せてくれたんだ。それこそ、まさに、ドラえもんが持っているような、秘密道具みたいな感じで……」

「おい、待てのび太。そんなもん、俺は見た覚えないぞ」

「そりゃあ、そうだよ。だって君がトイレで用を足している間のことだもの。スミレさんも『これは二人だけの秘密よ』って言っていたし……ウフフ」

全身が総毛立つかの如き気持ちに襲われた。どうして目の前にいるバカは、全ての言を額面通りに受け取ってしまうのか。不意に獰猛な殺意が鎌首をもたげそうになる。

「それは一体、どういう代物だったんだい?」

出木杉がいてくれて良かった。ドラえもんは心からそう感じた。もしこの場に自分とのび太としかいなかったら、およそまともな会話など成立していなかったに相違ない。百度ミンチにし、百度タイム風呂敷で復元してからでしか、冷静にはなれなかったであろ。

「コピーロボット、っていう道具でね。見た目は普通の人形、っていうか、のっぺらぼうのマネキンみたいな感じで、小さい姿形をしてるんだ。で、その人形の鼻っ柱がボタンみたくなってて、そこを押すとね、その鼻を押した人と人形とが、まるっきり同じ人間になっちゃうんだよ」

のび太の語った内容は、まるで出来の悪い絵空事のような話だった。事実スネ夫も静香もジャイアンも『あのスミレさんが、まさか……』という風に失笑している。比較的懐の深い出木杉ですら、隠そうともせず呆れたような顔をしていた。だが、ドラえもんだけは例外だった。

「お前のいうコピーロボットってのは、こいつか?」

「そう!それだよ……て、え?どうしてドラえもんがそれを」

のび太が最後まで言い終えるより早く宇宙完全大百科を取り出し、猛烈な勢いで『星野スミレ』の項を検索する。その間、出木杉やのび太が何事か問いかけてきた気もしたが、最早ドラえもんの耳には届かない。数分後、検索結果が端末より吐き出された。

【星野スミレ】
かつては美少女アイドルとして幅広い世代に支持され…(略)…その後はスター女優としての地位を確立…(略)…星野スミレのもう一つの顔は、正義のヒーロー『パーマン』の三人目のメンバー・パーマン3号(通称パー子)である……(以下略)。

「パーマン……?」

「え、ドラえもんってば、パーマンのこと知っているの?」

何気なく呟いた単語に、スネ夫が並ならぬ興味を示した。

「いやあ、うちのスネ吉兄さんが小学生の頃の話なんだけどね、そのパーマンっていうのがとにかく大人気だったらしいんだ。立ち居振る舞いは小学生みたいなんだけど、空を飛んだり怪力を振るったりで、縦横無尽の大活躍!それを見た当時の小学生は、そりゃもうパーマンに憧れたもんだって。スネ吉兄さんがいつか話してたなあ」

「つまり、それは特撮、ということなのか?」

「ええっ?そりゃ、そうなんじゃないの?だって子供が空を飛んだり悪人をやっつけたりだなんて、普通はあり得ないでしょ」

普通は。スネ夫の発したその単語がドラえもんの脳内で幾度と無くリフレインする。普通は、普通に考えれば、確かにスネ夫の言う通りだ。しかし歳相応の素直さを持ち合わせるスネ夫は、未だ気がついていない。22世紀から来たと称するロボットであるドラえもんが眼前にいる状況、それこそまさに『普通ではない』という、明白過ぎる事実に。

「つまり、パーマンは存在する。あるいは、した」

口元を吊り上げながら出木杉は呟いた。パーマン、その存在はフィクションではない、特撮などではない、現実の存在なのだと、彼はすぐに確信したのだ。同時にドラえもんは思う。

この少年は理解が早い。
否、あまりにも早すぎる、と。

「……やけに嬉しそうだね、出木杉くん」

「そうかい?いや、少しばかり愉快になってきたのは否定しないけれど。あと、僕のことは呼び捨てで構わない。まどろっこしいだろう?だから今後、僕もキミの呼び名は皆に倣うことにするよ」

なあ、ドラえもん。
出木杉はねっとりとした口調でそう告げる。
その何もかも、全てが既定路線であるかのように。

いけ好かなかった。

かかる感情を携えつつなお、出木杉の助力を得なくてはならない自らの存在が。

何よりも疎ましかった。

「ドラちゃん、どういうことなの?分かるように説明してくれないかしら」

「ああ、ごめんよ。どうもさっきから気ばかりが焦っちゃってね。結論から言えば、のび太くんの言っていたことは全部本当だと思う。また、スネ吉さんが熱狂していたというパーマン、それについても過去確実に実在した『ヒーロー』だったと言えるだろう」

「やったじゃん!」

即座にジャイアンが嬌声を上げた。次いでのび太が得意気な表情を浮かべ、静香とスネ夫とが安堵したように笑う。まことに小学生の思考回路というものは単純だ。

「だけど、まだ彼ら−−パーマンが、今回の戦いに協力してくれると決まったわけじゃない」

ドラえもんの思考を出木杉が代弁する。やはり彼は聡い。そしてその頭脳が聡ければ聡いほど、ドラえもんの抱える疑念はその濃さをいや増してゆく。

「出来杉く、いや、出木杉の言う通りだ。いま判明したのは、かつてパーマンという集団が存在したこと、並びに星野スミレがその関係者であったこと、その二点のみだ。そのことと本件とは、未だ結び付くには至っていない」

「だから、どこでもドアと悪魔のパスポートを!」

「それで、のび太、お前はどうするんだ?『スミレさん、あなたはパーマン3号なんですよね、近日中にサンタが襲いかかってきます、だから手助けして下さい』とでも請願するつもりか?そうだとすれば、お前は底抜けのマヌケだ」

どうやら図星であったらしい。見ればのび太は、空気を求める金魚のように口をパクつかせている。

無策による特攻が常に悪だ、と言うつもりは毛頭ない。何も考えずにぶつかるのが最善という局面もあるにはある。

だが、状況は未だその段階にない。

「うん、のび太くん。それはあまりにも愚策だよ」

少なくとも出木杉とドラえもんとは、そう感じていた。

「まァ交渉には俺が臨む。星野スミレとは例の一件で面識もあるしな。ただ、のび太、お前が星野スミレというケースを思い出してくれたこと、そいつについては礼を述べておく」

のび太は未だ釈然としていない様子だったが、ドラえもんが右手を掲げる動作をすると直ぐに縮こまった。体罰は本意ではない。それでも、覚えの悪い犬には厳しい躾が必要だ。ドラえもんはそう信じている。

「ドラえもん、僕にもさっきの機械……宇宙完全大百科と言ったかな、それを貸して欲しいのだけれども」

ドラえもんは思う。目の前のいる、おそらくは猛犬であろう少年についても、躾が必要なのだろうか、と。

「……あァ、いい。出木杉、まだるっこしいことはやめだ」

「それは、どういう」

「貸してやるよ」

言いながら、白い布状のものを出木杉の方へと放り投げた。そのものは僅かにその身をはためかせ、曖昧な放物線を描きながら、出木杉の両手へと収まった。

「これは?」

「四次元ポケットのスペア。要するに俺の持つ秘密道具の保管庫の第二の鍵だ。そいつをお前に託す」

瞬時に一同に緊張が走る。スペアポケットといえば、ドラえもんのアイデンティティの大半を組成するといっても過言ではない代物なのだ。あるいは、ドラえもんの第二の心臓、と言い換えてもよい。それを第三者に、託す。それが一体何を意味するのか。

「……いいのかい?そんな、軽々に」

愚鈍な犬には躾を要する。それは時に、体罰を要する躾で以て。ドラえもんは信じているし、その信念はこれまでもこれからも、僅かばかりも揺るがない。

「勿論さ。だってお前は」

ドラえもんは同時に、信じる。

俊秀なる犬には、手綱を着けてはならないのだと。

認めて、放つ。
任せて、委ねる。

そうすることでしか勝ち取れない信頼が確かにあるのだと、ドラえもんは、確信と共に。

「俺の大切な、友達だろう?」

俊秀な人間にしか知覚できない、微量な毒気を混ぜ込みながら。

「見ての通り、ポケットは二つに分けられた。これにより、参謀も二つに分けられた、と考えてもらっていい。勿論、最重要課題は皆で合議して決める。だが、局面的な判断については、俺か出木杉に任せて欲しい。そこまでのことに異論はあるか?」

地下室は静寂に包み込まれる。反論などないことは端から織り込み済みだ。それでも、一応でもなんでも『話し合いをした』という事実が重要なのだ。故にドラえもんも出木杉も、ある意味迂遠なまでに皆の意思を確認し続けた。

「……では、おおまかにではあるが、我々の意思が疎通できたと仮定して。ここから決戦までの間、皆にはそれぞれ役割を与え、それぞれ動いてもらうこととなる。まず、ジャイアン」

「お、おう!」

「お前には戦術担当を任命する。まァ、噛み砕いて言えば、暴力省大臣といったところだな」

「おお、任されよう!俺様に適任だな!!で、何をすればいいんだ?」

「なァに、簡単さ。お前にはまず『おもちゃの兵隊』と『無敵砲台』とをそれぞれ二組与える。それをまァ……そうだな、紅白両軍にでも見立てて、その両軍を戦わせ、その上でお前は色々な戦術を考案すりゃあいい。どうだ、楽だろ?」

「んん?するってえと、俺はこのおもちゃどもが戦うのを見て、その勝ち負けを見て、どうすりゃ勝てるかってのを考えて……ってことか?そりゃいくらなんでも退屈すぎないか?」

「ふむ、それもそうか。ではジャイアン、ちょっとこの鏡を見てくれ」

「おう、これでいいのか?」

ドラえもんが四次元ポケットか取り出した鏡の前にジャイアンは素直に立つ。しばらくして後、鏡の中からジャイアンとまるで同じ造形をした何かが出現した。

「え、お、俺、俺が!?」

「俺が、俺、お、え?!」

「フエルミラーだ。原理上、これでジャイアンはこの世に二人誕生したこととなる。さあ、血沸き肉踊る楽しい殺し合いの始まりだ。右のジャイアン、お前は紅軍を率いろ。左のジャイアン、お前は白軍を率いろ。それで勝敗を競え。期日は12月24日正午まで。白星の数で負けた方は、俺が責任を持ってその存在を消す。なァに、両方同じジャイアンだ。二人いた方が困るんだ、どちらにせよ一方は消えなくちゃあならん。紅白のジャイアンよ、消されたくなければ、必死に勝て」

それだけ言い捨てると、ドラえもんはまたぞろポンプ地下室で地下空間を造り上げる。今度はばかに広大な土地であるらしい。

「千代田区くらいの面積はある。ここで存分にやり合えばいい」

最後にノートと鉛筆だけを双方のジャイアンに押し付けると、そのままケツを蹴って地下室へと突き落とした。その間際、何事か叫び声が聞こえた気もしたが、もはやドラえもんの耳には届かない。

「で、スネ夫。お前には武器収集の用を命じたい。出来るな?」

「あ、ああ。もちろんさ」

「再三になるが、今回サンタを相手取るうえで、勝ち過ぎはまずい訳だ。いい按配で引き分けるか、26日を迎えるまでギリギリの消耗戦を続けるか、そのラインは守らなくてはならない。その意味からすれば核兵器なんかは当然使用できない、それは分かるな」

「か、核……!?そんな、頼まれても嫌だよ!!」

「オーケー、それでいい。現代の地球がぶっ壊されちゃあ、未来の地球だって元も子もないしな。つまりスネ夫、お前にはそういう事情を斟酌した上で、各種武器を取り揃えて欲しいワケだ。とりあえずラプター(F22)は2機ある。これは俺の方で増やしておく。それ以外のブツを、お前の言う “厚木” の方で、潤沢に取り揃えて欲しい」

「分かったけど……一人じゃ限界があるでしょ。誰か手助けしてくんないと」

「ゴシャゴシャうるせえな。とりあえず『ゆめふうりん』貸してやるから、それで安雄とはる夫でも連れてどうにかして来い。あと通り抜けフープと悪魔のパスポートとスモールライト。こんなもんで十分だろうが。理解できたか?」


スネ夫は納得がいかないという様子だったが、ドラえもんがケツを蹴るモーションをとった瞬間、弾かれたように部屋を出ていった。それを見てドラえもんと出木杉は腹を抱えて笑った。のび太と静香は彼らが何を笑っているのか、まるで理解できなかった。

「さて、のび太としずちゃんだが……二人については、率直に言って、特に何かしてもらうことはない」

「それは、どういう」

「まず、のび太。お前の射撃のセンスは天性のものだ。おそらく、歴史を紐解いたところで5人といない腕前だろう。ムカつくが、それは俺も認める。だからお前はそれでいい、逆に言えば、それだけでいい。で、しずちゃん。本音をいえば賢しいあんたにも何か仕事をして欲しいところなんだが……それでも俺は、敢えてあんたにはバランサーの役を負ってもらいたいと、そう思ってんだ」

「バランサー?」

「俺たちはこれから、サンタとの戦いに向けて意識を先鋭化させていく。それは激戦へと向かうにあって実に重要な精神鍛錬でもある。だが、同時に脆い。全ての状況、環境、意識状態が『それ』だけしか見ないことになる。他を一顧だにせず目的に邁進するのは効率的ではあるが、思いがけない死角をも生み出し得ない。だから、そこを起動修正する役割、あえてサンタとの戦いから身を離し、『冷静な』視点から俺たちの暴走を止めてくれるためのパーツ……そいつをしずちゃんにお願いしたい」

ドラえもんは未来の世界で沢山の戦いを見てきた。個人が全体化し、全体が固体化していった結果、様々な弊害が生まれるのを何度となく目の当たりにしてきたのだ。硬直化してしまった組織というのは、強くも儚い。穿たれた一つの穴が、壊滅的な崩落を生じせしめんとする。そういう側面は確かにあるのだ。

「分かったわ。要するに私は、何もしなければいいのね」

「敢えて言わせてもらうなら『何もしない、をする』、そういう積極的な役割を担っているのだと……そう捉えてもらえるなら、俺も嬉しい」

それはある種の詭弁だった。だが、紛うことなくドラえもんの本音でもあった。誰しも、有事を前に無為を生きるのは歯がゆい。どれだけそれが重要であると諭したとて、ジャイアンやスネ夫、あるいは出木杉であっても、その役目に不服を覚えることだろう。だが、静香であれば。あるいは俺の真意を汲んでくれるのではないか。ドラえもんはそう願った。

「ウィンドウ、ブロウィン、フロムザ、エイジア……」

何ごとか口にしながら静香はそっと部屋を後にする。すぐにドラえもんがその後を追おうとするが、出木杉がその肩を掴んで押しとどめた。

「出来杉くん、何を」

「女は海、ってことさ。大丈夫、君の気持ちは十全に伝わっただろうよ」

狐につままれたような思いであったが、出木杉が余裕のある雰囲気を醸しているのを察知し、とりあえずその言葉を信じることにした。餅は餅屋、級友の心の機微には彼の方が余程理解が深いだろう。ドラえもんはそう考えた。

「さて、出木杉。君と僕とは両翼の翼だ。今更どちらが上、なんてチープな議論をするつもりはない。君は君として、僕は僕として、それぞれするべきことをやるだけだ。その上で聞くが、君はこれからどんな手立てを打つつもりだい?」

「人手がね、必要なのさ。それも、圧倒的な存在感を持つ、人手が」

畳の上に腰を下ろし、出木杉は宇宙完全大百科と睨み合う。その画面に何度となく『error』の文字が表示され、その度に負けじと激しい勢いでキーボードを叩きつけた。

「お、おい。出木杉、お前は一体何を……」

「祖父さんから聞いたんだ。かつて、この日本、いや、大日本帝國に、まるで奇跡のような戦略兵器がいた、って話を。だがそいつは、いつの間にか歴史の闇に葬り去られた。だけど祖父さんは確かに僕に語ったんだ。そいつは−−」

宇宙から来た、謎の巨人。
そいつはあの時代、どこかの場所に、確かにいたのだ、と。

「……いた、見つけた、こいつだ……!!」

端末から検索結果が吐き出される。出木杉は千切るようにしてその紙片を手に取った。

【ガ壱号】
昭和20年3月、大熊諸島の南東にある無人島で、日本兵たちが出会った巨人。「ガリバ」を自称する。ガ壱号は、大東亜共栄圏の理想に共感し、同年4月1日、日本兵として初陣。だが奮戦虚しく、戦争に敗れる。

「こんな、まさか、こんなものが……」

紙片に目を通すドラえもんの手がわなわなと震える。歴史に埋没していった闇、超兵器ガ壱號(ちょうへいきがいちごう)。その実存は静かに、しかし確かに、祖父から孫へと受け渡され、そして

「待っていろよ、ガ壱号。再びお前を『お国のために』働かせてやろうじゃあないか……!」

陰惨なる戦いへと、否応なしに、目覚めを賜る。

戦いに向けてのアウトラインは、非常に粗雑ではあったが、まずは整いつつあった。もちろん、まだまだ詰めるべき箇所は山積している。出木杉とドラえもんとは日が落ちてもなお、膝を付き合わせての議論を繰り広げていた。

「22世紀の世界にあって、どうして人類はサンタを叩きのめせないのだろう。撃滅できない理由は、ドラえもん、どこにある?」

「その答を提示するのは簡単だが……その前に、出木杉。お前は、なぜ俺達が奴らを撃退できないままでいると考える?」

「思うに、ひみつ道具の無効化、じゃないだろうか」

「その通りだ。まァ、厳密に言えば少し違う。通じる道具もあるが、大半の道具は奴らに通じない」

「通じるものと、通じないものとの別は、何だ」

「完全に判明した訳じゃない、というエクスキューズを付させてもらったうえで聞いてくれ。思うにあいつらには、直接的強制力のある道具しか通用しない。それ以外の影響……例えばあいつらに対し、『因果律をねじ曲げるような干渉』を行おうとしても、軒並み無力化される」

「要するに、もしもボックスで『もしサンタがこの世からいなければ』というのは、まるで効果を発揮しない、という理解でいいのかな?」

「そうだ。ほかにも、悪魔のパスポートで『人類に従え』という命令をしても、それは通じない。現にそれを試した人間もいたが、結果は無残なものだった。どくさいスイッチなんかもまるでダメだ。ただ、ショックガンや空気砲、無敵砲台とか……そういうものは有効だった」

「一体、どういう原理なんだろうな」

「それは分からん。だが西暦2105年の戦闘において、奴らは印象深い台詞を残している。曰く『理屈の分からん科学を何とする?敢えて言おう、それは魔法である』と」

「その話から逆算すれば、サンタ陣営は22世紀の世界において、現存する科学知識とは異なる独自の科学体系を有している、という仮説が構築できる。奴らは、22世紀の人間からすれば及びもつかない知的財産を指し、『魔法である』と称した……」

「分析の無力さを感じるだろう?出木杉よ。それが分かったところで、じゃあ俺達に何ができる?何ができた?奴らが俺達の持つそれを凌駕する科学を有している、おそらくそうであるらしい。そいつが分かったところで、出木杉、そんなもんに何の意味もないのさ。大事なのは奴らの体にはきっちり鉛玉が届く、そこのところだけだ」

「もう一度確認したい。ひみつ道具について、サンタ側に『物理力的な影響を与えられる道具』以外のものは、無力化される。では、フィンランドまでどこでもドアで赴くこと、こいつは可能なのか?」

「可能だ」

「奴らの本陣に直接乗り込むことは?」

「それは、できなかった」

「たとえば悪魔のパスポートで、戦闘意欲のないものを無理やり洗脳し、サンタ側に特攻させることは?」

「可能だ」

「なるほど……何となく分かった。これはひとつの推論だが、もしかすると奴らは『遊んでいる』のかもしれない。サンタ側が本気になれば、ドラえもんのいう『直接的強制力』そのものだって排除できる可能性もある。F22での攻撃は奏功するのに、それよりもっと先進的な技術であるはずのふしぎ道具が通用しないという事実について、合理的な解を導くとすれば、いまのところそう考えるのが自然だ」

「遊んでいる、か。出木杉、おそらくお前の見立ては正しい。奴らは基本的にフェアだ。俺たちの仕掛けるやり方と、大体同じような戦術概念で以て襲いかかってくる。想像の裏をいくような搦め手は使ってこないし、ほとんどにおいて火力オンリーだ」

「ほとんど。では、例外もある?」

「あるには、ある。ただ、それにしても直接強制力の枠からは出ない。奴らは時に、奇妙な歌で以て我々のことを惑わしてくる。歌を耳にした者は即座にその精神を崩壊させる。メカニズムは謎だ。防ぐ手立ても見つかっていない」

「まさに魔法、だな」

出木杉はひとつ息をつき、じっと天井を見上げた。物言わぬ木目が静かに少年の顔を見つめ返す。『理屈の分からない科学、それは魔法』−−先にドラえもんの発した台詞が、しつこいほどに頭の中でリフレインした。

「いずれにせよ、出来ることは限られているんだ。熟考は大事だが、迷妄は無駄でしかない。考えすぎてドツボにハマるよりゃあ、小さいことを地道に積み上げてく方がなんぼかマシだろうよ」

言いながらドラえもんは四次元ポケットに手を突っ込む。それほど広くない室内が、あっという間にひみつ道具で満たされた。それら道具の群れをしばらく眺めた後、手早くリストアップを始める。察するに、来るべき戦いにおいて使える道具とそうでないものとを仕分けているらしい。確かにそれは、小さいながらも重要な作業だ。

「ドラえもん、どこでもドアを借りるよ」

「構わんが……どこに行くんだ?」

「さっき情報を得たデカブツ、まずはあいつを説得しなけりゃならない。とはいえ、かつての日本に心酔し、『忠臣は二君に仕えず』とまで言ってのけたヤツなんだ。そう難しい交渉にはならないだろう」

「うん、まァそのあたりのことは、全て任せるよ」

助かる。それだけ言って、出木杉はすぐに部屋から姿を消した。

後に残ったのはドラえもんと、そしてのび太。

「一体、どうなっちゃうんだろうね。ドラえもん……」

弱々しいトーンで話しかけるが、その背中は黙して何も語らない。ドラえもんは相変わらずひみつ道具の確認作業に余念がない。

「26日を迎えたころ、僕たちの地球は、どういうことになっているんだろう。僕たちの町は、僕たちの世界は、それまでと同じようでいられるのかな?いつもの皆が、いつものままで、そこで笑っててくれるのかな?」

なおもドラえもんは語らない。ドラえもんとのび太とを隔てる空間には、あたかも粘度のある障壁が介在しているかのようで、声も温度も、届かない。それでものび太は問わず語りに言葉を投げる。何が起きちゃうんだろう、と。僕たちの周りは、どう変わってしまうんだろう……と。

「なァ、のび太」

どのくらいの時間が経った頃であろうか。出し抜けにドラえもんが口を開いた。重く鈍く、錆びついたような声色だった。

「俺は運命論者じゃない。全ての理は最初から決まってる……なんて意見は、糞にまみれたゲロ袋みたいなもんだ。ひどくつまらないし、空疎だろ。そんなのって」

「それは、どういう」

「仮に全ての運命が変えようのないものだとしても。そんなモン、俺からすりゃあ知ったこっちゃない。なぜなら、運命がどうあろうと、『俺の認識する』『俺だけの世界』は、誰にも、何にも、揺るがすことは出来ねえからだ」

ドラえもんの認識する、ドラえもんだけの、世界。のび太はその時、ふと思った。彼の目にする世界は、果たしてどのような色彩に満ちているのだろう。彼はその双眸で何を見て、何を見ていないのだろう、と。

「取り巻く世界が100回瓦解したところで。俺の認識する世界が壊れていなけりゃ、俺はそれでいい。全てを決めることが出来るのは、他の誰でもない、俺だけだ。そこんところからすりゃあ、のび太。世界ってなァ、どうにか『なっちゃう』もんじゃあない。俺の考えからすりゃなあ、のび太。世界ってなァ、どうにか『する』もんなんだ」

「どうにか、する、世界……」

それだけ言ってから、ドラえもんは再び口を噤んだ。その瞳には、既に彼の世界しか映っていないのだろう。彼にしか見えない、彼だけが描ける、孤独で優しい、虚無の世界が。

「それでも僕は−−」

そこから先は言葉にならなかった。言えば、全てが嘘になる気がした。ドラえもんの見える世界とのび太のそれとは、決して同じではない。時に近寄ることはあったとしても、焦点を結ぶことは、永劫ないのであろう。だからのび太は、黙って部屋を後にした。

「それでも僕は、君と僕と、僕を取り巻く世界の全てを、守りたい」

『なる』世界を、『する』世界へと導くために。


「……なァ、のび太くん」

ドラえもんは呟く。


「何かを守るって決め、それを達成した、その瞬間。
それは確実に−−

別の誰かの抱く、別の世界を。
こなごなに壊しちまうんだ」


誰もいなくなってしまった部屋の、虚空に向かって。



ーー同刻、フィンランドーー

粉雪が舞っていた。あの日と同じように、美しくも儚い、物言わぬ粉雪が。

「あなた」

妻の声に後ろを振り返る。見れば、絹のように美しい掌をこちらに向かって捧げている。その中には小さな小さな、人形のような物体がひとつ、ちょこんと鎮座していた。

「S.AN.TA、完成しました」

「そうか、ご苦労だった……」

Soldier of ANti-human TAlisman(排外の守人)。
その日、北欧で誕生した凄惨なる撃滅兵器。
それはサンタクロースの妻の手の中に、確かに。

「いつ出立なされるのですか?」

穏やかに微笑みながら妻は問う。それはまるで、夫の旅程を確認するように緩やかに、優しげに、一握の狂気と共に。

「わしは、サンタじゃ」

妻の手からSANTAを受け取り、指先で弄ぶ。最前まで小指の先ほどの大きさだった人形が、見る間に十尺ほどの巨躯へと姿を転じた。

「サンタが夢を運ぶとあれば、聖夜をおいて他にあるまい」

獣と化したSANTAは、ねっとりとした唾液を撒き散らしながら咆哮を上げる。ひとつの地点から発せられた雄叫びは、やがて海練となり津波となる。気づけばそこに、数千数万のSANTAの実存が、猛り生じた。

「聖夜に運ぼう。醒めない夢を。終わる世界の朝日を前に」

サンタの顔が悪意に染まる。気高く歪んだ横顔を肴に、妻は己が股間をまさぐる。漆黒の森と化した獣の群れは声を限りに叫び続けた。空気が震え、大気が揺らぐ。その時、雪嶺から大規模な雪崩が生じた。

見える世界、見えなかった世界。
なる世界と、する世界。

崩落に任せるほかない雪を契機に。
取り巻く世界の、終焉が始まる。

累計167回目となる戦いが終わりを告げた。剛田武は息をつく。見えぬ地平にいるはずの剛田武も、おそらくは同じ心持ちであろう。168回目の開戦がいつになるのか、果たしてそれは分からない。分からないが、少なくともいま、俺は寝たい。それはおそらく、向こうの剛田武にしても同じであるに違いないのだ。あちらにいるのが俺と同じく剛田武であるのであれば。

『紅白のジャイアンよ、消されたくなければ、必死に勝て』

ドラえもんから向けられた言葉が耳朶に蘇る。あまりにも唐突な発言にあの時は何も思わなかったが、思えなかったが、今なら分かる。自分に自分を打ち倒させようと、殺させようとする、その行為の意味。

ドラえもんは、まさに神殺しに挑もうとしているのだ。

「……各員準備。これより敵軍に奇襲をかける。俺の放つ合図と共に、総員突撃だ」

寝不足でフラフラになりそうな頭に無理くり活を入れた。どうあっても俺は、この境を越えなくてはならない。剛田武は二人もいらない。そう思えばこそ、限界を突破した後に何があるのかを、俺は見据えなければならない。

「進軍、開始!」

叫びが放たれるのと同時に。地平の先からマズルファイアが明滅するのが見えた。だからきっと、向こうからも同じ光景が見えているのであろう。累計168回目となる、一毛も変わらない戦局が。

「俺が俺に克て、つうのかよドラえもん……」

寸分違わぬ塩基配列を有した二人が対峙したとき、果たして如何なる結末を迎えるのか。それは壮大極まりない思考実験の渦。何の罪も負わない一個の小学生は、ただそれに翻弄されるばかりで。

「全軍前進!Aチームは南西から威嚇射撃を続けろ!」

極北に設えられたひみつ道具、『時門』。ひたすら緩やかにその門扉を開いていくその様子は、だから、いつかこの戦いが終わりを迎えることを雄弁に物語る。

「剛田隊長!Aチーム、敵軍の陽動部隊を撃滅と共に全滅!前進部隊は一進一退の攻防を繰り広げております!」

「負傷兵の中で、動けるヤツだけ叩き起こせ!Aチームの亡骸から使える武器を回収すんだよ!」

剛田武、町一番のガキ大将。
地下空間に降りて、既に1年。
対峙するは、同じ暴力と同じ矜持と、同じ愛情とを有する、町一番のガキ大将。

時門の門扉は、まだ半分も開いていなかった。


−−同刻同夜、骨川スネ夫


「米軍基地からめぼしい重火器は掻っ攫ってきたけど……本当にこんなので大丈夫なのかなあ?」

スモールライトですっかり小さくなった武器群を眺めながら、スネ夫の抱える不安はいつまでも尽きようとしない。ドラえもんのいる22世紀の科学力で以てしても太刀打ちできない、サンタの存在。どうして20世紀のポンコツ武器で途方も無いサンタ陣営と渡り合えるというのだろうか。

「いくらなんでも、無茶だよ……」

勝ちたい、勝てればいい、勝てるのか、勝てない気がする、勝てない、きっと負ける。思考は堂々巡りするばかりだった。ドラえもんが自分に向けてくれた優しい言葉、そいつが場当たり的でおためごかしであった事実にも、とっくに気付いていた。

半ば絶望しながら安雄とはる夫のことを見遣る。ゆめふうりんで強制的に動かされている彼らは、立ちながらにして安らかな眠りを貪っていた。

「ちぇ、僕がこんなに悩んでいるってのに、こいつらは呑気なもんだ。ああ、僕も彼らみたいに、違う世界に埋没できたらいいのに!今と全く同じ世界で、でも今の世界とは全く関係ない、争いも面倒事もない、ただ静かなだけの世界に……」

そこまで考えたとき、スネ夫の頭に小さな火花が勃った。それはおそらく、賢しくて小狡い、誰より保身に長けたスネ夫にしか気付けないほど、小さな火花だった。

「あるじゃないか……」

泥濘の中に埋没していたかつての記憶が恐ろしいほどの速さで蘇ってくる。ここと同じで、ここと関係のない、争いの存せぬ、ただ静かな、揺るぎない世界。

スネ夫はかつて、確かにその世界に、いたのだ。

スネ夫は駆け出した。基地を外に走り抜け、やきもきしながらようやくタクシーを拾った。こんな夜更けに外をうろつく小学生の姿に運転手は訝しがっていた様子であったが、万券の2枚も握らせると、すぐにえびす顔で笑った。

「練馬区月見台、すすきが原まで」

それだけ告げると、腕組みをして瞼を閉じた。助手席と隣の席からは、安雄とはる夫のたてる穏やかな寝息が聞こえる。反面、スネ夫の頭脳は凄まじい勢いで回転し続けていた。

(あの時点における過去の改変……伴う鉄人兵団の滅失……リルルの再訪……ドラえもんの技術の介在……因果の途絶、あるいは、連続……)

タクシーが首都高に差し掛かった頃、スネ夫は静かに瞼を開いた。

「鉄人兵団は消えた。タイムマシンによる過去への介在によって、奴らは確かに、消えた」

車窓越しに橙色の街灯が、鈍くその顔を照らし出す。

「だが、ドラえもんが手を加えた鉄人兵団の集積回路は、どうか。それまで併せ消え去ったのか?否、きっと違う。ドラえもんの手により加工されたその集積回路は、ドラえもんという因果が介在したことにより、消え去ることなく鏡面世界の中で……」

いつか、パパとのドライブの最中。まどろみの中、こんな風景を見たことも、あったっけ。

「ザンダクロス。だからお前は、鏡面世界の中に、確実に−−」

タクシーはすすきが原に向かってひた走る。

いつか見た風景と、いま見ている風景と、これから見るべき風景と。全ての風景が綯い交ぜに、スネ夫の網膜にきらきらと、きらきらと映し出されていた。


−−同刻同夜、出木杉英才

大隅諸島南東○○キロに位置する無人島に。
出木杉英才のものと思しき亡骸が、およそ数十体。海辺に散っていた。

「出木杉サン……コレハ本当ニ『日本ノ為』ナノデショウカ」

全身に裂傷を負いながら、あまりにも巨躯なる異星人−−ガ壱号が、悄然と呟く。湾岸に並び伏す出木杉英才の亡骸は、そのいずれもがガ壱号と比べ遜色の無い程の巨躯であった。

「勿論だよ、ガ壱号。この行為は、紛れも無く『お国のため』のことだ。それに、殺されている僕自身がそう言うんだ。何を憂うことがある?」

言いながら、出木杉は再びフエルミラーの前にその身を写す。しばらくして後、出木杉と寸分違わぬ個体が、鏡の中より生じて立った。

「やあ、僕。とりあえず君には……」

「大丈夫だ、僕。みなまで言わなくてもいい。さ、早くビッグライトで僕のことを大きくしておくれ」

ガ壱号と同じくらいに。言いながら、出木杉と出木杉とは怪しく笑い合う。すぐに出木杉の手元から眩い光が放たれ、対面の出木杉はガ壱号と同じくらいの大きさと化した。

「出木杉サン、コンナコト、モウ……!」

「ガ壱号。これも皇国のためのことだ。分かってくれ」

言下に出木杉は言いのける。それは何の色も、何の温度も有さない言の葉だった。故にガ壱号は二の句を継げない。皇国という響きを前に、意識が感情が、動こうとしないのだ。

「そろそろ手強くなるぞ。僕だって、ただ死んできたわけじゃない。彼我における身体的特質の差異も分かってきた。だからガ壱号、お前も必死に殺せ。僕を殺せ。お国の為に、目の前の僕を殺すんだ」

言い終えるが早いか、出木杉はガ壱号へと襲いかかる。ガ壱号も半ば反射的にそれに呼応し、次の瞬間、出木杉の肋骨が砕け散った。

「やはり、と言うべきか……身体的能力に差がありすぎる」

漸次ボロ雑巾となり果ててゆく己の姿を眺めつつ、出木杉はメモをとる。たゆまぬ反復と分析と、偏執的なまでの情報収集と。それが秀才をして秀才ならしめる、唯一の要因なのだ。少なくとも出木杉はそう理解していた。

3桁にも及ぶ自らの亡骸を積み上げた末、出木杉は知る。

ひとつ、我々が巨大化したところで、その基本性能はガ壱号のそれには到底及ばないこと。

ひとつ、ガ壱号は、地球における物理法則を無視したレベルの攻撃力、防御力を有しているということ。

ひとつ、ガ壱号は原則的に温厚であるが、ひとたび『日本のために』というプロパガンダを掲げれば、容易に小学生を撲殺できる程度には従順であること。

「成程、ね」

メモ帳を閉じ、ぼんやりとした瞳で目の前に展開される巨人対決を見守る。決着は2秒も経たないうちについた。見れば側頭部を滅茶苦茶に破壊された出木杉が、静かに小波を横顔に受けていた。ガ壱号はそっとその亡骸を抱え上げると、もう何体になるか分からない亡骸の群れへと、それを並べる。

「出木杉サン、今日ノワタシハ、疲レマシタ。ドウカ、コノアタリデ……」

ほとんど泣きそうになりながらガ壱号が懇願する。だから出木杉は喝破する。彼が疲れたのは肉体ではなく、精神の方なのであると。『お国のために』、そのプロパガンダを隠れ蓑に小学生を撲殺しながら、その実、自らの心を壊しきれない、巨人の心の在り方を。

「そうだな……ありがとう、助かったよ。じゃあガ壱号、ちょっとこっちに来てくれないか」

巨人は言われるがままに出木杉の方へと顔を近づける。すっかり正体を失ってしまった目で。半ば壊れかけている心を、それでも何とか立て直そうとする、そんな健気な眼とともに。

「ごめんね、ガ壱号」

出木杉は手に握った『わすれろ草』をさっと付きつけた。すぐにガ壱号の目が曖昧にまどろむ。

「忘れるんだ。何もかも。薄汚い記憶は、全て」

巨人は砂浜に突っ伏した。出木杉はその巨躯にタイム風呂敷をかける。擦傷も、蒼痣も、心の疵痕も。お前は何も知らなくていい。そう願いながら、祈りながら、出木杉はタイム風呂敷を取り去った。綺麗な身体となったガ壱号は、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠っていた。

出木杉は湾岸へと足を向ける。夥しい数の死体が眼前へと迫ってくる。それは他ならぬ自らの亡骸。その時々の僕は何を思い、何を願って、死んでいったのだろうか。出木杉はひとり考える。打ち寄せる波の音を聞かないようにしながら、そっと一人で、考える。

「やっとこの日がきたんだ……」

思考はすぐに波へと消える。溶けて流れて、どこかへ朽ちる。出木杉は聡い。聡い出木杉は、だから、考えるまでもなく答を知っている。

「個体としての僕の、意味を」

スモールライトに照らされ、数多に朽ちた巨躯の亡骸がたちまちのうちにマッチ棒の如き大きさへと変じていく。そして出木杉は両手にそれを拾う。拾って海に、投げ捨てた。

かつて出木杉だったものが、波に呑まれ洋の向こうへ消えていく。いつかそれは魚の臓腑へ吸われ収まり、新たなる生命を繋いでいくに違いない。だが、出木杉の心は、かかる感傷とはまるで無関係だった。

「僕はようやく、僕になるんだ!」

十六夜の月に照らされ。
南の果てに、少年が、叫んだ。

・・・

雪が、雪が降っていた。
はらはらとか細い、いまにも虚空に消えてしまいそうなほど、儚い雪が。

「準備はいいかーー」

F22に乗り込んだドラえもんが全員に告げる。どこからも返事はない。それで良かった。決戦を前に、言語化された意思表示などあまりにも無意味だ。いまや応諾の有無を問う段階は、遥か彼方に過ぎ去っている。

「ジャイアン隊、突撃」

そう言い終えるが早いか、サンタ本陣に向かい黒山の人だかりが特攻を開始する。瞬間、出木杉隊とスネ夫隊が右翼と左翼とに展開した。それと呼応するように、敵方本営からS.A.N.T.A.の先発隊が獰猛なる勢いで進撃を開始する。

「ジャイアン隊とS.A.N.T.A.……やはりと言うべきか、戦力は拮抗しているらしい」

右翼へと広がった出木杉が双眼鏡を目に当てながら呟いた。『基本的にヤツらは、遊んでいる』ーーいつかドラえもんと交わしたやり取りが耳朶に蘇る。だからやはり見えてこない、敵の底が。

「ガ隊、射撃用意」

「し、しかし出木杉サン!それでは、ジャイアン隊もろとも……!」

「繰り返す。射撃用意。ガ壱号、俺が貴様と戦術会議をしたいと言ったか?これは相談ではなく、号令だ。命令なのさ。故にお前らは俺の指示に粛々と従うべきだ」

双眼鏡を覗き込んだまま言った。レンズの向こうにジャイアン隊の先端とS.A.N.T.A.の先端とが激突せんとする様子を目の当たりにする。一人が一体を倒す。一体が一人を倒す。その戦力、まさに五分。出木杉はそれを確認すると、満足気に笑ってから、言った。

「撃て」

ガ壱号は声なく喘ぐ。抗議の意を表せんと出木杉を見遣る。視線の先にあったのは、無表情にゲーム盤へと目を落とす優秀なる司令官の横顔だけだった。

「……総員、放テ」

ガ壱号の号令一下、放射状の光線がS.A.N.T.A.へと向かい収斂してゆく。次いで、火球。次いで、轟音。禍々しい色彩が明滅し、大気は鳴動する。超兵器ガ壱号の放つ光線銃は、着弾した周囲1キロを軒並み虚無へと飾って消した。そしてそれは、ジャイアン隊の一部も例外ではなく。

「さあ、どう出る……?」

出木杉は全ての事象をデジタルにしか捉えない。そこに一切の感傷はない。生じたもの、残るもの、あるいは、消えるもの。全ては彼の脳内において数値化され、記号化され、無限の蓄積とリセットとが繰り返されるばかりだった。それは学生生活においても、生殺与奪の場においても。出木杉はデジタルに考える。現況、S.A.N.T.A.の戦力は8割が削がれた。比して、ジャイアン隊の現象は2割に満たない。であるならばーー

「来、た……!」

出木杉は見る。遥か遠方にて禍々しい光の明滅するのを。同時に出木杉は直感する。あれは、あの光は。最前こちらの放ったそれと、ほとんど同意義の排除力を持つそれであると、そのことを。

ほぼ同刻。出木杉の見たそれと、全く同じ光を目の当たりにしながら。剛田武はひとり呪った。

「結局俺には、戦術的価値しかねえってことかよ……!」

呪いの対象は、自己。地下空間に閉じ込められて2年、何度となく命のやり取りを強要された自分であるはずなのに、地上に出てもなお自らの命を賭すことしかできない、己の不甲斐なさを。剛田武は静かに呪った。そしてその呪いの最中ーージャイアン隊は、その6割を滅失させる。直前に見たS.A.N.T.A.の撃滅、それと全く同じような風情で以て。

「アンタは、どう見る」

眼下に広がる凄惨な光景を眺めながら、ドラえもんは口を開いた。その問いかけに須羽ミツ夫ーーかつてパーマン1号と呼ばれた人物が、楽しそうに口を開いた。

「いい……実にいいねェ!!これぞ正に "地球のピンチ" ってやつじゃァないか!!まァ仮にそのピンチを招いたのが他ならぬ君なのだとしても!?まるごとそれが "自業自得" ってヤツなのだとしても、だ!!いい、いいじゃァないか!!これでこそパーマン……否!『バードマン』としての面目躍如ってやつじゃァないか!!そう思わんかね?!きみィ!!」

壊れた人形のように両手を叩き、笑う。それはかつてのパーマン1号。それは現在のバードマン。灰色のタイツに身を包み、動力源の不明な装置で空を飛び、狂人のような鳥人、超人は、笑った。

「剛田隊長!左舷より急襲した兵力により、戦力の大半は消失!の、残ったのはいま、ここから見える範囲にいる兵力、それだけであります!!」

「……言われなくても分かってるぜ」

図らずも見通しの良くなってしまった雪原を睨みつけながら、ジャイアンは感じる。焦土と化してしまったこの戦場の向こう、雪の彼方に。おそらく自分と近い、あるいは同等以上の "暴力" を有した敵士官のいることを、その本能で以て。

「戦略的勝敗の帰趨は、出木杉、ドラえもん。お前らが好きに考えてりゃいい。そのためなら俺はいくらでも捨石になってやらぁ」

雪原を踏みしめ、極北を歩む。その右手に血塗られたバットを握り締めながら。

「剛田隊長!指示を、指示をお与え下さい!!」

「微速前進。ジャイアン隊に小細工は無ぇ。見つけて、襲う。叩いて、潰す。お前の敵は俺のもの。俺の敵は俺だけのもの。分かるか。分かったな。分かったら黙ってついてこい」

背中で言い捨て、黙々と雪原を踏み越える。どこかから出木杉の、ドラえもんの、あるいは誰だか分からない者の視線を感じた。

観測者の視点、ゲームマスターの掌。世界は、規律は、全てあずかり知らぬところで決定されている。だから俺は、ただの駒だ。どれだけ駒として優秀だとしても、規律から外れたところではただの木偶なのだ。

それは、麻雀牌で将棋を指せないのと、同じくらいの意味合いで。

「あれは……ダッシャー、か?」

およそ数キロ先、ジャイアンとほぼ対置した場所にいる巨像を見ながら、ドラえもんは言った。ダッシャー、それはサンタクロースに仕えるトナカイ、"オリジナルエイト" と呼ばれる最古参の猛者の一体だ。ジャイアンと、そしてダッシャーとは、寸分違わぬ行軍速度で互いの陣を率いんとしていた。

「サンタは遊ぶ……か。さて、その仮説が正しいのであれば。あのデカブツと剛くんとの実力差はほとんどない、ということになるが……しかし、どうにも信じがたいな。あんなのはまるでーー」

バケモノじゃあないか。双眼鏡を覗き込みながら出木杉は言う。歌うように、弾むように、どこか自分とは関係のないフィクションを楽しむような、口ぶりで。

「俺には分かる。この雪を越えたところ、白の果てに。人ならざる獣のいることを。そいつだけじゃあない。その後ろには、それと同じような獣が何匹も何匹もいることを。俺には分かる、俺にはーー」

葡萄色に染まったバットの先が、雪面に滑らかな線を描いた。それはジャイアンの行く先をいつまでもいつまでも、どこかの童話の物語のように、刻銘に実直に、描き描きながら。

「"俺殺しの俺" には、どうしても分かっちまうのさ」

ぶつかり合うは、獣と化物。

人間を超越した存在と。
自らを調伏した少年と。

それは正しく、ふたつのケダモノ。


こうして、12月24日午前0時。
ドラえもん陣営とサンタ陣営とが、遠くフィンランドの地において、激突を開始した。



時計の針は、再び少し遡る。

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