肉欲企画。

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1966年12月24日

紅色発狂

何かクリスマスのこととかを書いた日記。

2007年11月27日

『他人を指さして自分の弱さをそいつのせいにするな、それは卑怯者のすることだ』

とは、映画『ロッキーザファイナル』の中で主人公ロッキーが放つ名言なのですが、俺には分かる。クリスマスが僕の心に苦々しく感じられるのは、確実に世間が悪い。世の中は欺瞞と偽善に満ち溢れておるわ。

とはいえ僕も多感な季節(とき)は過ぎましたので、どうにもクリスマスにピンクなマターが訪れそうにないぜ!という自分の個人的事情を捉えて激しく懊悩する、街角のアベックを爆殺する、石火矢衆を率いて神殺しに挑む、など青春期特有の無軌道な行動に出るだなんてことはありません。今、僕の心は神仏を奉る求道者のように穏やかです。

けれども、日本古来より大和の民は祭り好き、と相場が決まっているわけで、僕にしてもその因果からは逃れられない。祭り大好き、意味もなく大騒ぎするのを止められない!という体たらくですので、世の中の一大イベントであるクリスマスもやはり見逃せない。ぶっちゃけ自分、新嘗祭とか地鎮祭とかマジすげー興奮しますからね。体温が3度くらい上昇する感覚に捉われますもん。


※1 地鎮祭(じちんさい)
⇒土木工事や建築などで工事を始める前に行う、その土地の神を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る神道の祭儀。とんでもなくエキサイティング。

※2 新嘗祭(にいなめのまつり)
⇒11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀。天皇が超クール。


でもまあさすがに12月24日に家を建てることを決意、その土地に住む神々に建築の許しを請おう!と計画する人もあまり想定し難いですし、仮に存在したとしても『僕みたいなものを地鎮祭に呼んでくれるのか?』という新たな問題もバースデイ。そう考えるにつき、地鎮祭のラインはどうにも苦いです。かといって新嘗の方はどうかといえば、見ての通りたっぷりあと361日後という切ない現実。五穀豊穣とか願ってる場合じゃない。

なので常識的な観点から考えれば、キリストを偲びつつターキーにクランベリーソースをかけたのとかに舌鼓を打ちながら、ヘイパパ、そのペプシおくれよ!ジェニー、今夜はダンスパーティーだ、みたいなテイストの夜をナイトするのが正道だとは思います。

けれども、陸軍将校であった我が祖父の遺志を勝手に想像すれば、そのように米英の価値観に則ってパーティーを催すなど国賊そのものではないでしょうか。付け鼻に付け髭を装着して「ヘイ!メリーだ!」とシャウトしながらクラッカーを鳴らしまくる孫の姿を正視した結果、草葉の陰で祖父がQ太郎ばりに大号泣する姿が瞼の裏に浮かんで消える。よってこの案は採用できません。大体、クランベリーソースって何だよ。

ちなみに昨年は何をしていたかと申しますと、全力でオフ会してました。福岡県博多において、10人くらいで。おっと、それ以上何も言うなよ。あんたらが何を言いたいかは、俺が一番分かっている。

ということで今年はどうしますかただいま絶賛検討中です。
いくつか案はあるんですが……。


■ドキッ!男だらけの岩盤浴オフ会 〜肉欲さんのポロリもあるよ〜

コンセプトとしては明確なんですが、性別上の女性を一切排し、男ばかりで岩盤浴に行くというのが主眼です。12月24日に皆仲良くデトックス。終わった後のビールは確実に美味い、というのがこのオフ会のミソです。

ちなみに僕も先日、岩盤浴を初体験しましてね。それ自体はマジで気持ちよかったんですが、更衣室にとんでもなく高級そうな体重計が設えられており、どれ体脂肪でも計ってみますかな、と測定したところ、13%でした。ちなみにその体重計には『体年齢測定機能』という謎システムが搭載されていたのですが、それによると僕の体年齢はまさかの18歳らしい。また、危惧された内臓脂肪なんですが、全然存在してなかった。あんな生活しておきながらこの健康さ具合には流石にたまげた。まだまだクズとしての修練が足りないようです。


■ワオ!男だらけの写経オフ会 〜肉欲さんと涅槃を見よう〜

みうらじゅんが『写経ブーム、ついに到来!』と一方的に宣言してから久しいですが、僕らも真理の光を見つけるために一斉に写経をしよう!というのがこのオフ会のキモ。12月24日、かすかに揺らめくロウソクの光をよすがに、僕たちは釈迦の教えに思いを馳せる。僕レベルになると極めて明確に予測できるんですが、写経をした後のビールは確実に美味い。

女人は当然参加厳禁。精進的な側面から考えればあまりにも当然の判断ですよね。


■ヘイ!男だらけの長縄オフ会 〜モモに長縄が当たると痛い〜

毎冬が訪れると、どの小学校でも確実に行われた謎イベント『長縄跳び』。どうして夏ではいけないのか?冬にやることに意味があるのか?という生徒側の意見は完璧に封殺され、いつしか僕たちは死んだ魚の目で黙々と大地を蹴る。

「女子ってすげえトロいし、いっつも縄に引っかかってウゼーよ!もう女子は入んなよ!清水のせいで止まんだよマジでさー!」

というガキ大将の切なるシャウトの意味を考えると、やはり女人は参加厳禁。12月24日、大きなモミの木の下で僕らの内にくすぶっていた長縄魂が、再び焔を灯す。あと、色々な論理的考察はあえて省きますが、長縄を飛んだ後のビールは確実に美味い。


■マンモス!男だらけの百物語オフ会 〜稲川淳二の本名は、良彦〜

寒いクリスマスをもっと寒く過ごす、精神的な寒さはトリプルで寒い、という求道者のようにストイックな姿勢でまさかの怪談オフをプロデュース。とにかくもうなんたらかんたらペロペロポンで女人は禁制。とはいえ一律に禁止してしまうのもいかにも辛いので、そうですね頭を丸坊主にして袈裟に身を包みながら

「へえ、あんたも寂聴って言うんだ」

と唱えながらの参加を約束します!という女性だけは参加されても結構です。みんなと怖い話をしながら飲むビールは、確実にプリン体とかが云々。


■ビビビ!男だらけの巣鴨襲撃オフ会 〜トゲ抜き地蔵にトゲを刺す〜

棺桶に片足をスタンバイさせ、長い人生の中で悟りを開きけけているシニアどもが跋扈する街、巣鴨。そこにおわしまする人々はもはや俗世に興味はなく、だから必然的にクリスマスとも絶賛無縁です。そこに男ばかりで襲撃し、老人たちの肩をゲリラ的に揉みしだく、老婆を背負って横断歩道を突然横断する、駒込在住の菅井さん(83)に訳もなく仁丹をプレゼントする、など横暴の限りを尽くすのがこのオフ会の本懐。その後に飲むビールは、やっぱビールだけ飲んでると体に悪いからたまには焼酎なども検討して下さいまし、あなた。


というわけで現在24日には各種オフ会を検討してるんですが、正直場所に困るっていうか、金がないから九州でしかできそうにありません。関西東京圏はまず全滅。一番望みがありそうなところで福岡か?個人的には鹿児島で開催したい気持ちで満載なんですが、人いねぇんだよ薩摩。パルプンテみたいな事象が夢発生し、金が手に入れば東京でも佐渡島でもどこでも行くんですがね。生憎、俺の中のサンタはもう死んでいてな。

とりあえず今週末は久しぶりに実家に帰省です。何か法事があるらしくね。仏事が大好きな僕としては、今から興奮を抑えきれません。親父が神道(父はなぜか神主の資格を持っています。あと花火師の資格とか。何なんだよあの人)、祖母が仏道に身を捧げているため、般若心経と祝詞が同時に聞ける、という宗教マニアには垂涎の状況。小さい頃から木魚と線香とロウソクで遊んでましたからね、我々兄弟は。

「おい、そろそろロウが垂れるぞ!手を出せ棒太郎!」

「ギャア!熱い!」

「よし、次は俺だ!」

「分かったよ兄ちゃん!そぉい!」

「ギャア!熱い!」

こんなSMまがいなことを繰り返しながら、僕は、僕たち兄弟は。

まあそれはどうでもいいんですが、とにかく週末は久しぶりに中学の時の友人たちと酒を飲んできます。もちろんケンジ君も来ます。過去、彼らの前で酒の魔力により幾度となく僕のマミー・ポコ(≒ペニス)を露出しているので、今回はなるべく自重したいところなんですが、もう僕は僕を信じたくない。信じるからこそ傷つくんだ。

イベント盛りだくさんの12月が始まります。
最後の締めくくりに、誰かなんかしようぜ。ご連絡お待ちしております。
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1966年12月23日

戯言のような

コメント欄についてとか

2007年11月09日

ブログのコメントにどう向き合うか、っていうのは一つのテーゼとして重要であることは確かなんだけれど、あまりそのことについて考え過ぎても仕方がない。所詮ブログなんだから。コメント欄がないならないで、それは世界に何の動静も与えない。

けれども、運営している側からすればそこまでドラスティックに割り切れない側面も確かにあるわけで、端的に言えばコメントを気にする人ってのも結構いるし、僕だってその辺りのことに例外ではいられない。昔に比べりゃ楽にはなったけれど、やっぱどこか気にする部分はある。

僕のコメントに対する考え方は結構適当だ。ブログを運営している人がいたとして、その人がコメントを閉じたきゃ閉じればいいじゃん、と思う。それと同時に『批判される覚悟もなけりゃブログなんてやるなよ』という意見も理解できる。それらは要するに見解の違いでしかない。

色んな意見を見てきた。『匿名で、何も失うものがない人が安易に批判をするな!』という意見。『コメント欄がなくてもトラックバックは開放しているのだから、意見があればトラバを打てばいいじゃん!』という意見。『コメントは開放してるけど、自分はコメントを見てませんよー』という意見。様々あった。

どれが正しい、って話じゃない。僕は正しさを求めたいわけじゃない。ただ、コメントっていうものに対する性質に対して、もっと分かりやすい分析ができないものかな、ってことだけはずっと思ってた。

それで最近、ちょっとだけ『お、これは』という考えに至ったのである。ブログにおけるコメント欄ってのは、どうも母親の料理に対する意見に似ているんじゃないか。

たとえば、毎日更新しているブログがあるとする。アクセス数もまずまずだ。当然、コメントも付く。

コメントが付くとなると、やはり一定程度の割合で否定的なコメントもくるものである。『今日のはツマンネ』とか『面白いのか?これ』とかいった声だ。

その声は貴重だ。賛成しかないような状況はどうしても気持ち悪いし、正しい批判(という基準をどこに設定すべきかはまた難しい話だけれど、ひとまず置いておくとして)であれば、それはむしろ積極的に受け入れるべきものだろう。

けれど、どれだけ日記上で冷静に対処している人であれ、そういうコメントが付いた瞬間にあっては

「なんだよコイツ……せっかく苦労して書いた日記だってのにさあ!」

と、多少の憤りを覚えるものではないだろうか?少なくとも僕に関しては、そういう部分はある。表立ってそんな感情を出すことはないけれど、ちょっとした鬱屈とした気持ちは澱のように溜まっていくものだ。

『今日のご飯、あんまり美味しくない』

そういえば僕は、母親に向かって何度となくそんな言葉を吐いた記憶がある。そこに大した悪意はない。ただ、美味しくないと思ったからそのままに伝えただけのことだ。けれど、あの時々に母親は何を思ったのだろうか?その気持ちを想像することはできる、しかし事実として母が僕の言葉をどう受け止めたのかは、今となってはよく分からない。

ブログも人も、そして母親の料理も。閉鎖するか死ぬかするまでは『当然に』『ただそこにあるものとして』僕らの前に存在し続ける。もちろんブログのコメントと母親の料理への品評とを同列に扱うことは乱暴だし、評論において過度に比喩表現を用いることはルール違反ではあるのだけれど、ある程度通じる部分もなくはないように思う。

その意味でいえば、ただそこにあるものに対し、誰かが何かを言ったり、言わなかったり、暴言を吐いたりすることは、発信者の側の問題として捉えるのではなく、むしろ受け手の問題として捉える方が幾分か理性的で、かつ精神的にも穏やかでいられるのではないか、と最近思う。

『どうしてこんなことを言うのだろう?』と考えるのではなく、『ああ、こういう声もあるのね』と受け入れること。それは結局、誰かが出したのと同じ結論ではある。けれど、自分なりの思考経路の果てにそこに辿り着いた、という事実はやはり大きい。それは『息子はどうして私の料理を嫌いだと言うのだろう?』と考えるのではなく、『こういう味付けにすればもっとマシにはなるのかな?』と考える、みたいな状況に対置できるかもしれない。

考え方はそれぞれだ。別にこういうのってブログだけのことではないだろうし、企業製品にしてもCMにしても、人為的な要素が介在する全てのことに敷衍して言えることだとも思う。ただ『無償である』という点においてのみ、母の料理と個人ブログとはある程度の親和性を有する。そして、いつかいきなり失われる可能性がある、という点に関しても。

だからといって過度に有難がる必要もない。不味いものをきちんと不味いと言うこと、言ってあげること、そこに私怨がないのであれば、それはどちらかといえば優しさだ。もちろん、その当時に味覚障害でないのであれば、の話であるが。一番怖いのは、母親同士だけで『この味がいいのだ』と決め付け、押し付け、意見を排除し続けることであるのには間違いがないだろう。あるいは、息子の嗜好だけを過度に気にして、毎晩ハンバーグだけを出し続けることも同様に。

だから、母親同士の意見交換はあってもいいけれど、馴れ合ってばかりではいけないんじゃないだろうか。なぜなら、そこで培われるのはただただクローズドな関係性でしかなく、いざという時に柔軟な対応ができなくなるように思われるからだ。もちろんそのことと、ハンバーグの美味さを職人的なレベルにまで昇華させることとは、全く別の話である。


でもまあ、やっぱこの論理は厳しい。だって僕は母親じゃねーもの。大体が、母親って選べないものですしね。ブログはブログ、料理は料理。やはり分析的なものに比喩はそぐわないですね。どうも最近頭が固くてかなわんなあ。寝よう!
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1966年12月22日

十二支

干支のこととか

2007年12月22日

ネットで(主に2ちゃんなどで)猫のことを「ぬこ」と称する傾向がありますが、その語源をご存知でしょうか。

十二支においてのトップバッターは、ご存知の通りネズミ、つまり子(ね)です。

説は様々ありますが、十二の動物がかけっこをして一番最初にゴールしたのがネズミであったため、あのような順番になったと言われています。ネズミが一位を射止めたやり方も、ゴールの直前まで牛の頭の上で眠っていて、ゴールが近づいた瞬間にピョコンと飛び降りトップをゲットした!という何ともセコいもの。

それに加えて、ネズミはかけっこに参加するつもりだった猫に対して

「かけっこの日は○日だよ」

とウソの日程まで教えています。

なので、そのことを恨めしく思った猫は、現在にいたるまでネズミを追っかけている、と噂されたりもしているのですが、ここでは割愛。

猫の健脚ぶりは皆さんもご存知のことでしょう。ネコマニアの中には

「あの時、ネコも出場していれば、きっと1位を射止めたに違いない!」

と思われる方も相当おられることと推察します。
そして今回の話のミソもそこなんです。

「きっとネコが1位だったに違いない!ネズミの前で」

「きっとネズミの前だったに違いない!」

「子(ね)の前だったに違いない!」

なにぬ←ねの (ねの前=ぬ)

×『ね』こ⇒○『ぬ』こ

と、まあこういう経緯があったのだ、という話が2ちゃんの内部でまことしやかに囁かれておりません。全部ウソだよ。5分くらいで僕がでっちあげた作り話さ。くだらない戯言だ、と笑ってくれよ……。世知辛い世の中ですが、詐欺には十分気をつけて下さい。
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1966年12月21日

熱くいこうぜ

日記の書き方とか

2008年1月18日

昨日ヨッピーさんと「どうしたらブログのアクセスが上がるんスかね……」という比較的しみったれた内容の会話を繰り広げていた。得られた結論としては、やはり顔を晒して体当たり系の企画をする、あるいは毎日せっせと更新する、といった感じのメソッド。確かにそれらは一定程度の効果はあるだろう。

しかし僕たちが求めていたのは、本当にそんなやり方だったのだろうか?否、そうじゃないはずだ。僕たちが求めているのは、対症療法なんかじゃなくて、もっと全てを根底から覆すほどの革新的な何か。そこにあって顔を晒すとか更新頻度を上げるだなんて、心からどうでもいいまやかしだ。

大人になってしまった僕らは、いつしか全てのことを斜に構えて見据えることになれてしまった。

『あらゆるものに、踏み込まないように』

その姿をクール、と言ってしまえば、それは適切なのだろう。付かず、離れず……大成功もないけれど、大失敗もない。ガムシャラに動く余人に冷笑を浮かべながら、流行ものにはそれなりに乗っかる。平均気温19度くらいの、不快も快適もない安穏とした世界。それが僕たちの生きている社会だ。

ダメだ!そんなもんは薪にくべて灰にしよう。そう、僕たちが今本当に必要としているのは、全てを塵芥に帰すような圧倒的な高熱、灼熱のようなスパークなのである。20歳を超えた今だからこそ、向こう見ずに走るエナジーが震えるほど輝いて見えるのだ。忘れたくない少年期の心、っつーかな。みんなだってケイドロに熱くなった記憶のひとつやふたつ、あるだろ?

「警察と泥棒に分かれておっかけっこして、何が楽しいんだか……」

そんな風に笑いながらバーの片隅でチンザノロッソをロックで傾けるヤツは、パニーニを尿道に詰まらせて死んでみるといい。僕が欲しいのは行為に関する確実な意味性なんかじゃなく、理屈がなくてもひたすらにジョイフルなサムシングだ。あらゆることに効率、対価、利益ばかりを求めるのであれば、今すぐ涅槃へ旅立ってしまえばいい。

とにかうもう小ざかしい理屈なんて聞きたくない。直感的に楽しく嬉しい、心踊らされる何か!きっと世に棲む数多の人は、そういうものを希求している。僕だってそう。僕たちが本質的に動物であるならば、最後に残るのは経済新聞なんかじゃなくて、意外とババ抜きとかかくれんぼとか、そういうものになるはずでしょ。であるならば、いつ終末の時が訪れてもいいように、普段から頭をアッパーに備えていく必要はこれ、大アリです。

ということで、今日は脳味噌を一ミリも動かさないように留意しながらひたすらオパンポンな日記をしたためるという新境地の試みに取り組もうと思います。果たして皆は、この僕に付いて来れるかな。



・・・



「もう、死のうかな……」

アタイの名前はアケミ。スナック『落葉』の雇われママ。ここで働き始めてもう2年になるけど、ロクなことなんてありゃしない。シケた客にシケた酒、そしてシケたアタイ。

「生きてて、いいことあるのかな……」

旦那と結婚して、旦那の実家がある静岡に来て既に5年が過ぎた。新しい街に馴染むことのできなかったアタイは、日に日に心をおかしくしていった。そんなアタイをいつまでも旦那が好きでいてくれるワケもなくて、2年前に離婚。何もかもがどうでもよかったアタイは、財産分与を求めることもなく離婚に合意した。

落ちていくのは一瞬だった。元から、祝福された結婚じゃなかった。結婚を決めたと同時に、アタイは実家から蒸発。今更帰る家もなかったアタイは、旦那と市役所に向かったその足で焼津に向かった。そこにはなんの目的もなかった。ただ、焼津というしみったれた言葉の響きが、今のアタイにはピッタリだった気がしたんだ。

「よう姉ちゃん、一人かい?」

場末の縄のれんでホッケをつついていると、浅黒く焼けた肌の男が一人、アタイに声をかけてきた。男の名前は、甚八。四十路手前の漁師だった。

「アタイが二人に見えるのかい?」

きっと甚八も、アタイのことをワケありの女だ、と察していたのだろう。お銚子を片手にニヤニヤと下卑た笑みを浮かべると、断りもなくアタイの隣に腰を下ろした。

「なあ姉ちゃん、オマンコさせろよ」

粗野な言葉遣い、でもこの状況の全てが今のアタイのことを丸ごと形容しているのだと思うと、何だか笑えた。安い酒に安い魚、そして安い男と安いアタイ。きっと今のアタイは、せいぜい目の前の磯臭い男程度がお似合いの風体をしているのだろう。そう思うと全てのことがどうでもよくなり、アタイは手に持っていたいいちこを一息に空けると、曖昧な笑みを浮かべながらしなを作った。

「アタイは高いよ?」

言葉に、甚八は豪放に笑う。つられてアタイも大声で笑ったのだけれど、一体何が楽しかったのが、どうして自分が笑ったのか、振り返った今になってもその辺りのことがいつまでも分からない。

その日、アタイは甚八と4回まぐわった。
全部中で出された。でも、そんな全てがどうでも良かった。

そう。本当にどうでも良かったのだ。昔も、そして今も――


・・・


自分でも何が伝えたかったのかサッパリなんですが、残念ながらメチャクチャ楽しかった。
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1966年12月20日

中野、西新宿、気まぐれに、高円寺

三年前の話とか

2008年2月2日

日が暮れ始めると当て所なく歩いてばかりの頃があった。

当時僕はまだ東京に住んでいた。好きだった人に嫌われてしまい、ひどく落ち込んでいた時期だった。一般的に、良くない出来事というものは重畳するらしく、その人と疎遠になったのとほぼ同時に余りにも長い春休みが訪れた。

彼女の家から私物を引き上げたのをしおに、ぱたりとすることがなくなった。寄り添ってベタベタと過ごすばかりの日々が軽やかに過ぎ去り、突然やってきた空疎な時間をぽつねんと過ごすのは、実に億劫だった。たまに友達を誘って酒を飲んだりもしたけれど、酔うためだけに飲む酒は、やっぱり美味しくなかった。

そんな時、今となってはほとんど理由は思い出せないのだが、ふと歩こうと心に決めた。当時の僕の移動手段は全て地下鉄だった。だから、地下を走っている電車の上を、自分の足で歩いてみることにしたのだ。

朝起きればいつも二日酔いだった。そんなもんなので、起きた僕は当時好きだった白石一文の本を雑然と読みつつ、布団の中で夕方を待った。日が沈み始める頃にようやくと起きだすと、MDウォークマンをポケットに入れて、家を出る。そのまま山手通りを抜けて西新宿の方に向かって歩いた。歩いていると、冷たい風が体にこたえる。脇ではタクシーがバンバンと走りぬけ、道行く人はいつも少なかった。

左手に小学校を過ぎてしばらく歩くと、細い小道に入った。その脇を通る名前も知らない川(後で知ったことには、それがかの有名な神田川だった)を沿って歩くと、ほどなくして西新宿が見えてきた。歩きながら僕は、あの時ああすればよかったのだろうか、いまあの人は何を考えているのだろうか…と、やくたいのないことばかりを考えていた。あの時は認めていなかったが、失恋の痛手は相当だったのだろう。

そんな青臭い悲劇の中にあっても、人間というものは暗い気持ちの中に居続けることは難しいらしい。知らない道を歩いていると、その内に目に見えるもののことばかりが頭の中を巡っていくものである。「おや、こんなところに居酒屋があったのか」とか「この雑貨屋は改めて来たいな」なんてことを思い始め、その内には「次に何があるのだろう」と、曲がり角を見つけるのが楽しくなっていた。

週に2回ほどは、西新宿の方に向かって歩くようになった。気を紛らわせたいというのは確かだったけれど、単純に歩くことが楽しくなっていたのも事実である。たぶん、それだけ塞ぎがちだったのだろう。家にいるよりは外にいる方が随分気がまぎれた。

ある日、山手通りに向かう折。いつも気になっていたスッポン料理屋の脇を通り過ぎた時、不意に青梅街道の方に向かってみたい気持ちになった。いつもどおりの西新宿の退廃的なビル群も、結構好ましく思っていた。でもその日は、なぜだか青梅街道の方を歩きたくなったのである。

踵を返して青梅街道の方に向かう。それはかつて住んでいた高円寺への道だった。青梅街道に出るまでの道のりには、鰻屋やら豆腐屋やら、下町を感じさせるお店がたくさん並んでいる。そして青梅街道に出た瞬間、そこには牛丼屋やファミレスばかりが目に飛び込んでくる。そんな遠慮のなさが、僕をして青梅街道への道に遠ざけさせていたのかもしれない。

ガードレールのすぐ脇をタクシーやトラックが音を立てて通り過ぎる。向かいから迫ってくる自転車をヒョイヒョイと避けながら、僕はイヤホンを耳に突っ込んだままに杉並へと向かった。しばらく行くと環七にぶつかり、交通量の多い横断歩道を渡る。

ひどく見慣れた町並が広がっていた。やたらとラーメン屋の多い環七は、夜になるとトラックやタクシーの運転手でにぎわうらしい。未だ日も暮れきらない時間だったので、窓越しに覗くラーメン屋の店員たちは、いずれも手持ち無沙汰な感じだった。

環七をJRの方に下る。既に歩き始めて1時間は経過していた。環七沿いにはカフェも多い。お茶やコーヒーを飲まない僕は、ドア越しに談笑する人たちをわき目に見ながら、コーヒーは酒より美味しいのだろうか、といったことを思った。

高架に差し掛かる前あたりに、かつて僕が住んでいた家がある。大家さんを訪ねようかな。僕はそう思ったのだけれど、間の悪いことに日が落るか落ちないかギリギリの頃合だった。そのまま表でタバコを吸いながら2分ほど逡巡し、結局僕は大家さんのところを訪ねた。

大家さんは笑顔で迎えてくれた。お茶と共にに僕をもてなし、20分ほど談笑したあと、去り際にはなぜだかバナナをくれた。その時何を話したかは、今となってはハッキリ思い出せない。ただ大家さんのくれた、やたらと黒い斑点の多いバナナのことは、今もしっかりと思い出せる。鞄を持っていなかった僕は、まだら模様のそのバナナをコートのポケットに突っ込む。大家さんに礼を言ってその場を後にした。

ドアを閉めて通りに出ると、元の家から少し奥まったところに路地があるのに初めて気が付いた。本当に不思議なのだけれど、その時まで僕はそんなところに路地があるのを全く知らなかった。駅とはまるっきり反対側にあったその小さい路地のことを、しばらくぶりに大家さんのところに訪れて、ようやく僕は気づいたのである。

ほんとうに小さな通りの先、そこには住宅街が広がっていた。見ればぽつりぽつりと、申し訳程度にクリーニング屋や雑貨屋が店を構えている。けれど、歩いているのは僕だけだった。うら寂しい道を歩きながら、大体早稲田通りの方に見当をつけて、とりあえず足を動かした。本当に何もない通りだった。きっと、通りの名前もなかったことだろう。

突然、路面に擦りガラスを設えた店があった。それは住宅街の中に唐突に在った。電球に細工をしているのか、はたまたそもそもそういう色のものなのか、擦りガラスには電球から発せられたものと思しき光が、じんわりと宿っていた。僕はぶらぶらと歩きながらその店の中を覗ってみる。

居酒屋というべきか、パブというべきか。ほど狭い店内の中で、幾人かがカウンターを囲んでホッピーを飲んでいた。僕はなぜだかギョッとしてその場を後ずさる。それとほぼ同時に、店内からはけたたましい笑い声が聞こえてきた。もう一度店構えを眺める。看板などはどこにもない。けれど、そこは確かに酒場だったと思う。

住宅街の中に、酒場が一軒。笑い声の絶えない非常に賑やかしいお店だった。僕はその時、ああ、僕の知らないところで酒を飲んでいる人はどこにでも、確かにいるのだなと、そんな下らないことを強く感じた。きっと僕がこうして歩いている間にも、どこか知らないところで、赤だか青だかの電球と共に酒を飲んでいる人もいるのだろうし、もしかしたらそれはコーヒーでもありうるかもしれない。ラーメンでもいいだろう。エスカルゴかもしれない。僕が歩いている時はきっと誰かが歩いていないのだろうし、酒を飲んでいない時にもきっと誰かが酒を飲んでいるのだ。当たり前であるはずのその考えは、僕にとって何だかひどく新鮮だった。

そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかその店は遥か後方のところに消えていて、そのまま早稲田通りへと抜けていた。しばらく通り沿いに歩いた僕は左折し、その後でもう一度左折し、歩いて歩いて純情商店街を通り抜けて、駅前の安い焼き鳥屋に入った。席に座りながらビールと焼き鳥を注文した後、高円寺に住む友達を呼んで、そのままずっと飲んだ。

店で飲んだベタベタに甘い日本酒は、翌日僕にひどい二日酔いを運んでくれた。そしてその二日酔いの日を境に、僕は散歩をするのをやめることにした。

後日。改めてあの日見た擦りガラスの店を探したのだけれど、どうしても見つけることができなかった。見つからなかったのは、僕が探したのが昼間だったからなのだろうか。あるいは、そもそも見間違えだったのだろうか。分からないけれど、僕はどうしてもあの店には二度とめぐり合わないように思う。それでいい、とも思うし、やっぱり入っておけば良かったかな、とも少し思う。ちょうど3年前の今くらいの話。
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1966年12月19日

伝わりにくいことではあるけれど

帰省した時の話とか

2008年3月12日

下ネタを一概に否定する人というのは絶対数居て、その気持ちは僕にとっても確かに理解できる。TPOもわきまえずに下ネタをサクレツさせる人というのは嫌われても仕方のないことであり、僕だって出会ってすぐさま経験人数を云々言う人とは喋っていたくない。『事実行為』としての下ネタにばかり話が終始する人のトークは、聞いていてあまり心地よいものじゃないからだ。

『あー、あそこに座ってるあいつと今すぐセックスしたいな!』

男暦24年の僕としても、その気持ちは理解できる。が、この発言には会話としての深みがない。セックスがしたい!その思いは誰しもが抱く可能性のある性質のものだけれども、いつでもどこでもそんな感じのことをシャウトしていれば、『嫌ねえ、いつもいつもあの人って……』ということになりかねないだろう。僕自身も『セックスしたいよねー』ということを語る場合はあるものの、相手は選ぶ。

セックスをしたい!だけで話が終わってしまえば全てのことはそれまでである。でも、そこから先に話を深めていくのであれば、そこには意味が生まれ始める。全ての会話に確定的な意味が必要だとは思わないけれど、一般的に言って『内容のある会話』を紡いでいる方が、飽きはこないだろう。

あの人とセックスがしたい!と表明するのであれば、『どうしてあの人とセックスをしたいと思ったのか?』という部分にまで触れて欲しいのだ。そうまで至った時、初めてそのトークは単純な『下ネタ』という枠を越え、その人の来し方ゆく末を判断する材料となりうる。セックスをしたい、という思いそれ自体はただの本能であり、僕らが動物である以上思って然るべきリビドーである。そうではあるが、どんな人とセックスをしたいのか?という部分に関して考えれば、それは『価値観』や『理性』などの本能的な部分以外の要素が介在してくる。その辺りを掘り返す行為は、端的にその人の人間性を示す指標となり得るし、それはある意味でカウンセリングのようなものだ。ブログの中でも再三言っていることではあるが、たまたまその会話中に『セックス』や『射精』という品のないレトリックを用いられているだけで、会話内容それ自体は結構真剣なものである。

『貧乳の女としかセックスをしたくない』

断片的に切り取れば、非常にコクのない表明だ。けれど、どうして俺は貧乳じゃなきゃならないのか?という部分にまで立ち入れば、そこに潜在しているのは彼の抱く貧乳への哲学だ。例えば貧乳を好きになったきっかけが、幼稚園の頃に自分のことを親身になって面倒を見てくれた先生の存在が遠因となっている……というトークがあるのであれば、それは面白いドラマだろう。興味深い話だと思うし、かつて彼が抱いた恩師への感謝の情が現在において性欲に転化している、というのも人間の罪深さを分析する上で意味のあることだ。

その場合に、最初に彼が『実は貧乳の女の子とセックスがしたくてね……』という表現の問題にばかり囚われ、盲目的に忌避し、「アイツは下ネタしか喋れないヤツだ」と断定することは、少しばかり寂しい。もちろんTPOの問題もあるし、『セックス』というテーマでトークをしている以上、頭ごなしにそれを嫌う人がいることも致し方ないとは思う。が、その人が結論として『とりあえず射精したい』と語ることと、『セックスがしたい』と語ることとは、内容においてかなり様相を異にするのではないだろうか。

単純に誰でもいいから射精をしたい、という『対人オナニー』としてのセックスを語ることは全面的に価値のない下ネタである。けれど、心を通わせた上でのセックス、あるいは深い哲学に裏付けられたセックスを語ること、それは安易に下ネタという尺度で判断することはできないのではないだろうか。かなりエゴが強い主張だとは思うが、議論としては一応成立することと思う。話の性質上『チンコ』とか『マンコ』という単語が出てきているだけでしかない以上、そこだけに囚われて『この人は品のない人物だ』と判断することは、あまり理性的ではないだろう。まあ全ての事象をセックスを通してしか断ずることができない人、というのも大いに問題があるが。

そんなような宗教に入信している僕と僕の父親は、いきおい『ニンゲン』という存在に関して議論を深める場合に、下ネタ的な要素を介在させることがよくある。ただそれは、『本能をいかにコントロールするか』という部分に各人の性格がよく表れる、ということを理解しているからであり、だからこそ便宜上の問題として下ネタフィルターを用いているだけのことだ。分かってくれ、とは言わないが、別に僕は本気でオヤジとオナニーの話をしているわけじゃない。単純に

「人はいつオナニーを止めるのか?」

というテーゼを扱う場合、必然的に『いつオナニーを始め、どのような動機でオナニーを継続しているのか』という部分も検討する必要があるだけである。あくまでもそこが本質なのでなく、結論を得るために回避できない経路としてそこを通過しているだけだ。そして『オナニーを続けている人間と、やめてしまった人間とは、社会生活を営む上でどのような相違があるのか?』というところにまで議論が至っている現実も、正しく認識して欲しいのである。

「アンタらええ加減にしときんさいよ……」

僕ら親子がそんな会話をスパークさせていると、母親がついにキレた。今日のことである。切なくて悲しいことではあるが、男女という性差がある以上、そのように憤る母親の気持ちも理解しなければならないだろう。でも、別にやましい気持ちがあってオナニーの話をしているワケではないんだ!という思いは強く主張したいところだ。

もちろんそのことを母親に対して主張はしたのであるが、結果としてはより一層キレられた、という切ない事実も併記しておく。僕たちは正しさだけでは生きていけないのであり、帰省した息子が意気揚々とオナニートークをカマしていた、その時に母親が抱く切なさを理解していなかったのは、僕の弱さだ。ただ、親父との絆がより一層深まったこともまた確かなことなのである。

あの場合、オナニーという単語を『手淫』と言い換えておけばベターだったのかな?振り返って今、僕はそんなことを思っている。下関に帰って参りました。
posted by 肉欲さん at 00:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク

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