肉欲企画。

twitterやってます。

2015年11月02日

日記

肉欲さんはこう言います。

「俺のことを忘れるなよ」

肉欲さんはこう言います。

「俺がいて、お前がいたんだ」

僕は精神を患っていました。病名はありませんが、自覚症状としてはあります。病院に行ったことはありません。しかし、何か、普通ではなかったと思うことは多々あります。そして肉欲という人格は生まれました。

肉欲さんはお酒を飲むと出てきます。
彼は粗暴で強く、純粋でわがままです。
頭がパーなのに、弁は立ちました。

彼は強気で、孤独で、享楽的でした。
楽しいことと美味しいものが、何より好きでした。
人に嫌われることを厭いませんでした。

僕は日々を曖昧に生きていました。
何もない日々を、何もないものとして、ただ生きていました。
そしてそれは、本当に無意味なものでした。

こんなものは仮のものだ。
今の自分は本当の僕ではない。

僕は昼から酒を飲むようになりました。
肉欲さんは、僕の大半を占めるようになりました。
いつだか僕は、僕の名前よりも肉欲の名前で呼ばれることの多くなりました。

今日起きたら、どんな酒を飲もうか。
肉欲さんは、何を言うだろうか。

僕は酒ばかりを飲んでいました。
なんせ、飲まないと肉欲さんは出てこないのだから。
酒を飲んだとき、初めて言葉も想いも、形にできるのだから。

そのうち、体にガタがきました。
何をせずとも脂汗をかき、心臓が早く脈打つ。
情緒は不安定になり、一日中うろんな状態で過ごす。

肉欲さんは、でも、そのたびに元気になりました。
水を得た魚のように言葉を紡ぎ続けました。
僕は翌朝、それを見て、絶望します。
こんなこと、書いた覚えもないのに。と。

それでも僕は、肉欲さんの書く言葉が好きでした。
僕は僕なりに、肉欲さんの一番の読者だったからです。

酒を飲まないと現れない肉欲さん。
僕の中にいて、それでも確実に僕ではない、肉欲さん。

最近、肉欲さんはもう、現れません。
僕は随分と長い間、肉欲さんに役割を投げていたように思います。
肉欲さんはきっと、遠くで笑っていることでしょう。

肉欲企画というブログを立ち上げて、11年になります。
そのとき、僕は肉欲さんで、肉欲さんは僕でした。
でもいつの日からか、それは違ってしまったのです。

僕は僕であり、肉欲さんは肉欲さんになってしまった。

メンヘラの戯言と笑ってくれて構いません。
僕にはもう、書く事が何もないのです。
酒を飲んでも肉欲さんは出てきません。
僕が読みたかった彼の文章は、今となっては。
どこからも生まれてこないのです。

僕は健康になりました。
離脱症状もなくなり、酒を飲んでも少しで済みます。
たくさん飲むときもありますが、毎日ではないです。
父親の後を継ぐため、来年には実家に帰ります。

でも、肉欲さんはもういません。
僕の中のどこを探しても、彼はもういません。

涙が止まらないのです。

さようなら、と。
さようならと言わなくてはならないのでしょう。
肉欲さんにさようなら、と。

肉欲企画はこれにて一度終わります。
また肉欲さんが戻ってくることがあれば、その時は。

どうぞ、よろしくお願いします。

肉欲 改め 望月拝
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2015年08月06日

ファジーな僕たち

「なんでもいいよ」

その言葉がどんな文脈から放たれたにせよ、大抵の場合それは嘘である。なんでもいい、それはいつだって『なんでもよくない』気持ちへと収束していく。

人は決めつけられたい生き物だ。道しるべを示され、ここが歩く場所なんだよ、と言われること。ストレスを感じず柔らかに生きていくこと。それが望ましいものであること。何も考えずに生きていきたい、無意識的にそう考えてしまうこと。

楽園を生きたい。
そう願う気持ちを咎める理由はどこにもない。

「じゃあ、そこのモーテルでファックでも……」

人の言葉は脆くて儚い。願いは霧散し、祈りは滅失する。なんでもいいは、なんでも良くない。なんでもいい、と言った私の気持ちは、決してなんでも良くないからだ。

「モーテルでファックは、ちょっと……」

「なんで?なんでもいいって言ったじゃん」

切なくて、夏。言葉が通じなくて、2015。そういうことじゃ、ないでしょ!?そう思う気持ちも虚しく儚く、彼の胸には届かない。

「なんでもいいけど、なんでもよくないところって、ホラ、あるじゃん。空気感的なそれっていうか。いや、ホント、なんでもいいんだけど、モーテルはちょっと……」

「じゃあウチに帰る?」

言葉は、嗚呼、神様。こんなにも遠くて胡乱で、曖昧なものだったのでしょうか。沢山のことを望んでいるわけではないのです。ちょっとのことなのです。でも、そのことをつぶさに私は、一々の細かいところまで。言いたくはないのです。それは私の、我儘なのでしょうか。

「なんでもいいよ」

そう言ったのは私です。それは認めます。ですが別に、どうでもいいよ、と言ったつもりはないのです。言葉遊びなのは分かっています。でも、でも。なんでもいいことと、どうでもいいこととは、違うのです。そのことを察して欲しい、感づいてくれるだろうと思った私は、もしかして、愚かだったのでしょうか。

「じゃあどうしたいんだよ」

目の前にいる人が苛立っているのが分かります。私は悲しい気持ちになるのです。言葉の意味は分かるのに、理解できるのに、絶望的なまでに意思疎通ができない。一体これを何と言えばいいのでしょうか。私はそんなに多くのことを望んだでしょうか。

「そういう気分じゃ、ないんだけどなあ」

目を見て話すこともできません。
言葉を紡ぐだけで精一杯なのです。
なんでもいいけど、なんでもよくない。
少しずつにしか、私は私の気持ちを説明できないのです。

「じゃあどうしたいか、最初からハッキリ言えばいいじゃん。なんでもいいとか、なんでもよくないんじゃん」

そんな目で私を見ないで下さい。辛辣で厳しい口調で、私のことを責めないで下さい。私はただぼんやりと、なんとなく曖昧に……なんでもいい、優しい時間を過ごしたかった。

私には言葉が少ないから。
なんでもいいとしか言えなかっただけ。

それがそんなに。
あなたのことを怒らせるとは思わなかったのです。

・・・

切ないワンシーンである。

「なんでもいいよ」

古来より、人から放たれるこの言の葉に懊悩した人は多い。
なんでもいいって、一体なんだよ!
それは男女の関係だけに存するマターではない。

「先輩、昼飯買ってきますよ。何がいいですか」

「なんでもいいよ」

「ウッス。メロンパン3個買ってきました」

「お前殺すぞ?!」

ファジーな言葉は、危うい。
なんでもいい、それは往々にしてなんでも良くないものである。

「先輩、昼飯買ってきますよ。何がいいですか」

「どうでもいいよ」

「ウッス。とんがりコーン買ってきました」

「ありがと」

『なんでもいい』と『どうでもいい』、両者は近いようで遠く、浅いようで深い溝が存する。
なぜか。
それは考えてみればすぐに分かる話である。

「なんでもいいよ」

あなたがその言葉を投げる相手は、確実に信頼を寄せる誰かだからだ。なんでもいい、俺の文脈が生きるものなら、なんでもいい。なぜならお前は、俺のことを分かってくれているからだ。

そういう枕詞が確実に存在する筈なのである。

「ねえ、このベッドにさあ…新しいカバー買おうと思うの!どんなのがいいと思う?」

「そうだねえ、なんでもいいよ」

それは世の中に数多蔓延る人間が存在する中で、あなたが信頼するただ一人にしか分からない『なんでもいい』だ。限られた誰かにのみ丸投げできる、愛のある『なんでもいい』である。

「買ってきたよ!旭日旗柄のイカしたベットカバー!」

「ちょっと待てよ」

「なんで?なんでもいいって言ったじゃない!」

「言わなくても分かるだろ!このバカ!」

「なんでもいいって言ったよ!」

何のことを、どこまで言うべきなのか。
そのことに対しての答はどこにも存在しない。

「言わなきゃわかんないだろ!」

「言わなくても分かってよ!」

これは性差の話ではない。言葉を媒介にして社会生活を営む、生きとし生けるもの全てが向き合うべき問題である。

・・・

「この後さあ、どうする」

「うーん、任せる。なんでもいいよ」

察する魂の余白、read between the lines、読み解く心の行間。
そいつのあり方をつぶさに訊くヤツがいれば、それはただのアホである。

「じゃあちょっと、ラーメン屋にでも……」

「ハァァァ!?」

ファジーな僕たちである。
曖昧な言葉で真意を隠し、欲望を見えないようにする。
いつだって大切なことは、誰かに決められたいのだ。

「なんでもいいって言った……」

「ラーメン屋がいいとは言ってねーわ!そういう文脈じゃねーわよ!」

「じゃあそう言って……」

「言わせてんじゃねーわよ!家行ってヤルの!」

夜は過ぎる。
いつだって夏は終わり、秋を迎え、冬を過ごして春になる。

「なんか、僕、奪われた気分」

「一生言ってろ」

なんでもいい
なんでもいいは
なんでも良くない

どうでもいい
どうでもいいは
どうでもいい

なんでもいいと、どうでもいいと。
ちょっとした違いだけど、ちょっとしたところが、非常に大事なものである。
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2015年04月20日

日記

俺の話をしよう。
まあ、いつだって俺の話なんだが。

ブログを始めたのは、厳密に言えば11年前だ。肉欲企画、という名前にしたのが10年前だった、という話で、このブログの前身を含めれば、11年も前から俺は俺の話しかしていない。

11年も自分語りをする気持ちってのは、一体、どういう感覚なんだろうな。

それはもちろん、俺が語ることはできる。なぜなら11年もずっと、俺は自分のことしか語っていないからだ。誰の得にもならないことを、誰の損にもならないことを、ひたすらに、11年、俺はただ自分に向けてしか語っていない。なぜか。俺は自分が好きだからである。それ以外にあるのか?俺は自分が好きで、好きでたまらない。一生そうだろう。よく知らない誰か、見もしない誰かのことを好きになれるヤツなんて、どこにいるんだ。

俺はずっと、自分しか好きではない。自分が好きだ!それを突き詰めた結果が、溢れて、外に出ているだけのことだ。

優しさ、というものは存在する。俺は結局、誰かから寄せられる優しさのさざ波の中でしか生きていけない。
だから俺は人に優しくなりたい。自分しか抱えられない人生なんてまっぴらだ。俺は誰かを抱えて生きたい。誰かを背負って生きるくらいには、余裕を持って生きたい。

その誰かが、いまのところ、どこの場所に存在するのかは分からない。

俺はこのブログを始めて10年が経った。事実関係としての10年だ。昨年も一昨年も、ロクに更新しちゃいない。俺の人生にしたって、同じようなもんだ。更新しちゃいない。更新しようと思う。俺は随分と長い間、自分のことを是として、そのままでいいと思っていた。でもそれじゃダメなんだ。俺はずっと胡乱だった。だけど、それでは、ダメなのさ。

離脱症状は相変わらずにキツイ。酒は好きだ。酒は俺のことを好きなのだろうか?俺はもう、酒に酔ってしか文章を書けない。シラフで自分のことを見つめるなんてまっぴらだ。酒は飲む。酒に罪はない。学ばない俺が悪いと、ただそういうことしか思わない。

誰かの、何かのせいにして、自分の人生がマシになったことが一回でもあったか?そんなことはあるワケがねえんだよ。

呪詛は吐け。人は呪え。思ったことは口にしていい。それと同じようにして、自分のことも罵れ。苦しんで、怒って悶えろ。人に向けていい言葉は、自分にも向けていい言葉だけだ。自分に向けてキツい言葉なら、そいつは人にも向けていい言葉ではない。

「お前、もうちょっと楽に生きろよー」

口の悪い俺だが、よくよく考えてみれば、俺はそういう言葉しか親しい人にしか吐いていなかったかもしれない。

「お前、不器用だよなー」

俺はたぶん、自分が欲しかった言葉を、欲しそうだった誰かに与えていたに過ぎない。

「人生は楽しいんだからよ」

自分と向き合うのは、きついな。本当に。言葉というものは、放った当人から、直接的に自分に襲いかかってくるものだ。そういうことを、改めて感じてしまう。

「まあそういうもんだからしょうがないんじゃん。嫌だったら口を噤んで貝のように生きれば?」

青写真のように人生が進むのなら、誰だって苦労もしないだろう。

「違うんだよ。言葉っていうのは呪いでもあるが、願いでもある。祈りだ。なんでこうできないんだ!って思うこともあるだろう。だけど、こうしてほしい、こうなればいいなあ……って思うよすがを、誰に止める権利があるんだよ」

俺はずっと胡乱だった。一度言った言葉は撤回できないと思っていた。でも、そんなことはないんだ。

「じゃあ、過去の言葉を信じた人については?」

「謝ればいい。ごめんなさい、間違っていました。間違ったことは、それはもう、間違ったことなんだ」

「間違ったまま、引き返せないとこまで行った人については?」

知るかそんなもん。勝手に生きて勝手に死ね。俺は強要した覚えはない。そんなもんだろ。いつだって自分の人生にケリをつけんのは自分しかいない。俺のせいにするヤツがいたとすれば、そんなのは最初からクソみたいなもんだ。

人生って何なんだろうな、俺は最近よくそういうことを考える。そしてそいつは俺にも分かんないさ。だからブログやってんだよ。俺の俺による俺のためのログ、ここはそういう場所だ。

笑いも何もねえ箇所に。そういうところに行き着いちまったのが、結果としてのものだ。笑いを求めて読んでる人には申し訳ないが、俺はまあ、こういう形で自分を吐露するのが好きなんだよ。

日記だ。酔っ払いながら書いたけど、これでも結構推敲したんだぜ。もう俺の頭はパーだ。肉欲企画10周年に寄せるつもりだったんだけどな。
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2015年04月19日

ヒモになる人ならん人

世の中にはヒモという存在がいる。

ヒモ。

他者という存在に関して紐をくくってぶら下がって生きているもの、そういう方々のこと全てを指して紐といえば、それは誰もが紐だ。どんな人だって、大抵の場合、何かをよすがに紐をくくって生きている。

しかしながら、ヒモ。カタカナで『ヒモ』と語った瞬間、綴った刹那、それは明確に人外魔境の領域へと区分される。『紐』ではなく、『ヒモ』。紐とヒモ、音は同じであっても、後者のそれは極彩色の意味を纏う。

ざっくりと言えばクズかカス、ちょっと上品な表現を施せばクソ野郎。そういったカースト、そういった連中、そういったリズム・アンド・ブルースに生きている人たち、に、侮蔑を込めて贈る言葉。

それがヒモである。

『肉欲さんのヒモに対する考察を訊きたいのですが』

先日のことであった。俺は初めて会う女に、そのようなことを問われた。

「なぜですか」

『いや、ヒモにお詳しそうですし……』

熱い風評被害だが、その風評をばら撒いたのはきっと俺自身の言動であろう。そもそも自称が肉欲である。それは、まあ、そうですね……僕はヒモではありませんが……思うところはありますよ……など、そう返すのがせいぜいだった。

そもそもヒモとは何なんだろうか?この話の行き着く先は、そんな哲学的なテーゼでしかない。ヒモとは何か。あの日からこっち、俺はずっと考えてきた。ヒモの定義、それのことだ。そして考え至った。

ヒモは主観できない。
ただ客観があるのみである。

「あいつヒモだからやめときなよ!」 VS 「そんなことはないんだよ」

無限回廊の如き様相を呈しながら、古代の昔よりそういった論争が繰り広げられてきたはずなのだ。誰がどー見たってアイツはヒモ!あんたは騙されてんの!という熱い客観視点と、それを受けて、違うのそうじゃないの!私が勝手に頑張ってるだけだし……見返りなんて求めてないし、という浪花節じみた主観視点と。確実に、厳然として存在するのは、その『対立構造』それだけでしかない。

いやいや割り切ってやっている人もいるでしょ……と思った方がいるとすれば、それは主観と客観が一致した意味での乾いた関係性、換言すればただの愛人契約というヤツだ。ヒモのケースとは内実がまるで異なってくる。ベン図で言えば重なり合うところもあるだろうが、おそらくにして、重ならない部分の方が面積として広い。

愛人的な位置づけにいる人間は、そもそもにして自らの立ち位置に自覚的だろう。それは己の価値をクレバーに判断した上でのことだ。虚ろな目で、しかし実直な声色で睦言も吐くだろうし、薬剤を飲んででも性器をそういった状態へとバーサークさせていくことと思う。

ヒモは違う。自らの立ち位置に関してひたすら無自覚だ。己の価値について、いつだってウェットで、また、ぬるい判断しか与えない。俺はやれば出来る子だから……それがヒモだ。ネバーランドでシャブを打ち続けているピーターパンなのである。

「あの人は違うの」

同じようにして無自覚にシャブを与え続ける存在、つまりヒモをヒモとして存在させ続ける心優しくも罪深い売人、それがピーターパンを使役するのである。金というシャブをピーターパンに打ち続けるのだ。

ギブ・アンド・テイクという言葉がある。あるいは、義務と権利、といった言い方もある。何かをすれば何かを得られる。何かを得るためには何かをしなくてはならない。施せば、返ってくる。そういった考え方は、古今東西、どこにでもあっただろうし、あって然るべきだ。

「あの人、最近、仕事探し始めてるし」

ヒモ界隈に生きる人からすれば、それすらもギブ。『仕事を探し始めている』、そんなギブ。常人からしてみればギブなんてどこにもない、ただのテイク・アンド・テイク・アンド・テイクである。失うことしか確実なだけだ。が、ネバーランドの住人にはそれが分からないのだ。

「この前、お皿も洗ってくれたし……」

察するところ、これが現実なのだ。俺は常々言っているが、ヒモは才能であり、愛人は努力である。どこの世界に皿を洗っただけで毎月を養ってくれる人間を探せるというのか。それを是とできる人間を、どうして探し当てられるというのか。

「セックス?面倒だな……まあちょっと手マンでもして寝るか……たまには機嫌もとらねーとな……」

彼らの思考回路はこれである。面倒なことは徹底的にパージするものの、その中で 『たぶんここでワガママ言うと怒るな……でも眠いから……手マンでいこう!』 そういう帰結に至る。どうしたってネバーランド(≒己の大事にする楽な世界)からは出たくないピーターパンなのだ。

いつかこんな話を目にしたことがある。

「だからさ、パチンコ打ちたいからって女に3万円借りるだろ。で、どうあるにせよ、その1000円でハーゲンダッツを買って帰るんだ。そしたら女はそいつを喜んでくれんだよ。これで完璧だ」

俺は確かに完璧だと思った。結局、3万円貸してる、というか、あげてる時点でその話は終わりなのだ。それでも、貸した相手の思考のリソースに『借りた義理もあるしな』というものが残っていた、その事実で、ある一定層の人は

『この人は私のことを気にかける余裕があったんだ……』

満足するのだろう。返す返すも、これはテイクアンドテイクアンドテイクの話である。一方的なギブと、一方的なテイク。それしか存在しない。

「肉さん〜、僕ね、ヒモになりたいんですよ〜」

初めて会った、よく分からん若い連中と酒を飲んでいると、たまにであるが、そういうことを言われることがある。

「ピーキー過ぎてテメエにゃ無理だよ」

俺は毎回そう答える。ヒモというのは状態だからだ。なるものではない。酒酔いの人々が 『俺は酔ってない!』 と強弁するように、ヒモの連中だってヒモの自覚はない。

ヒモは状態。
ただ無自覚に誰かに寄り添うだけ。
なのに自分の力で、足で立っていると、考えている。

「ヒモってどうやったらなれるんですか〜」

『ヒモに対する見解を訊きたいんですが』

俺はいつでも思う。
テメエじゃなにも考えないクセに答ばっかり求めてんじゃねえよ、と、そういうことを。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


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2014年12月29日

ショートトリップ

俺の話をしよう。

10日ほど前の話だ。
俺は兄貴と一緒に実家に帰った。
兄貴と過ごす実家というのは、実に数年ぶりの話だった。

兄貴はレンタカーを借りてくれた。
俺には普通免許がなかった。
全てを兄貴に任せ、俺は酒を買って、助手席に乗り込んだ。

「すまんね」

「好きなだけ飲め」

下関の空は曇天だった。
行き先はどこにもなかったが、いくべき場所だけは、どういうわけか、二人の中で確かに決まっていた。

兄貴は33歳になり、俺は31歳になる。
兄貴はよく俺に言った。

「下関で過ごした記憶がほとんどない」

それは言葉通りの意味ではない。下関という土地に対しての興味が、幼き頃、一切なかったという意味だ。そしてそれは、兄貴の中で、記憶という果実としてまるで残らなかった、と、そういう話である。

それは確実な意味での欠落である。ひと、として欠損しているということではない。だが、欠落であるのは確かだろう。自らの過ごした時間がまるでなかった、ということを認めるのは、果たして、どういう気持ちなのだろうか。

俺は少しく考えた。だけど俺は兄貴ではないし、兄貴も俺ではない。共感する意味も理由もない。見上げた先、車窓の外。そこにはやはり、下関の曇天が広がるばかりであった。

俺たちが過ごした場所は団地だった。市営住宅、というヤツだ。貧しい家だった、と言うべきなのだろうか。世間並みに見れば、きっとそうだったのだろう。

「懐かしいな」

何年かぶりに生まれて育った団地に、郷愁だけをたよりに赴いた、最早この土地に住んでもいない人間を、誰がどうして歓迎してくれるのだろうか?どうしても俺はそんな下らないことばかりを考えてしまう。

「裏の方から回ろうや」

何となく俺がそう言ってしまったのは、きっと、郷里を捨ててしまった後ろめたさからなのだろう。今なら、そんな自分の心持ちを、よく理解できる。

裏、というのは団地に共有の庭のような場所のことだ。俺の生まれて育った部屋は1階だった。だから、言うところの裏から、俺たちの家、部屋は、つぶさに見ることができた。

「ちっちぇえのう」

「ちっちぇえなあ、マジで」

小さかった。家は、部屋は、本当に小さかった。でもそこは、兄弟の世界の全てだった。大きく、帰る場所で、何もかもの全てであった。

「ああ、これ、俺が植えたビワやんけ」

ビワの樹が青々となっていた。それは俺が植えたビワだ。幼き頃、初めて食べたビワがあまりにも美味しかった。果肉を食べ尽くすと種にいきついた。

『ばあちゃん、これ植えたら、ビワ、食べれるん?』

『そりゃあそうよ』

俺は共用の庭にその種を植えた。俺の唾液にまみれた種を植え、かまぼこ板に「びわ」とマジックで書いて、植えた。毎年毎年その様子を見た。ちっとも生えなかった。俺はそのうちにその存在を忘れた。

「育ったもんやな」

「お前がこれ植えたん?」

「植えたんよ。知らんかったっけ?」

「俺、あんまり外に興味なかったけえなあ……」

その時、視線があった。俺たちは不法侵入をしていることに自覚的だったので、さっさと退散するつもりだった。生まれ育ったところとはいえ、既に部外者だからだ。

「あれ、松永の婆さんじゃね?」

俺が生まれた時には60を越えていた婆さんで、とうにくたばっているものだと思っていた方からの視線だった。その方は隣人でもあった。確実に死んでいるものと思っていたその人は、確実に生きていて、確実に怪訝な目線を、かつての隣人である俺たちに向けていたのであった。

「松永さん、お久しぶりです」

「全然怪しいもんじゃないです、そこの隣に住んでた望月です」

「懐かしくて、裏から入る感じになっちまいました」

来し方、俺は兄貴に対して『松永の婆さんとか、とっくにくたばってるに違いねえよ』と笑いながら話していた。別に恨みがあってのことではない。事実関係としてそういうことは覚悟しておかねばならない、ということを、俺は下賤な口調でしか語ることができなかった。

「まあ、まあ……!あの、望月さんとこのボンかね!まあ……えぇ!何年ぶりかいね!」

くたばってなかったんだな、この婆さん。俺は率直にそう思いながら苦笑した。ほとんどしわくちゃになってしまった松永さんは、それでも、俺たちをかつての頃に戻すには十分なほどに、矍鑠としておられた。

「もう、何て言うたらええんか……コーヒーでも飲んでいき。ああもう、びっくりして、どうしたらええんかね」

「お邪魔してもいいんですか?」

「ええも何もあるかいね。ああもう、本当、ああ、びっくりしたわいね……」

本当にちょっとした差だったのだ。例えば俺たちが裏から回っていなければ、松永の婆さんと会うこともなかっただろう。

「ほんと、ウソみたいやねえ……あんなに小さかったボンがこんな……わたし、足を悪うして、今も病院に行って帰ってきたばっかりやったんよ」

松永の婆さんは、そう言いながら、嬉しそうにインスタントコーヒーを淹れてくれる。ごめんねえ、大したものも出せんでごめんね、と言いながら、これが美味しいんよお、と言いながら、色んなお茶請けを出してくれる。俺も兄貴も鷹揚に笑って返す。心の中では、ほとんど泣きそうだった。

「この市営住宅もね、あんたらがいた頃と違って、ほんとに人がいなくなったんよ。もうお化け屋敷みたいになってしまったわいね」

松永の婆さんは笑いながら話す。笑うしかない、そういう風にしか語れないこともあるのだ。俺も兄貴も、もう、子供ではない。何も言わないし、言えない。追従して、少しだけ、笑う。

「あんたらが来てくれて本当に嬉しいわいね。でもお菓子も何もない…ああ、もっと早く分かっとれば色々してやれたいのにねえ……」

「全然ええですよ。松永さん、今年でいくつになるんですか」

「93になったよ」

「うちのばあちゃんが大正14年だったから、えっと」

「大正11年よ」

笑いそうになった。侮蔑的な笑いではない。何と人の世の浅きことか。分かったようなふりをしてものを書く俺の浅ましいことか。そういうことを感じ、俺は、笑いそうになったのである。

俺たちはその後、しばらくの間、松永の婆さんと話した。いる人、いなくなった人、くたばった人、通り過ぎていった人……それは色々だ。松永の婆さんは何度か同じ話をした。俺たちは何度同じ話を聞いたって、ちっとも退屈はしなかった。松永の婆さんが元気である、その事実だけが、俺たちを温かくしてくれたからだ。

一時間ほど話をした。

「松永さん、そろそろ俺たちも行かにゃならんとこがあるけえ、行くわ。お茶、美味しかったよ」

「ほんとかいね。なんももてなせんと……今度来るときは言ってよお。おいしいもんちゃんと……ねえ」

今度って、いつなのだろう。思う。だけどそれは、誰もが思っても言わないし、言えない。言う意味もない。いま会えた、それが全部なのだ。

「その時はもちろん声かけますけえ」

それは不誠実な言葉なのだろうか。履行できない約束をすることだって、たまにはあっても、いいのではないだろうか。俺は、今のところ、そういう結論にしか行き着けない。

「そうそう、裏にビワがなっとるんよ。知っとる?」

お茶を飲んでいる最中、松永の婆さんがそう言った。

「知っとるもなにも、あれを植えたんは僕ですよ」

「そうなんかいね!アレね、毎年実がなってねえ……近所の子らが取りに来るんよ。そうかいね、あんたが植えたんかいね……ビワがようなってね……」

俺はもうこの団地にはいない。何のよすがもこの団地にはない。だけど、俺が戯れに植えたビワは育ち、松永の婆さんは、その話をしてくれた。

「ビワがなるのはいつくらいかねえ」

婆さんは言った。

「たぶん、2月くらいですよ」

兄が言った。

「じゃあ、そのくらいに来れたら、ビワを一緒に食べようや」

婆さんは言う。

「もちろんですよ」

全く不誠実な言葉だった。俺は即答した。それ以外に言える言葉を、俺は、何も知らなかった。


「松永の婆さん、くたばってなかったな」

玄関のドアを閉めながら俺は言う。

「お前はくたばってるとか言い過ぎなんだよ」

兄が言う。

「しょうがねえじゃん。俺は兄貴と違って下関のことをよく知ってんだかんよ」

俺が言う。

「例えば?」

兄が言う。

「こういうのとか。絶対知らないだろ」

俺はそうして、松永の婆さんが住んでいる部屋の隣の家、要するに今はもう、何年も空家となってしまった、かつての生家の窓に手をかける。

「開くんだよねー」

からから、と音を立てて窓が開く。覗き込む。がらんどうとなった部屋が俺たちを覗き返す。それは確かに俺たちが生まれ住み、育った、五畳半の『子供部屋』そのものであり。

「なんで鍵かかってないの……」

「思うわな。俺も思うわ」

俺たちはその後、祖父母の墓参りに行った。
酒をしたたかに飲んだあと、兄に訊いた。

「俺は何度かさ……あそこの窓が開いたりして、それで部屋を眺めてたんだけど、兄貴はあれだろ、本当は入りたかったんじゃないの?」

兄は即答した。

「お前がいなかったら即座に入ってたよ」

それは社会規範に触れる行為だからよろしくねーよ、と俺は笑いながら答えた。だけどいつか兄貴はそれをするだろう。そしてそうする兄貴の姿を想像するだけで、俺はいつでも愉快な気持ちになれるだろう。

ショートトリップ。
俺たちは想い出迷子になったのさ。
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2014年06月18日

どこにもいけない僕と どこにもいかない僕

服飾。ファッション。

その流行は常に変化していく。時間という存在が不変なものではなく、必ず流れていくという概念である以上、それは不可避なることだ。芽生えて、盛る。潰えて、消える。移ろいやすい世の中にあっては、『変わっていく』という事実のみが、ただ変わらずに在り続ける。

股間に響くファッション。それは必ずしもホットな流行とは一致しない。オシャレだな、と思う気持ちと、ヤリたいな、と感じる心とは、一致しなくてもいいしする必要もない。ファッション業界が垂れ流すロジックと、我々の抱える切ない男心とは、基本的に、同調することの方が珍しいくらいだ。

ハイウェストな服装。どうやらこれが現代のホット・ファッションを彩っているのであろうことは、流行に胡乱な俺でも察知できる。流行り廃りに合理性はいらない。売れ線は売れ線としてキープできればそれでよく、売れるようになる過程に大した意味など存在しない。

「これが今年の流行りらしい」

そういった集合無意識的な合意が形成されれば、後は黙っていても水は低きに流れ、浸透していくだろう。『こうだから、こうなのだ』 、心の弱い部分にダイレクトに訴求してくるプリミティブな同調圧力。皆が着ているんだけど……あなたは着ないのかしら……?という、軽佻浮薄で粗野な恫喝。



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(これがハイウェストだ)

俺が初めてこのファッションを目にしたとき、率直にいえば 「いかれポンチだ」 と思った。そして、およそ4年ほど前にサロペットが流行ったときも、同様の感想を抱いた。その時の日記はこちらだが、あの頃は今よりも少しだけアクセスが多かったゆえ、多少言葉に配慮した表現になっている。ただ俺ももう少しで31歳になるし、最早失うものなど僅かしかないので、ハッキリ言おう。若い人には皆リクルートスーツを着て欲しいんですよね、僕は。ホントその辺、気をつけてもらわんと。ハイウェストとか、別に買ってもいいけど、買ったそばから燃やしてもらわんと。マジでそういう配慮というか、俺に優しい世界作りを心がけて欲しいと言いますか。皆さんに関して足りないのは、想像力、ただそれだけなんですよ。少し立ち止まって考えてみれば、当たり前の話でしょう?そういうのって。

春咲く花は秋には枯れる。泡沫(うたかた)は結んでは消え、消えては結ぶだろう。万物は流転する。現象は止まらない。誰かの心の在り方を一方的に決めていい道理など、どこにもない。故に俺は、いつでも自ら抱える欲求のみを肯定する。生きていくっていうのは、簡単にいえば、そういうことだからだ。

若い女を彩るリクルートスーツ姿は股間に響く

これが俺の真実だ。百万言の否定の呪詛も、決して俺の心には届かない。魂に触れることすら能わない。気持ち悪い……反射的にそう感じてしまう誰かの内心の自由は尊い。俺は気持ちいい!その地点から一歩も動けない、動く気すらない俺の姿勢もまた、気高い。これはディベートなどではない。実にシンプルな生存戦争なのである。

パン線、浮かねえかな

目の前を歩くリクスー姿の女の臀部を凝視しながら、俺は必ずそう願う。祈る。あるいは、信じる。夏を彩る葉脈は、冬には朽ちる。目の前に生じるかもしれない真実の一瞬を、俺は決して見逃したくない。ダメならダメでケセラセラ。望むものが望むように訪れる世界なんて退屈なだけさ。そうだろう?

その意味からすれば、サロペットやハイウェストなムードが世間に流れることも、そう悪くはない。幸福や不幸、快と不快というものは、両者が同時に存在して初めて成り立つものだからだ。世の中全てが己の望むものだけに席巻されたとして、それは果たしてアガルタと言えるのだろうか。俺の考えからすれば、そのシーンは逆説的なディストピアとしてしか成立しないだろう。苦味があって甘味がある。甘味ばかりの世界について、いかばかりの価値があるというのか。

「リクルートスーツが好きなんだよね?今度着てあげようか?」

そういうことでは、ないのである。心意気は買いたい。優しさ、思いやり、という言葉の意味も、少しは分かっているつもりだ。だが俺の求めているものはそういう地平には存在しないのである。

「前人未到の虫食いに所有していた衣服の全てがヤラれちゃってさあ……なんとか無事だったのがこのリクルートスーツだけで……変だよね、こんな。家で、別に就活してるわけでもないのに、リクスーなんて……アハハ」

怒張のあまりチンポがはち切れてしまいかねないタッチである。

『仕方なく』

『必要に駆られて』

このたまらない侘び寂びの加減、分かるだろうか。勝手に(あるいは仕方なく)纏ったファッションに対して、勝手に(あるいは必然的に)欲情する俺。エレクトのダイナミズムというのは、往々にしてそういうところにだけ眠っている。

「こういうのがいいんでしょう?」

演出家は不要なのだ。何がいいかは俺が決める。理屈の上で計算された艷さなんて、乾いていてしょっぱいだけでしかない。まあ、そういうのに騙されることも、数多くあるのだけれども。分かっていながらあえて、敢えて……篭絡される、これはこれで大人のタッチだ。させてくれ!不意に出会ったボインにそう叫んだとて、それはそれで風流というものであろう。

「そんな、何でもかんでも性欲の対象に結びつけるなどと……恥ずかしくはないのか!」

ないですね。股間に響く対象というものは現実に存在するのだから、仕方のないことなのです。だからせめてちゃんと言うようにしています。「最低でも2回はしたい」 と、そういうトーンのことを。ホッピーを飲みながら。

言うまでもなく、未来永劫にわたってファッションの在り方というものは変化していくだろう。それは善し悪しの話ではなく、事実関係の問題でしかない。文化を持った我々と服飾という概念とが不可分である以上、何を着ようと何を着まいと、そんなものは個々人の自由でしか有り得ない。

ただ、股間に響くファッション。こいつに関する時間の流れ方は、見えやすい流行よりもずっと遅い……と、そのことを。俺はただ主張したいだけだ。肉欲の名のもとに。
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2014年06月14日

孤島に咲く花

「ねえ、オナニーしているところを見せてよ」

請願してくるのである。付き合った女は、非常に高い確率でそういった形式の申し出をしてくるのだ。一般化できる話なのかは分からない。ただ俺の経験則上、こう頼んできた女は9割を下らなかった。

生まれて初めてその言の葉を耳に受け止めたとき、比喩でも何でもなく目の前が真っ白になった。こんな名前を冠したブログを運営していながら言うのも何だが、基本的に俺は物凄くピュアなのである。ウソと思われても仕方がないが、21歳になるまで正常位くらいしかしたことがなかったし、25歳になるまでフェラチオをさせてそのままザー……いや、低劣な表現を避けるために言い換えよう、精液的なものを飲ませることも 『とんでもないことだ!』 と思い、忌避していたくらいである。要するにそのくらいピュアだった、無垢であった……ということを主張したい。アナルファックを初めてしたのだって28歳になってようやくのことであった。掻い摘んで言えばそのくらい純情だった、潔白だったのだ……ということを表明したいのである。

少し俺の話をしよう。いや、いつだって俺の話しかしてないのだが、そこは忘れて頂いたという前提で、俺の話をしよう。

俺は本州の最西端、山口県は下関市、上田中町、白雲台のR10という市営団地、そこの三兄弟の末っ子としてこの世に爆誕した。物心がついた時には5畳の部屋にオスが三匹叩き込まれる、というソドム感満載の部屋ですくすくと成長した。部屋にはいつでも乳酸の臭いばかりが漂っていた。もう何年かすると、ザー……いや、言い換えよう、精液的なスメルも混ざりだしたことは、敢えて言うまでもない。

ソドムの中で育った俺が、無意識的に女性を神聖視するようになったのは不可避な事実だったのかもしれない。若い女のサンプルケースなど身近にはどこにもいなかった。加えて俺は高校を卒業するまでの間、鉄壁の童貞を貫いた。もちろん16歳の頃からおっぱいパブに足繁く通っていた事実も同時に存するが、それは別に 

「金銭を介在したおっぱい」

という意味でしか有り得ず、俺の中では

「金=おっぱい」

という方程式が生ずるに留まったし、彼女たちも心の涙を流しながらおっぱいを許しているに過ぎない……と、クレバーに考えることができていた。だから、いかに金でおっぱいを揉もうとも、俺の中で女性という存在は清廉潔白な存在であり続けたのである。

女性に性欲など存在しない。あるのは、ただ愛情の延長線上にある情念だけなのだ。そしてそれが、セックスという行動形式で以て発露するのだ。俺は確実にそう信じていたし、その想いを携えたまま上京、入学、そして彼女を作り、童の貞を散らした。すまぬ…すまぬ……と、心のどこかで想いながら、念じながら、あるいは、祈りながら。

だが、皆様にしてもとっくにご存知であろう。
幼い頃に抱いた憧憬は、並べてが砂上の楼閣に過ぎない。
虹はある、虹をつかむことができる。
そう信じるのは個人の自由だ。
夢や理想、あるいは夢想。並べて存在していい。

それと同じくして、現実は厳然とした様相を保ち、存在し続ける。

「ねえ、舐めてもいい?」

えっ、タダで……?初めて迎えるフェラチオ・シーン。口淫との出会い。ロハでするのか?!無料で!!?俺は本当にそう思ったし、だって、こんな、チンポだぞ?尿を出す部位に対して、ご飯を食べる器官が、そんな、アカン!俺は思わず自分のチンポを二度見した。既にギンギンに屹立しているそのものを見るにつけ、心の中にビリー・ジョエルの 「honesty」(誠実さ) の楽曲が乱れ流れた。

混乱と迷妄とが俺を包み込む。どういうことなんだ?!これは。俺はこれまで街中でチン……言い換えよう、ペニス的なものをねぶる女の姿など見たことがなかった。見たことがない、ということは、存在しない、ということだ。AVでは見たことがあった。だがそれは、要するに、金銭が介在した果ての姿でしかない。タダで!?やはり思考の帰着点はそこにしかあり得なかった。

「じゃ、じゃあ、ひとつその、舐めを……」

何が正解か、それを掴みあぐねた俺は、そう返すのが精々だった。真実の話である。心の中は期待と不安で一杯だった。その反面、俺は童貞を捨てるより遥か昔にお年玉を握り締め場末のピンサロでフェラチオをしてもらった経験は有していた。

それはそれ、これはこれ。

今回の日記はそういう話である。

結末から話せば、その女性から放たれるフェラのチオ部分は、まさに妙技だった。こんな酷薄なエピソードもない。舐められることすら戸惑っていたところ、いざ舐めの現場に臨んでみるや、その仕事たるやプロをも凌駕する匠だったのである。俺は自分がプロとの対戦経験を有していたことを呪った。同時に「タダでこれか……」とも思ったが、これは内緒の告白である。

どんなにタフな環境であれ、時間が経てば人は順応する……という。それが実際のことなのかは分からないが、少なくとも俺はしばらくして、具体的には3日くらいして、フェラチオをされることには慣れた。人という存在は怠惰であり鈍麻である。歳若い頃となれば一層そうなのかもしれない。

「どれ、舐めてくれたまえ」

「はい(チュパチュパ)」

実際にこういったやり取りがあったワケではないが、心の中ではそのくらいの感じだったに相違ない。ホモサピエンスとは順応を長所として生存域を増やしていった種なのである。俺だって例外では、いられなかったよ。

だが、それでも。ここまで読んだ皆さんにおかれましては甚だ薄ら寒く聞こえるであろうことは承知の上、言わせて頂きたい。それでも俺は、あの日、あの夜、あの19歳の刻。

「女はピュアで無垢なんだ」

信じていたのである。あるいは願っていたのだ。

「タダでフェラチオはするけど、それでも女は純潔で真っ白なんだ」

それは、花。
名もなき風に揺れる、名も知らない一輪。
存在するだけで価値がある、儚い一茎。
誰に観測されずとも、そのたたえる美しさは誰にも否定できない。

それは、孤島に咲く、花。


「ねえ、オナニーしてるとこ、見せてくれない?」



金返せテメエ!!?!!??いや、払ってないけど。払ってないけど金返せ!俺は確実にそう思ったし、いまタイムスリップしても同じ想いを抱くだろう。瞬間、俺は脳細胞が10の24乗ほどの個数が破壊される音を聞いた。気がした。

俺は説いた。男のオナニーはそんなに安いものではないと、誠心誠意説いた。世阿弥の言葉すら引用した。秘すれば花、秘せずは花なるべからず……と。

「世阿弥のその言葉はそういう意味とちゃうと思うんやけど」

クソっ!小賢しい。なまじ学歴のある女と付き合うとこういうことになるのか。そういえばこいつ、文学部だったな……どっちにしたって世阿弥だってオナニー姿は見せまいよ。そこまで言わなきゃダメか?世阿ニーしなきゃお前は収まりがつかない、とかそういう話?やめろよ。世阿弥は関係ないだろ。こんな下らない文脈で名前を出してしまった世阿弥、並びに観阿弥サイドには、本当に申し訳の言葉すらない。

最終的に、俺がオナニーをする姿を見せることはなかった。当たり前の話である。何が悲しくてあんな姿を野に放つというのか。世に晒すというのか。自慰、という言葉は正しくそのものであり、他人を慰める時点で自慰ではなくなる。望まれない衆目の中でする自慰は自慰としての価値を保持するだろうが、望む誰かの前でする自慰は、最早自慰ではない。あいにく俺にそういった性的傾向は存しなかったし、これからも具備することはないだろう。

自分を慰める瞬間、その刹那。
悪いがその時は、孤島に咲く花でありたい。

「オナニーをしているところを見せてよ」

それは女から男に対する提案であっても、男から女に対する提案であっても、どちらでも有り得る話だろう。ややもすれば、後者の方が案件として顕在化しやすいかもしれない。それが悪いとは言わない。性的傾向、それはある種の自己表現でしかない。その在り方の善悪を規定することは、誰にもできない。

「オナニーしてるとこ見せてよ、肉さん」

「死ぬか?」

だから、否定することも自由だ。普通はさあ…なんて概念に落とし込むようなことも、絶対にあってはならない。ただ揺蕩う感情の一点として、そういう事象はあっていい。現象は肯定する。俺に向けられたものだけ、全部否定する。

女性は、女は、清く正しく、潔白に。
俺は勝手に、そう想い続けるだけだ。
孤島に咲く花を想うようにして。
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2014年05月08日

日記 沖縄にて

友人3人と沖縄に行ってきた。皆、このブログを通じて出会ったヤツらだ。7年の歳月を経て俺は30歳になり、あいつらはじきに30歳にならなんとしていた。出発前に羽田で落ち合い、朝からすぐに酒を飲んだ。沖縄じゃなくても良かった。俺はただ、誰かとどこかに行くのが好きなだけだった。

曇天で出迎えてくれた沖縄に、俺たちは笑った。寒からず、暑からず、曖昧でぼんやりとした空気感。

「なんくるねえな」

「おう、なんくるねえなんくるねえ」

笑いながらゆいレールへと乗り込む。鈍色の空を見る。すぐに車輌がゆっくりと動き始めた。

一体あと、どのくらい。と俺は思う。あとどのくらいの回数、こうやって、何の背景も共有しない気の知れた友人たちと旅に出ることができるのだろうか。行為としての難易度と、現実問題としての難易度とは、恐ろしいほどに乖離しているだろう。30歳のいま、出来ていることが、40歳に成り果てたとき、さて、許容されるのか否か。主観は緩く、客観は冷たい。誰にも等しく時間は過ぎていく故のことだ。

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宿に着いてすぐ、オリオンビールを飲んだ。プルトップが小気味よい音を立てて開くのを聞くのが心地よかった。すぐに気分がまどろむ。だから口を開いた。

「もう観光とか、いいんじゃないかな。こう、このままゆっくりと、沖縄の空気を味合う……的なノリで。そういうのもさ、こう、なんくるない感じだと思うし」

無論そんな案は通るはずもなく(それでもそのまま数本ほどの酒を飲んでから)、俺たちは粛々と首里城へと向かった。ハイシーズン前の平日ということもあって、国際通りの人出はまばらでタクシーもすぐに捕まえられた。俺は助手席に座り、車窓より流れゆく外を眺めた。

「○○さんはこちらのご出身なんですか?」

「いやあ、私は与論の方の生まれですねえ」

「ああ、与論の。与論って言ったら与論献奉ってのあんじゃないスか。僕も鹿児島にいたことあるんスけど、なんかアレってえらいことイカツいらしいですねえ」

「そうなんですか?私もねえ、与論にいたのは小さいときだけだったので、そっちの方はあんまりよく分からないんですよ」

なんでもない言葉が口をついて出てくる。人と喋ることは好きだ。初対面の人間と、何でもない、そしてどうでもいい会話を紡ぎ続けることは、とても自然なことだった。無言が嫌いな訳ではない。雑音があった方が落ち着くと、ただそういう性分なだけだ。会話の内容なんて1ミリだって覚えてはいない。

「このコミュ力オバケが」

下車したあと、友人に笑いながらそう言われた。でも、それはちょっと違うんだけどな。別にどうでもいいことだけど。

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「ごめん肉さん、ちょっとおしっこしてくるわ」

「おっ、首里尿かね?」

「わりい、待たせた」

「ずいぶん長かったね。センジュリでもぶっコイてたのかな?」

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東京よりもだいぶ西にある沖縄の日没は、遅い。時間の表示と空の明るさとの間に違和感を抱えながら、俺たちは居酒屋に赴き、大いに酒を飲み、食べ、かつ語った。

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宿に戻ってからも、俺たちはまるでそれが義務であるかのように、水が高きから低きに流れるかのように、酒を飲んだ。ある者は

「沖縄のスナックを検証する必要がある」

と、単身宿を外に出た。直後、スコールに襲われた。また、ある者は

「沖縄でキルミーベイベーを観よう」

と提言し、持参したタブレットで深夜アニメを強制視聴させた。それは俺のことである。後に、その友人のtwitterを閲したところ

「なんで沖縄くんだり来てキルミーベイベーを観なければいけないんだ」

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至極道理な憤りだと言わなくてはならない。

二日目を迎えた。沖縄の空は曇天を越えて、いさぎよく雨を垂らしていた。この日の目的地は名護、ちゅらうみ水族館、並びに、瀬底島。レンタカー屋が宿にまで迎えに来てくれる。2日間借りて7000円。文句のつけようなんてどこにもない。名護市までの道のりは遠い。俺はシート深く腰を預け、ゆっくりと目を瞑る。

「返せー!沖縄を返せー!」

「肉さん、アンタ急に何を言うておるんや」

「それだったらむしろ『帰れ!米軍は帰れ!』って感じじゃないの」

「帰るさー!米兵は帰るさー!」

レンタカーが高速をひた走る。無言よりも雑音を好む俺は、どうしてもどうでもいいことばかり口走ってしまう。

「あそこのさ……海の向こうに見える、小さく見えるあの、あの島だよ。あそこにさ、死んだ目をした少女がいるんだ。

『ああ、自分はこの島で一生を終えてしまうんだ……』

と、そういう覚悟を持った眼だ。なお、かつ

『どうせ大人なんて私のことを性的搾取の対象としてしか見ていないんでしょう?あのナイチャーみたいに!』

と、そういう諦念も含んだ眼だ。その時、お前ら、どう動くよ?」

「そんなん肉さん、言わずもがなですわ」

「そう!手を差し伸べるやろなあ。俺だけは違う、ワイだけは高潔な精神を持って生まれたイキモノや!そういう自負で以て。だからその少女も言うだろう、束の間、生気を取り戻した眼でこう言うだろう。

『だったら連れ去ってよ!!!』

とな……」

「あんた何が言いたいんや」

「いや、まあ、たぶん結局、やるだけヤって、朝起きたらベルトをカチャカチャさせながら

『うん、まあ、そういうのはもっと違う人がいると思うよ?』

なんつって、そそくさと帰るんだろうなあ……あの島の中では……そういうことが……」

「あんた、あの島になんの恨みがあるんや」

ちゅらうみ水族館はとても大きかった。思わず圧倒されてしまう。平日だというのに、多くの観光客で賑わっていた。もしこれが連休中だったら……と思うと、僅かばかりあるフリーターの利を感ぜざるを得なかった。

入館、そして。音よりも速く俺はトイレへと向かった。トイレへの道は遠く、そして長かった。だから言いたい。もしも二日酔いで、そして車酔いを兼ねてちゅらうみ水族館に赴かれる方が今後いるのだとすれば、ゲロを吐くのはどうか、せめて……入館前に済ませておくべきだと、そのことを。

「たぶん、開館史上初の速さでここまでたどり着いたよね。俺は」

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後からようやくやって来た友人にそう告げ、俺はとうとう順路を真っ当に歩き出した。だから俺はちゅらうみ水族館の1/4ほどは見ていないことになる。金を返して欲しい気分だった。

ちゅらうみ水族館行脚、という大行事を終えた俺たちは、宿に向かった。その最中、華美な建造物をいくつか目の当たりにする。

「使ってるねぇ〜、税金!補助金かぁ!?」

もちろん全ては俺の発言なので、並べてのヘイトは俺に集めて欲しい。

「ッカァー!ええもん建てとるやんけ!返せ帰れと言いながら、もうこんな、ッカァー!沖縄民の心のマンコはガバガバやな!」

「あんた、そんなん沖縄の人に聞かれてたら死なされるぞ」

「あれやろ、このレンタにも小さいカメラがついてて、逐一監視されてる……みたいな感じで」

「誰得なんだよそれは」

「で、こう、レンタ返す時に、こう、ものすごい無表情で、こう、トカレフを構えて……言うんだ」

『死ぬさー』

それ以降、俺たちの口癖は『死ぬさー』になった、と言う。

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着いた宿には犬がいた。本当に可愛くて人懐っこい犬だった。宿の人は丁寧に島での過ごし方のあれこれを教えて下さった。俺たちは荷物を置いて、イオン系列のスーパーで酒を買い込んで

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後、酒を飲みに行った。並べては美味しく、並べては楽しく。

「俺さぁー、肉さんのエピソードの中であれがすっげえ好きなんだよね。あのー、あれ。間違って違う人に手マンしちゃったヤツ」

「あったなー。いや、オフ会したあとにな、人の家で何人かで寝たんよ。まあ俺は、酔いながらもクレバーな頭で……クレバーな頭でもって……コレや!コイツに手マンをするんだ!と、固い決意を胸に秘めたわけやね」

「えっ、手マン限定なん?」

「言葉のあやよ。まあそういう感じでだ。夜の帳も下りて……どれ、ひとつ、とおもむろに動くじゃない。もう心のチンポはギンギンよ。で、肌に当たる、柔らかい。見つけた!この家だ!そう思った。だから僕はとってもチューをしたよ。接吻した。アンサーソングも16ビートで、これは!これはイケる!と、そう思ったよ。でもねえ、なんかこう、違うんや。具体的には、頭身?というか、あれ?髪短くなかったかな?すごく長いんですがそれは?と、こうなって、でもその時、俺の右手は確実に湿潤へと進出しており、だから俺は思ったね。『落としどころを探さなければならない』……と、クレバーな頭でそんなことを」

「頭が悪すぎて頭が痛くなってきた。で、どうしたの」

「正直に『すまん、間違えた!』と言うセンも考えた。でもそれは悪手だと、さすがの俺にも分かったよね。だからまあ……義務的に手マンをした、しこうした後に 『ふう……いい手マン、したな!』 みたいな感じの空気感を出しつつ、こう、ノーサイド的な。こういうことも、あるあるだよね!みたいなムードを出しながら、速攻寝た」

「ねえわ」

「バカじゃねえの」

「ホントどうしようもない。死ねばいいのに」

心温まる言葉の雨を友人たちから賜りながら。その日の酒宴は二日目の思い出に向かって収斂していった。

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3日目もまた、曇天。もう誰も沖縄の晴天なんて望んでいなかった。ただ運が悪かったのだと、そのように笑うばかりで。

ただ、それでも。海を見たかった。間近で触れて見たかった。述べ2日も沖縄にいて、直に海に触れたことは一度もなかった。だから俺たちは海へと向かった。それは至極真っ当な因果経路だった。

「海、やなあ」

「海やのう」

「海だね」

因果経路を辿ることは簡単だ。そのことと、因果が満たされることと、は別問題だ。それは当たり前の話である。鈍色の海、曇天の空、まばらな人影、酒臭い俺たち。南国って、なんだ?俺たちは自らの想像力のなさを呪った。

「まあ、これはこれで!」

「よくみれば碧いわ!マジオーシャンブルー!」

「砂、さらっさらやで!ウソ!ちょっと痛い!サンゴかこれ」

『なかったことにする』

大人になった俺たちは、大人らしく、然るべきスキルを身につけていた。

何にでも終わりは等しくある。
この旅にしてもそうだ。

だがその終わりは、ほとんど予期せぬ形で俺の元へと降ってかかった。

遡れば、この旅程の手配の全ては俺の手によるものだった。航空券、宿、レンタカー、諸々の詳細はおよそ俺しか把握していなかった。そしてその詳細をプリントアウトした紙束について、俺は、初日

「いまから首里城行くやろ。つうかこの紙束持って歩くのダルいな。とりあえずこの垣根の下に置いておいて……帰ってきたら回収しようじゃないか」

そして。その紙束を、俺はそのままロストした。くまなく探したが、なかった。たぶん、捨てられたのだろう。まあ、それはどうでもいい。

「肉さん、沖縄から羽田の便は何時なん?」

「おう、20:30ですわい」

実際は18:45だったのである。

そして、そのことに気がついたのが、那覇空港でバランタインを飲んでいるとき、まさに、18:25のことだった。

「あのさあ……」

友人の一人が携帯を弄りながら俺に提示してくる。

「かなり前に俺に呉れたメールで、沖縄発が18:45になってんだけど、これ、変更になったってことなん?」

「せやせや!それが変わったんや!」

俺は思った。そんな手続き、したか?と。
俺は思った。そもそも20:30という論拠は?と。

「ま、まあ、たぶんそれは勘違いなんやけど、一応、一応!事故があってはいかんからな、ちょっと確認してくるるるるるるっるるあああああああ」

走った。走った。生まれて初めての。優しさが。ぬくもりが。そんなものはどこにもなかった。俺は自動チェックイン機に決済したクレカを通す。

『羽田行 18:45』

即発信。即着信。息切れしながら、曰く

「ホントすいませんでした、ホントすいませんでした、そのまま即座に出発ゲートに急いで下さい。あの、ホント、何かの際は全部の旅費は俺が持つから、ホント、すいませんでしたあああぁぁぁぁぁ……」

結論から言おう。間に合った。俺を残した3人は無事に機上の人となった。もともと、日程的に余裕のあった俺は、もう一泊だけ沖縄にいる予定だったからだ。本当に、本当に。今思い出しても胃が痛くなる出来事であった。

『あんた、最後まで演出家やな……』

離陸前に友人の残してくれたLINEが、少しだけ俺の心を癒してくれた。

こうして、俺の沖縄旅行は終わった。沖縄じゃなくてもよかった、と冒頭に書いた。それは別に沖縄をくさす意味でもなんでもない。ただ、単純に。俺はどこにいても楽しいと、そういう意味でしかない。

あとどのくらいの回数、こうやって、何の背景も共有しない気の知れた友人たちと旅に出ることができるのだろうか。出来れば10年といわず20年といわず、気の済むまでこういうことができたら……と、それが望み過ぎなのは、分かっていることなのだけれども。

あと半年したら31歳になる。
誕生日には、どこに行こうかな。
posted by 肉欲さん at 04:29 | Comment(7) | TrackBack(0) | 旅行記 このエントリーを含むはてなブックマーク

2014年03月31日

日記

 
目が覚めて喉が渇いているんだけどそれが凄く不快なんだけどやっぱり身を起こす気にはなれなくて俺はスマホを開く。そこには何もない。俺は何もしていないからだ。当たり前のことだ。そして俺は何かを見る。何かを見ながら何も見ない。たぶんそうだ。そうとしか言えない。だって俺は起きてからのことを1日以上先から思い出せない。なんだってそうだ。そういうことがあったという認識しかできない。俺は頭が痛くなる。お腹が空く。ご飯を食べる。インターネットを見る。漫画を読む。眠くなる。眠くなるんだ。だって眠いんだ。何もしたくないんだよ。本当は何かしなくちゃいけないんだ。部屋はとっ散らかってる。税金だって払わなくちゃいけない。だけど眠たいんだ。それって仕方のないことだろう?俺は寝る。寝る、というか横になる。ちっとも眠気なんて訪れない。頭は曖昧としている。2時だ。もちろん昼だよ。眠たい。眼はギンギンとしている。眼窩がチカチカしている。ムカつく。人はなんで死ぬのか?余計なことばっかり考えやがってこのクソ頭は。さっさと寝ろ。あ、何か頭の方から勝手に言葉を話し始めた。いい符牒だ寝られる符牒だそのままでいけ「ギャース」隣のクソガキが叫びやがった寝られやしない。殺したい勿論、殺せない。嗚呼、寝たいなああああああああ

俺はスーパーにいた、買い物をしていた時間は午後4時だったバイトの時間は5時半だった、俺はカートを押していた目の前には同級生がいた、俺はたぶん、その時17歳だった、俺は彼女と眼が合った、俺は彼女から隠れたああああああ

起きたら17時だった。間に合うだろう、俺は居酒屋に向かった。もちろん普通に働いた。客はバカしかいなかったし従業員もアホ揃いだったし、30歳にもなって時給でしか働けない俺も、まあ、アホだと思った。俺はトリスを買って飲んで店長に対してバイトへの不満を愚痴ったが俺は当然自分もバイトであることを認識していた。矛盾を無視する術なんてとうについていたがそれを飲み下すには酒が必要だなんてのは誰にも共通だとは思わない。俺は家に帰る、やはり酒を持って。だからまた酒を飲む。

飲むことに意味はない。

飲んでいる俺に意味がある、それだけでしかない。
posted by 肉欲さん at 03:33 | Comment(10) | TrackBack(0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

2014年02月16日

罵詈雑言

今日は思う様に罵詈雑言を吐かせて頂きます。

思えば僕がこのようなブログを始めた切っ掛けとして、かつてテキストサイトといった文化があったのですが、それはある程度さて置きましょう。掻い摘んでいえば

『テレビなんてファックオフ、ネットこそが至高、お前ら正座して俺らの言葉を読めやカスどもが』

といったムーブメント、そういったものの集大成の一種として燦然と輝いていたのがテキストサイト、そのように位置づけられます。分かりませんが、僕としてはそのように位置づけております。

テキストサイトの歴史については様々なサイトなりなんなりがまとめておられるので、興味のある方がいれば(まあそんな人がいるとはまるで思えないのですが、一応)僕が今更語るまでもないので、説明はそちらに譲っておきたいところであります。

で、それで思うんだけれどもさあ、現状、かつてのテキストサイトなどを運営してた連中なんていうのは33歳くらいから42歳くらい、まあ別に50歳とかがいてもいいけれども、そういう連中がいるわけだろ。何してんのよ。何してくさってんだよ。アホなのか?テメーらが耕した土壌を好き勝手踏み散らかされて、それで良し!みたいな感じなんですかねー。マジ、そういう風潮、ファックだね。

ムカつくんですよね。ホント。なんでムカつくのかっつったら、これはこれを読んでいる若い人たちに言いたいんだけど、俺とか18歳の頃にテキストサイトを読んでたんだけどさ、あいつらクソほど排他的だったんだよ。凄かったぜ。無断リンクは失礼、とかそんなレベル。まあ、それはそういう土壌だったから仕方ないわけで、今の価値観で過去を語るのはよろしくねえよ、でも、そういうカルチャーだったんだ。骨太だろ。俺はそういう骨太はカルチャー好きだったしね。

で。でだ。お前らいま何してんのよ?ア?あの頃あんだけインターネッツで縦横無尽に暴れくさってたくせに、いま、何してんですかね。あの頃、意味もなく、それでも血気盛んに「文中リンクはアクセス乞食!」なんつって暴れ狂ってたのに、今は何をしてらっしゃるんでしょうか?昨今のインターネット事情に一家言がない、とでも?

「時代が変わったから……」

アンタたちは賢しいだろうから俺は言いたくないけど、変わったのは時代でもあるしテメーらでもあるわけだろ。それはそうだろ。どっちも変わった、ってなら、絶対値として相当変わるじゃねえか。なんだよそのクソつまんねー妥結みたいな話はよー。そういうのを聞きたいわけでも見たいわけでもねえんだよ、こちとら。自分も他人もバカにしてんじゃねえわ。

『ハ?テメェが書いただけの日記に広告をつける?そんな銭ゲバ許せるか!!』

あったでしょ、そういう初期衝動。今考えたら狂った感じではありますが、返す返すも今の価値観で過去を語ってはならない。あの時はあの時の感慨があったわけだ。あの時のさじ加減では『いかなる手段であろうともネットで金を稼ぐ=悪』みたいな、そういうロジックがあったわけでしょ。そんな機運がなかったとは、決して言わせたくない。

ちょっと脇に逸れてしまった。別に金を稼ぐ、それ自体が悪い、と言いたいわけではない。ただそれに見合うコンテンツを作れ!という気風があったよね、という話だ。そして、そういう気骨のある方々が、俺が青春期に見ていたインターネットには大多数を占めていた、とそれだけのことでしかない。

ただ、そういう気骨のある方々は、俺の見える範囲でいえば、もうほとんど、いなくなってしまった。存在はしているけれど、俺の認識の対象としては、全て消えてしまったと、そう言わなくてはならない。

懐古主義なのだろうか?そうなのかもしれない。旧態依然としているのだろうか?そうなのかもしれない。だって仕方がないじゃないか。在り方としては昔の方が確実に面白いんだもの。チャンネルは増えた。それは確かだ。しかし選択肢が増えたことが質的向上をもたらしたのか、といえば、俺は絶対に首を横に振る。最適解はどこにもない。それでも俺は昔ばかりを見てしまう。それは俺が愚かだからなのだろうか。

そんなわけはねえ。変わったのはあいつらだ。テキストサイトを書いてたあいつらだ。あいつらは結局ミーちゃんでありハーくんであっただけだ。俺が輝いて見えたあいつらはただのクソのカスでしかなかったと、それだけのことだ。意味も矜持も何もなく、ただ若さの無軌道さからのエネルギーで書いていた、それを俺が星と見間違えた、それだけの話でしかない。俺もアホだった、あいつらもアホだった、この話はそれだけでしかない。

星はしかし、綺麗だった。それは、まあ、言わせてもらいたい。

だからこれは愚痴だ。最初から最後まで愚痴でしかない。インターネットは日向の存在になった。そしてテキストサイト。あれはインターネットが日陰であった頃に咲いた、場末に咲くカマドウマのような向日葵でしか有り得ない。

でもそいつらは調子に乗ってた、ものすごく調子に乗ってたんだよ。そのあり方は洒脱で、オシャレで、とても悔しいくらいに流麗で、面白くて洗練されてたんだ。

お前らどこに行ったんだよ?このクソボケが
こんな状況を是としてんのかよ?アホか?テメエら

ムカつくんですよね、単純に。
今よりずっと楽しかったインターネットを知ってるくせに何もしねえ人らがいるのが分かるから。それは俺の虚妄なのかもしんねーけど、でもそんなことはねえ、絶対未だに面白いおっさんとかたくさんいるわ。色々守るもんとか価値観を猜疑的に見てるのかもしんないけど、そんなもん度外視して掛かってこいよ、バカが。

じゃねえと俺レベルのテキストでも面白い、なんて言われてしまうじゃねーか。こんなに恥ずかしいことは、ねーんだ。俺はずっと恥ずかしくてテキスト書いてんだ。申し訳なさでいっぱいなんだよ。

願うことができるのであれば、皆様が、再び、画像とかがない場所で、文章とか言葉遊びで、色々、出来るようになるのであれば、今はクソとなってしまった皆様の後輩として、望み臨むところであると、そう申し上げます。
posted by 肉欲さん at 05:22 | Comment(21) | TrackBack(0) | このエントリーを含むはてなブックマーク

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